転生
────ここは、どこ?
それが私が意識を取り戻しての第一声だった。
見たこともない艶やかな天井、上には炎を点す松明ではなく白く輝く発光体が取り付けられている。
そして私を囲う金属の柵。鉄棒一本一本が歪んでおらず、規則正しく並べられている。ここまで精巧な加工品は見たことがない。
私は思い出すと同時に確信した。
ここは転生後の世界。私は転生することに成功したのだと。六千年後かどうか定かではないが、一先ず転生出来ないかもしれないという不安は無駄骨に終わったことに安堵する。
「あ、あうー、あっ!」
癖で独り言を話そうとするが、発声器官が未発達なのか思うように声を出せなかった。
目を覚まし寝っ転がった状態でも、石ではなく継ぎ目一つない平らな天井が目に飛びつき、赤子である自分の身を細長く映す鉄の棒を見た。鉄は黒く濁っておらず、光を鈍く反射させている。自分が無理矢理鉱石を圧縮して作ったエストックより輝いていた。
思えばここは遥か未来。八十年という短い時代でさえめまぐるしい変化があったのだ。この時代には、私の知的好奇心を刺激するようなものがありふれていても不思議ではない。
しかしここは本当にどこなのだろうか。柔らかな地面の上、私は思うように動かない身体で寝返りを打った。
振り下ろした右腕が鉄棒の柵に当たり、一本の鉄棒がひしゃげてしまう。
流石にこれに関しての知識はないが、壊してしまったということぐらいは分かる。やはり赤子の身体では力加減が難しいのだろう。
周囲を見渡してみれば、それぞれ壊されたような跡、修繕したような跡が見受けられた。元々壊れやすいものなのか私が壊したのかは分からないが、後者と考えるのが普通だろう。
思えば一度目の人生で物心が付いた頃も、周囲の木々が折られていた記憶がある。多分私が折ったものだ。
しかし本当ここは何処なのだろうか。平らな天井に壁と地面。地面は土ではない、魔獣の皮を敷いているのだろうか。
後は見慣れない何か…… 道具だろうか。縦に長方形な木の箱を仕切りで区切ったものや、如何にも座りたくなるような形をしている、腰掛だろうか。腰掛がある。
ガチャリ、と壁から音が響く。条件反射で振り向くと、四角く薄い板が壁から離れていた。そこには、奇妙な装飾が施された服を身にまとった女性がいた。
黒いヒラヒラした服に白い前掛けた。
「あらお嬢様、今日は起きるのが早いですね」
女性が私に何か話しかけてきているようだが、生憎何を言っているのか分からない。
千年単位の未来では、私の知りうる言語は既に無きものとして忘れ去られている可能性も高いだろう。
女性の肌は荒れておらず、金色の長髪も滑らかで腰まで伸びた長い髪だというのに不潔さは一切感じられなかった。顔の造詣の含め、今まで見た中で最も容姿が整っていた。
右手の先を右頬に添え、ひしゃげた鉄棒を見やる。
彼女は鉄棒と私を交互に見て軽く微笑むと私を抱き上げ、耳元で囁く。
「私の名前はミリ、私はミリ、ミリ。ミリですよ覚えてくださいね」
呪文の詠唱ではなさそうだ。となれば私に何か話しかけているのだろうが、生憎言葉は分からない。分かったのは、ミリという単語が存在して、それが重要であるかもしれない、ということぐらいだろうか。
というより、彼女は私の母親なのだろうか。
最初の人生では生まれながらに森に捨てられ、天涯孤独だったから家庭とかそういうものは知識でしか知らない。
けれど、赤子を抱える女性と言えば母親なのだろう。
彼女は耳元から口を離すと、私の目へ覗き込むように視線を合わせる。彼女の眼球に、赤子の姿が映る、私の姿だ。
彼女は小さく息を吸い込み、呼吸を整えると、頬と頬を近づけた。
赤子の柔肌と艶やかな肌が引っ付き、擦れあう。彼女は艶やかな肌を私に押し付け、上下にすり合わせた。本来生まれた段階で普通の大人より強い筈なのだが、強く押し付けられた頬から気持ちよさ、僅かな熱と痛みを感じた。
「あっ、うーああ!」
やめて、と意思表示したいものの発声器官が未発達で言葉での意思表示が出来ない。丸め込まれた両腕を伸ばそうと、必死に腕に力を込めるものの、赤子の身体では思いの他力を発揮出来ないようだった。
女性を引き離すことが出来ず、成すがままに頬ずりをされてしまう。
鼻歌交じりで楽しそうなのは良いことだが、頬ずりされてる側は不快だ。加えて引き離せないのだから更に不快だ。
そんなことを考えながらも頬ずりを受け入れていると、壁の向こう側から男の気配がした。およそ二十八歳、魔力の総量は少ない男だ。
男は大きな足音を立て、こちらへと駆け寄ってきている。
「レイちゃんおっはよー!」
彼女と同じところから現れた男は若干の無精髭を生やしていた。纏っている服は少し小さいのかそういう服なのか、細い身体に付いた筋肉を主張している。
「ご主人様もおはようございます。ほら、お父様に挨拶しなさい」
彼女は男に向かって頭を下げ、私の手を掴み無理矢理男へと振らせる。
すると男は私と彼女へと両腕を広げ飛びついてきたので、女はそれを華麗な身のこなしで避け、にこりと作り笑顔を男へと向けた。
「何度も言いますが、主人はお嬢様になるべく触れないようお願いします」
「なぁ、少しだけ。少し触るだけだから、な。お母さんに内緒で、な?」
「先週そう言ってお嬢様に骨を折られましたよね。数日とはいえ、仕事に支障をきたすと私と奥様が困ります」
会話の内容は分からないが、立場的には女の方が上なのだろうか。男は両手を合わせ必死に懇願するのに対し、女は私をあやしながら男に侮蔑の目を向けていた。まるで領主と搾取され続ける領民の図だ。
ついに男が辛抱を切らしたのか、再度両手を広げ私へと飛び掛る。飢えた狼のような視線が刺さる中、女は再度華麗な身のこなしで男の動作を捌いた。
一度目とは違い、避けるだけではなく飛び込んだ勢いのまま無防備になった背中に拳をぶちかまし、倒れた男の身体を素足で踏みつけた。
「さ、お嬢様。あんな男はほっといて奥様におはようしましょうね」
女は私に微笑みかけ、抱き抱えたまま壁に繰り抜かれた四角を通る。
地に伏して気絶した男は気にもかけず、そのまま階段を降り、もう一人の女性へと話しかける。
「奥様、お嬢様がお目覚めになりました」
「そうかい、レイちゃんおはよー」
女は肥満、とまでは行かなくともそれなりの脂肪と少しの筋肉を感じさせる風体だった。太っている、ということは食料に恵まれているということ。彼女は大きな国の領主とかそういうものだろうか。
などと癖で思考するが、ここは遥か未来だ。周囲の風景からしても、今の己の価値観で判断しないよう心がけておくべきだろう。
「あ、あうー」
言葉は通じないが、太っている彼女は視線を合わせ、私へと笑顔で手を振ってきている。先ほども手を降らされたこともあるし、この世界のスキンシップなのだろうと判断してもよさそうだ。
「あらあら、挨拶出来て偉いですねー」
女は私の頭を優しく撫でる。先ほどまで痛いと思える程頬ずりしてたのが嘘みたいな優しさだ。
「そういや旦那はどうしたんだ、さっき階段駆け上ってたけどまた右腕を折られたりしてないかい?」
「ええ、懲りずに無精髭を押し付けていましたが今回は気絶する程度で済んだようです」
「はぁ…… またキツく言っておかないとダメだねぇ」
太ましい女は非常に落胆した様子を見せ、私を抱きかかえてるヒラヒラの女は若干性悪入り混じった笑みを浮かべていた。
「では私はこれにて、絵本を読み聞かせてきます」
「ああ、頼むよ」
ヒラヒラした女は身を翻し階段へと向かおうとすると、太ましい女が再度追って声をかける。
「ああそれとミリ、一ついいかい?」
「なんでしょう?」
「確かにその子を任せっきりにしてるのは悪いと思うけどね、うちの子が嫌がることはやめなさいよ」
「ンフッ、了解でーす」
ヒラヒラした女は卑屈に笑うと、階段を跳ねるような足取りで、かつ音を立てずに駆け上がる。
そうして戻された元の場所、おそらく私の寝床。
地面には相変わらず男が倒れたままだ。ヒラヒラした女は男の襟首を掴み、長方形の切り抜きから空間の外へ投げ出す。切り抜きを板で埋め、ガチャリ、と何やら音を立てると女は私に獲物を狩るような視線を向けた。
危険を感じ咄嗟に逃げ出そうと身を翻したが、何故か女の方が私より素早く掴まってしまう。
この後は私が疲れて眠るまで身体を堪能された。