転生少女、こっそり家を抜け出す
産まれて八年が経過した。
今は八年五ヶ月目、秋の深夜だ。
八歳になった私はこの世界に関する知識を補完することに成功していた。相変わらずここが何年未来の世界なのか算出出来ていないが、家で得られる知識はほぼ全て補完したと言っていいだろう。
しかし未来というものは素晴らしい。
木材で住処を作る発明、鉄の純度を上げる為の発明、剣術の発達。この未来で数え切れないほどの真新しさと触れ合ってきたが、特に今この手に取っている本というものは素晴らしかった。
遥か昔に石版に刻んだものを文字として扱ってきていた私だが、未来では木々を溶かして作った真っ白な紙というものが存在していた。
紙にインクで文字を記し、それを束ねて本にすることで、その人が生涯得た知識を手のひらサイズに収めることが出来るのだから本当に素晴らしい。
家には本棚が二つ存在し、親の目を盗みながら全てを読み漁っていた。家に存在する本は軒並み剣術に関する本で、本それぞれの流派ごとに型を描いていた。
一日二時間、三ヶ月をかけて三八〇冊の本を読み漁った。中にはあまり興味を惹かれない、経営や哲学などの本もあったが、非常に有意義な時間であった。
けれど、自分が真に望む情報はここに存在しなかった。
古代龍が死んだ年代をそれぞれ記している本があればいいのだが、そんな都合のいい本はこの家には存在しない。
なので今夜、家の外へ探しにいくことにした。まだ寝る時間を調整出来ない子供を装い、たっぷりと昼寝をしたし、外の地図も確保したから準備は万全だ。
一階から魔力が静かに活動している気配を感じ取る。二人分の気配、親の気配だ。魔力の落ち着きから見て、確実に深い眠りに入っている。おそらく朝まで目を覚ますことはないだろう。
私はベッドから起き上がる。
意味もなく息を潜め一切の足音、物音を立てないよう立ち回る。忍び足で二階の窓に手をかけ、摩擦音を立てないよう指先の繊細な神経を駆使し、ゆっくりと開く。
胸程の高さはある壁をよじ登り、窓枠に足をかけた。
そして塀の外へ飛び立とうと足に力を込めた、その瞬間だった。
「あらあらお嬢様、こんな夜更けにどちらへお出掛けですか?」
不意に上からミリの声が響いた。
想定だにしていなかった私は、慌てて首を振り上げる。軒先が邪魔して上が見えないが先ほどまでなかった筈のミリの気配が屋根の上にあった。
私が生物の気配を感知出来なかった。………ありえない話だ。いや、実際に起こっているのだからありえないという表現は可笑しいのだが、それでも信じがたいことだった。
周囲から言葉を借りて気配という曖昧な表現をしているが、実際は魔力の位置、濃度を鮮明に読み取り姿形を算出しているものだ。
息を潜めてじっとしていたからと言って読み取れなくなるような甘いものではない筈。
まぁ未体験のことに対しいくら思考だけを廻らせたところで答えが分かる訳ではない。私は外から窓を閉め、軒先へ腕を伸ばし飛び上がった。
軒先を掴み、屋根の上へよじ登るとそこではミリが片膝だけ立てた胡坐を掻いていた。ロングスカートなる代物で下着は見えていないが、少し野性味を感じさせる体勢だ。
「ふふ、おはようございます」
そう言ってミリが私に向ける笑顔は、普段通りの違和感ない優しい笑顔だ。
「何故、とお嬢様は考えているのでしょうがそう言った類の質問には一切答えてあげませんよ。私はメイドとして、お嬢様の付き人として成すべきことを成すだけです」
ミリは組んでた胡坐を解き、おもむろに立ち上がる。
連れ戻される、と危機感を抱く私であったが、同時にかすかな期待も抱いていた。理屈は分からないが、ミリは私の気配察知を欺く術を持っており幼少期とはいえ私を上回る力を誇っていた。
即ち、私を楽しませられる術も持っていておかしくないということだ。
今はお互い武器を携帯していないが、私は戦闘態勢へと入る。対するミリは、私へ右手を差し出し、小さく首を傾げながら微笑みかけた。
「お嬢様、私も連れてってください」
「は?」
てっきり連れ戻される流れかと思った私は呆気に取られてしまう。右腰前に構えた拳をチラリと見て、体勢を戻さず再びミリを細目で捉える。
「折角だし戦わない?」
「それはダメです!」
ミリは小刻みに首を振り、いつになく真剣な顔で拒否してくる。と、いうか初めて笑顔を崩したのを見た。
「私はメイドですから怪我させる訳にはいきません」
「え、別にいいじゃん。やろうよ、お互い殺しはなしでさ」
別に怪我させるとか気にしなければいいのに、ミリは何を言っているのだろうか。
流石に殺してしまっては相手が消えてしまいつまらないが、別に死ななければ、更に言うのであれば四肢を切り落としたりして生物としての機能を削ぐようなことをしなければ何度でも遊べる。
今回お互い拳だ。剣ならそういう事故もありえるだろうが、拳なら余程力量を見誤らなければ殺すようなことはない。
「む、来ないならこっちからいくよ?」
中々戦闘態勢に入らないものだから、待ちくたびれてしまった。流石に攻撃を仕掛ければ嫌でもやるだろうと、かなりの手心を加えて飛び掛る。私が想定している程の彼女であれば軽くあしらえる程度の攻撃だ。
ミリの顔面を目掛けて一直線に、単純な軌道で、拳を振りかぶる。ミリが普段から気にしている顔面へ拳を振るっているというのに、顔色一つ変えず微動だにしない。
前髪を掠めるよう拳を振るったものの、最期までミリは動かなかった。
外した拳をあえて大きく振りかぶり、身を翻しながらミリの左後方へ着地する。そんな私へ彼女は振り向き、優しく微笑んだ。
「これで分かって戴けましたか? 私はお嬢様のメイドでございます」
「………余計相手にしたくなっちゃったんだけど」
いくら手加減したとはいえ、顔面に迫り来る拳とは本来恐ろしいものである筈だ。ましてや私は跳躍していた。普通衝突するなりなんなりの危機感を抱いての行動を取るのが普通なのだが、ミリは前髪を掠める程の拳を何食わぬ顔のまま、ただ目で追っていた。
そんなのは普通、というか私でも出来ない芸当だ。加えて彼女は一柱の神からしか寵愛を受けていない少し優れただけの人間だろうに。
「私の望みはただお嬢様に従い、その芳しい香りを堪能することです。戦うことではありません」
「忠臣みたいなこと言ってるけどただの変態だよね。絶対嗅がせないからね」
「その点はご心配なく、お嬢様の香りが定着したベッドなどで楽しんでおりますので手は煩わせません」
「クソかよ」
度々ミリの気配を読み取れなくなることはあったが、それは魔力が読み取れない距離まで移動してた訳ではく、先ほどのように気配そのものを消していたのだろう。
そんでその時に部屋に忍び込んだりしていたのだろうか。
「でもやはり直に嗅ぎたいというか…… ここ二年お預けで悲しいのですよ?」
「嗅がせたらやらせてくれる?」
「………なるほどです」
ミリはいつになく真剣な顔で悩む。私の匂いを嗅ぐ権利と戦わなければならないことを天秤にかけているようだ。
「週一嗅がせてあげるよ?」
「………うーん、まだ足りませんね」
「───、週三」
「もう一息!」
「一日一回」
「戦わないで毎日嗅ぐって出来ませんかね」
「とんだ茶番だったよ」
先ほど彼女の様子を真剣、と評したが撤回しよう。こいつに真剣とかいった単語はないようだ。
真剣に見えたそれはおそらくフリ、私をからかう為のブラフだろう。
「ま、その気がない奴とやってもつまらないだけだしね。別にいいよ、一緒に行こっか」
「えっいいんですかー、やったー」
ミリは両手を合わせ棒読みの台詞を吐きながら喜ぶ。
ちなみに連れて行くという選択肢を取ったことに深い意味はない。ミリとは気づいたら一緒に行動している。何故かは知らないが、私にとってそういう奴なのだ。
長ったらしいタイトル、近いうちに変えとこうかね