ローズ辺境伯、来訪
入試から戻って三日目の昼間。僕はなるべく早く支度を整えるようにとのリコンからの忠告で、一箱のスーツケースに入れるべき荷物を厳選していた。
普通なら普段着を持っていきたいが、貴族の家に合うような服は持ってない。ならば枕をとも考えるが、貴重なスペースの大半を枕で埋めるべきなのかが悩ましい。
現在スーツケースに入ってるのは、使い慣れた羽ペンとインクだけ。
入ってないもので持っていくことが確定してるのはパジャマ数着と、形見の剣、使い慣れた模擬剣だけだ。
スーツケースと箪笥の間を何往復もしながら、持っていくものを考えていた。出来ればリコンに聞きたいところだけれど、現在リコンはローズ家を迎える準備に忙しいとかで取り合ってくれない。
そうして悩みぬいた末にこの時間が勿体ないと気づいた僕は模擬剣を手に取って、形見の道場の教室へと向かった。
一度頭を空っぽにしよう。剣を振り上げたその瞬間、リコンがノックもせずに扉を開けた。
「シオン! ローズ家のババアが来おった! さっさと剣持ってうちんとこ来ぃや!」
「えっ?」
もう? まだ許可が貰えたという手紙すら届いてない段階だと思うのだけれど。
若干呆気に取られながらも、僕はキビキビとリコンについていく。
リコン道場の庭には、黒い馬車が二台泊めてあった。馬車は大人が立って入っても収まりそうなぐらい高く大きく、側面の扉には金色の薔薇模様が彫られている。それを牽引する黒馬の毛並みは艶やかで、足も引き締まっていた。
よそ見する僕の腕をリコンは引っ張り、道場内へと引き込んだ。そのまま扉も閉めず駆け足で待合室まで走る。
「やーやー、連れてきたでー!」
リコンがこれまで露骨なものもないであろう作り笑いをしていた。そんな作り笑顔が向ける先にはクレティア=ローズと、彼女によく似た女性がいた。
クレティア=ローズはスタイルにフィットした活発に動きやすい服を着用していたが、女性の方は見たことないような優美な紅いドレスを纏っていた。
おそらくクレティア=ローズの母だろう、という推測には至ったがが十三歳の母にしては若々しい見た目をしていた。
僕と関わる人の年齢は、二十歳前後か四十前後のどちらかが多い。女性は二十歳前後と言っても疑いようのない見た目だった。
「相変わらず行動が遅いですね」
「あんさんが速すぎるんやろがい……」
彼女はただソファに座っているだけだというのに、レイ様やリコンが鍛えてくるときと同じような覇気を放っていた。
同じく隣で座っているクレティアが委縮しているように見えた。
「まーまー座りや!」
リコンは僕をソファへ、細かく言うとローズ母の前へと力づくで座らせてきた。
普通クレティアの前なのでは? と思ったのだが、リコンがローズ母の前に座りたくない故に、僕をここに座らせたのだろう。
正直僕も一目見ただけで委縮してしまうような人だったので、ここに座らさせられたのは不幸を押し付けられたに等しかった。
「え、えっと。おはようございます?」
「初めまして、シオンさま。私はローズ家の当主、アスティア=ローズです」
僕のたどたどしい挨拶に、アスティア=ローズは落ち着いた雰囲気で返してきた。
膝の上で軽く重ねられた両手を支点に、伸ばした背筋のままゆっくりと頭を下げてきた。
「えっ、あっ」
突然の貴族的な所作に、僕は戸惑いリコンの方を見上げる。リコンはそんな僕の様子に呆れてか、左肩を強く握って、耳打ちしてきた。
「貴族に対する振舞い方は教えたやろ」
「………」
僕はゆっくり深呼吸をして、両手をそれぞれの膝の上に乗せ、両足を僅かに握りこぶし一つ分だけ開いた。そして垂直に足を立て、正面の二人へと向き合う。
「初めまして。既に存じ上げているようですが、シオンと申します。リコン義兄さんのところで居候しています」
素早く頭を下げ、ゆっくりと頭を上げる。すると、品定めするような目つきで見ているアスティアと、やたら落ち着かない様子で母を見ているクレティアの姿が目に映った。
少しの間無言が続けば、自分の心臓がバクバクと言い出した。
グレイラット学園で子供達に見られた時とは比べようもない緊迫感だった。彼女の指先一つからでも伝わる洗練された所作が、高貴な身分であることを証明していた。
彼女は今、高貴な貴族として、僕を見極めているようだ。
「娘から話は聞いています。グレイラット学園に通うまでの半年、当家の使用人として雇いたいと」
「はい、おっしゃる通りです」
再び沈黙が続く。僕は身体を強張らせながらも、その値踏みするような視線に目を合わせ続けた。
「許可しましょう」
その言葉に安堵を覚え、僅かに顔が綻んだが慌ててそれを戻す。
「ありがとうございます」
「細かな雇用形態に関しては後に執事長も交えてお話をしましょう。ところで、荷物は用意出来ていますか」
「いいえ。そのことで一つ伺いたいのですが、何を用意すればよろしいのでしょうか」
その問いに、アスティアは考える素振りすら見せず答える。
「剣と寝巻きだけ用意しなさい。当家の執事として勤める以上、普段着は当家指定の物になります。娘の友人として招く以上、部屋も用意しますし、足りない物もある程度はこちらで取り揃えましょう」
「ありがとうございます。言われた通りに用意いたします」
そう答えると、アスティアの眉がピクリと動いた。それを見たリコンが慌てて僕に耳打ちしてきた。
「言われた、は印象が悪いんや。仰せの、とかにせい」
敬語一つ失敗しただけで、これほどリコンが慌てるというのか。僕はつられて内心で慌てながらも、態度では落ち着いて頭を下げた。
「申し訳ございません。仰せのままに用意します」
「よろしい。準備が出来次第ここを発ちます、お行きなさい」
「失礼します」
最後に頭を軽く下げて、一度頭の動きを止めてから真っ直ぐ席を立った。そして体が斜めらないように、慎重に丁寧に歩いて扉へと向かった。
すると、後ろの見えないところでアスティアが口を開いた。
「リコン、貴方は残りなさい。子供を盾にする卑怯者にお話があります」
「………今反省したから許してぇや」
声に反応してピタリ、と止まった身体を再び扉へと動かす。
これからリコンは何を言われるのだろうか。その後の展開を想像して、少しでも巻き込まれたくないという気持ちが芽生える。僕は急ぎ足でその場を離れた。
リコン道場の出口に手をかけようとすると、後ろから声をかけられる。
「私も連れていきなさい!」
「………男一人の家ですよ、他の人に見られたらどうするんですか」
「安心しなさい、ローズ家は問題児の家よ。その程度の傷で揺らぐやわな家ではないわ」
と、彼女は独自の理論を振りかざして僕の家まで無理矢理ついていった。
リコン道場と僕の家はそれほど離れておらず短い道のりだが、その道中でクレティアは衆目を集めていた。試験中は激怒だったり、横暴な態度だったりとしているが、基本的には美人と呼ばれる程には美貌が良い。
そんな彼女を家に入れる…… さて、近所に何を言われるのやら。今日すぐに発つとはいえ、叔父さん叔母さんは大体何年経っても子供のことは覚えてるんだよね……
億劫な気分になる自分の後ろで、クレティアはドゥラッタの街並みが珍しいのか目を輝かせて見回していた。




