第1話 雨の中から降ってきたモノ
「あ、傘忘れた」
そう気が付いたのは、学校からの帰り道、電車を降りた瞬間に降り始めた雨を見た時だった。
朝天気予報をチェックして、夕方から雨なのを確認したはずだが、折り畳み傘は通学カバンに入っていなかった。
「いつものことだし、仕方ないか」
そう言って空を見上げる。雨脚は強くはないが、しばらく止む気配はなさそうだ。
あたしは、とにかく物忘れが激しい。
宿題を忘れる、必要な教科書や筆記用具を忘れるというのは日常茶飯事。
高校二年生になり、クラス替えが無かったにも関わらず、40人のクラスメイトのうち顔と名前が一致しているのは数人程度。交流していない訳ではないのだが、親しい友達以外は何回聞いてもすぐに忘れてしまう。
そんな頭なので暗記科目は壊滅的に出来ない。高校受験は、勘で選んだ選択問題が全て合っていてギリギリセーフだった。
他にも、小さい頃の思い出が人より少ない……というか数えるほどしか覚えていない。一年しか経っていなのに、中学時代のこともおぼろげだ。
もちろん病院で検査はしたのだが、全くの原因不明。
あまりにも忘れっぽいので、時々「おうちの場所は分かるかい?」などと茶化されることがある。自分でもたまに不安になることがある。
だが、それはきちんと覚えているのだ。
自分の名前や家族構成なども忘れたことが無い。特に大事なことは、きちんと覚えているらしい。
「……帰ろ」
これ以上待っていても時間の無駄だと判断し、再度カバンの中を確認する。校則では禁止されているがこっそり持ってきている携帯ゲーム機を、濡れないようにカバンの奥へと押し込んだ。忘れ物が多いくせに、趣味のものは管理まできちんとできるのは、自分の中で優先順位が高いからだろう。
ポニーテールにした茶髪をぎゅっと締め直して、カバンを抱え込み、駅から走り出した。
顔が濡れないように下を見ながら、春先の冷たい雨の中を進む。
無心で走り出したのだが、しばらくすると思考はいつもの悩みへと辿りついてしまった。
大事なことは覚えている……はずなのだが、あたしには将来の夢が無かった。
まだ見つけていないのか、あったけれど忘れてしまったのか。
――多分両方なのだろうと結論付いてはいる。
忘れないくらい真剣に、人生をかけてやってみたいと思えるようなものに出会っていないから。
なんとなくやってみたい、と思うくらいのものはあったかも知れないが、その程度の衝撃ではすぐに忘れてしまうから。
そろそろ進路を考えなければいけないあたしにとって、その部分が空っぽなのは深刻な問題だった。
「……誰か呼んだ?」
ずっと下を向いて走り続けていたのだが、ふと気配を感じて立ち止まり、顔を上げた。
雨の降る住宅街では、すれ違う人もまばらで、今は周りには誰もいない。
気のせいだと思い、再び走り出そうとした瞬間、また気配を感じた。頭上からだ。
空を見上げると、雨の中に混じって、雨粒より大きな光の玉が落ちてくるのが見えた。
青い光を放つそれは、ゆっくりと、だが確実にこちらへ向かって落ちてきている。顔が濡れてしまうが、あたしはそれから目が離せなかった。
近づいてくるにつれて細部が認識できるようになっていく。
大きさは片手にぎりぎり収まるくらい。外縁は薄い水色だが、中心に向かって色が濃くなっていて、真ん中はかろうじて青系統だと分かるがほぼ真っ黒だ。美しくも不吉なものを感じさせるそれは、とうとうあたしの目の前まで落ちてきて、そこでぴたりと静止した。
右手を球体の下に添えると、それはすっと手に吸い付いてきた。胸元に手を引き寄せると、一緒に球体も寄ってくる。
摩訶不思議な現象に混乱していたが、それを抱いた瞬間不思議と安心した。何故か分からないが、『これは自分と同じ存在だ』と感じたのだ。
無意識に止めていた息をふうと吐いたところで、くしゃみも一緒に出てきた。これ以上雨に打たれては確実に風邪をひいてしまう。
「それにこんな不思議な物を持っていたら命を狙われたりするかも……、ってそれはアニメの見過ぎか」
と言いながらも、心の中で『ミッションスタート』などとアナウンスしてみる。
あたしは球体を抱えたまま、雨の中を走り抜けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ただいまー」
返事が無いのは分かり切っているが、日頃の習慣で、帰宅を告げた。
両親は共働きで、どちらも夜遅くまで帰ってこない。両親の姿をろくに見ていないのも、なかなか将来に希望が持てない原因である。
「ミッションコンプリート。……濡れちゃったなあ、まず着替えないと」
雨の中を走ったので靴下まで濡れてしまった。一気に脱ぎ捨てようとするが、右手は球体を持って塞がっていたので、左手だけでこなさなければならず大変だった。
部屋に入り制服を脱ごうとして、流石に片手が塞がっていては無理だと気が付いた。どうしようかと困っていたら、邪魔になっていることが伝わったのか、球体はすっと手から離れて勉強机の方へふわふわと飛んで行った。
制服は明日も着るのでハンガーにかけて部屋のドアに吊るしておく。手早くジャージに着替えて、椅子に座った。
「……なんなんだろう、これ」
そして机に鎮座した謎の球体と向き合った。転がったりせずにその場で静止している。
「不気味な色してるけど、嫌な感じはしないし、むしろ安心する……」
初めて触れた時からずっと、この球体には自分の心を落ち着かせる不思議な作用があった。
『自分と同じだ』と直感的に感じるのだが、こんな見た目の物体と人間の自分との共通点など見当たらない。
眉をひそめて悩みながら、何気なく球体に触れたその瞬間、球体は眩い光を放った。
「眩しっ!?」
光に耐え兼ね目をつむる。
数秒後、光が弱まったのを感じてから恐る恐る瞼を開くと、先程まで球体があった場所に藍色のドラゴンが出現していた。
「さっきの光の玉から産まれたの……?」
大きさは体を丸めた状態で先程の球体と同じくらい。小さなドラゴンは薄目をあけると、翼を広げて大きく伸びをした。
片翼だけで胴体くらいの大きさがある。その胴体はすらりとしていて、背中にはいくつかの棘が生えている。頭には小さいながら角も二本生えていて、小さくても凛々しい雰囲気が漂っている。
「うーん……あ、おはよう!」
ドラゴンが喋った。わお。
「きみがぼくとおんなじもの?」
たどたどしい言葉で、質問を投げかけてきた。喋り方は子供そのもので、こちらを見る水色の瞳も透き通っている。
一気に可愛い方面へ雰囲気がシフトした。
「そ、それはあたしが聞きたいんだけど……あなた、名前はなんていうの?」
「ぼく? うんとね、リールっていうよ!」
「あたしは仲河夢心。よろしくね」
元気よく答えてくれたリールに友好を示そうと、握手の代わりに人差し指を差し出した。
リールは何故指を差し出されているか理解していないようで、指先をしげしげと見つめた後、舌でぺろりと舐めた。ざらざらしていてほのかに温かい。
握手の説明をしようかと考えたが、可愛いのでこれでよしとした。
「リール、あなたはどこから来たの? 同じって、どういう事?」
「ぼく、ずっとうえからおりてきたの。くらいところにいて、どうすればいいかわかんなくて。そしたらぼくとおんなじものがここにあるってわかったから、おりてきたの!」
興奮気味に尻尾をパタパタ動かしながら、リールは一生懸命に説明してきた。
ずっと上にある暗い場所。おそらく、宇宙空間のことだろう。リールは宇宙で生まれて、あたしのことを見つけて、ここまで来たらしい。
「え、まさかあたし、宇宙人と邂逅しちゃってるの……?」
そう考えると興奮してきた。漫画やゲームが趣味で、ファンタジーな世界観にはとても憧れを持っている。その片鱗と触れ合えていることが堪らなかった。
いきなり現れたドラゴンと普通に会話出来ているのもその影響である。
「ねえねえ! ムウはなんでぼくとおんなじなの?」
「ムウじゃなくて夢心。むく」
「ムウ!」
リールには夢心という発音が難しいようだ。頑張って言おうとしている姿が、やはり可愛いのでよしとする。
「なんでって言われても、あたしも同じだってことはなんとなく分かるんだけど、理由はさっぱりなんだよね。リールにも分からないとなるとお手上げだなあ」
「ムウにもわかんないのかあ、わかんないの、いっしょだね!」
リールは羽までパタパタと動かし始めた。笑みの隙間からは立派な牙が見えるのだが、噛まれる心配はなさそうなので、むしろ八重歯のようにチャーミングに見える。
つられて笑みがこぼれる……というよりにやけてしまう。分からない事だらけだが、あまりの可愛さにやられて、リールを飼うことは心の中で決定事項となっていた。
この家はペット可なマンションだ。親も殆ど家にいないので大丈夫だろう。
「ねえリール、あたしと一緒に暮らす?」
「いっしょにいる!」
一応本人の意思も確認しておく。嫌がりはしないだろうと思っていたが。
頭を撫でるとリールは気持ち良さそうに目を閉じる。完全に懐いている。可愛くてたまらない。
問題なのは飼い方だ。宇宙で生まれたドラゴンの飼い方なんて、一介の高校生に分かるはずが無い。
だが、頼れそうな親友がいる。物知りで、特に理科系の科目が得意な彼女なら、ドラゴンとまではいかなくてもトカゲの飼い方くらいは熟知していそうだ。
詳しいことは明日学校で聞くとしよう。今はこの可愛いドラゴンともっと話がしたい。
まずは晩御飯の用意をしなければ。雨に打たれて体が冷えているから、温まるものを作ろうか。
帰りの遅い両親の分も含めて、もっぱら家事は自分が担当している。得意と言える程ではないが、料理もそこそこできるのだ。
「リールは何を食べるの? 今からご飯作ろうと思うけど、好きな物ってある?」
「たべる? すきなもの……ムウ!」
「嬉しいけどあたしは食べられないよ? いや、ドラゴンなら食べちゃうのかもしれないけど、やめてね?」
思えば生まれてからまだ10分も経っていないのに、食べ物の好みなどあるはずがなかった。むしろ得意料理を食べさせて、味を覚えさせた方が今後楽かもしれない。
赤ちゃんといえばお乳、牛乳を使ったものがいいだろうか……それならあれがいい。
「じゃあシチューにしようか。もし食べられなかったらそのとき考えよっと」
「しちゅ! たべる!」
「それならパンだよね、特売の食パンがまだまだあるから主食はそれで……」
頭の中で手際よくメニューを考えながら台所へ向かう。置いて行かれると思ったのか、リールは慌てて後を追いかけるように飛んできた。
出来上がったシチューを美味しそうに食べるリールを見ながら、あたしは久しぶりに孤独ではない夕食を楽しんだ。
閲覧して頂きありがとうございます。
あらすじにも書いた通り、ゆっくり更新でいきます。
その合間には他の作者様の作品や、私の前作品「宿花に願いを乗せて」( https://ncode.syosetu.com/n6579eu/)などを読んでいただければと思います。
よろしくお願いします。