グラファニーとの約束
それから少し、本当に少しばかりでグラファニーは目を覚ました。
単に気絶していただけではあったが、目覚めは思いの他早かった。星の位置も戦いが終わった頃とさほど変わりない。
「おや、もう大丈夫なのかい?」
「これきしの痛みで動けぬのであれば古代龍を名乗る資格はない」
グラファニーはそう言うが、体躯の割に小さな目を歪ませて必死に堪えている。古代龍曰く、如何なる時でも気丈に振舞うことが古代龍故の誇りだそうで。
それを言った本人は敗北を喫した時に姿を消したが、なんとなく戦う前のそいつを思い出した。
違うところと言えば、負けた後にそう振舞っているというところだ。
「とはいえ、もう一眠りしたいのが本心ではあるがな。さて英雄グレイラットよ、少し話をしようではないか」
「いいよ、私も君に関心を持ったところだしね」
古代龍は身体を丸め、星の重力に従うよう地に伏せる。私はグラファニーの視線の先に座り込み、胡坐をかき、膝に頬杖をつく。
「よもやあの古代龍様が卑劣な手を使うとはねぇ、驚いたよ」
あれは本当に驚いた。古代龍という種族は誇り高く、奇襲どころが相手の思惑を欺くような行為を嫌う種族だ。正面からブレスを吐き、一直線に重厚な爪を振り下ろし、悪知恵を駆使するようなことはしない。
私にゃ理解出来ないが、古代龍は戦闘という行為に美徳を見出しているのだろう。
「勝てなければ誇りなど意味を持たない。それを知らしめたのは貴様であろうに」
「そうかい? 私が知る古代龍は他種族に負けたら自決するか、それを必死に隠すような奴らばっかりだからねぇ」
私は意地汚く嗤う。グラファニーがそこいらの有象無象と違うということぐらい分かるが、生憎卑屈に育ってしまった私は他人を卑下せずにはいられなかった。
グラファニーは真黒な目を細める。
「そうだな、古代龍なんぞろくな奴がおらん」
帰ってきたのは意外な返答だった。いや、古代龍でありながら小細工を使うような異端者であれば当然な返しか。
「滑稽であったわ。確かに我は貴様に負け、見苦しくも生きることを選択した古代龍で、確かに非難される言われはあるだろうがな」
「へぇ」
グラファニーは憎らしそうに額を歪める。
「それは奴らも同じであろうに。全ての古代龍は貴様に敗北した、それは古代龍全てが知りうる事実だというのに、奴らは我だけを寄って集って非難しおった。負けを認め、紳士に受け止めようとした我だけを非難し、自分達が負けたという事実を消そうとした」
「分かるねぇ、それ」
グラファニーの思い浮かべている光景は、おそらく私の倒した七体の古代龍から迫害される光景だろう。
古代龍はプライドが高く他種族を下に見て生きている。実際私を除けば敵なしなので自然なところではあるが、それ故に人間である私に負けたということを認める訳にはいかなかったのだろう。
褒められたことではないがそれも生物だ。
「奴らも分かっておらぬよな。如何に惨めな敗北を味わおうと如何に凄惨な日々を送ろうと全ての物事に真摯に向き合い、決着を付ける。それが強者としての宿命であろう?」
「いや、私負けたことなくてね。栄光と賞賛の日々だったから分からないんだよねぇ」
お主もそうであろう? と言いたげな目を向けられたとして、私に理解出来る筈がない。
「む、貴様幼少期に大人に負けたりとかしなかったのか?」
「生憎物心付く前から人間の中では最強だったよ。大人と子供の差なんて馬鹿かどうかじゃないかねぇ」
未だに大人が強いということが理解出来ていない。物心付く前に森に捨てられて、物心付くころには森最強の存在で、森を出ることを決めた頃には人類最強だ。
その時私はまだ体が小さく、筋肉で引き締まっただけの貧相な体型だった。まぁ、ついぞ最期まで貧相だったがね。
独り言が脱線しそうになった。まぁつまるところ、そもそも私と人類では次元が違いすぎて年齢とかそういうものではなかった。
「………では敗北の味というものを知らぬのか」
「そうだねぇ、君は私に二度も負けたんだからさ。敗北の感想ってものを聞かせてくれないかねぇ」
敗北の感想。人間に対し何度も聞いたことがあるが、満足した答えは得られなかった。曖昧な持論に根拠のない理論を並べ立て、漠然とした言葉だけを並べる。
そして最期には決まって同じことを言われる。
「敗北というのはな、あー。凄く悔しくて、負けたという後悔が重く圧し掛かってくる。精進が足りなかったとか判断を誤ったとか、そんなやつだ」
それはこのグラファニーも例外ではなく、私が理解出来ない事象を並べ立てる。
「………まぁ、敗北を味合わないと分からぬことだろうな」
そして決まった定型文を最期に発する。
毎度向けられる語り終えた後の満足気な瞳は、最強の名を冠し、無敗のまま生きてきた私を嘲笑っているかのように思えて嫌いだ。強さの価値が否定されているような気分になる。
「別にいいけどね、で、君は何を話したいんだい?」
「ふむ、話というよりは我からのお願いではあるのだがな。貴様と再戦の約束を取り付けたい」
グラファニーのその申し出に眉がかすかに反応する。
横目で彼の瞳を覗き込むと、奥には敵意が潜んでいることが窺えた。稽古をつけて貰いたい訳ではなく、今度こそ勝つ為に挑みたいと、そう言っているようだ。
その野心は大したものだが、私は鼻で笑わずにいられなかった。
「よく見てくれよ。わたしゃ婆さんさね、君は私が生きるかも分からない十年のうちに勝てると本気で思っているのかい?」
古代龍が小細工を弄するようになったのはいい変化だ。能力自体も今まで戦った中では最高峰だろう。
しかしその程度。圧倒的有利な状況から始めた戦いはひっくり返され、巨大な体躯を誇っておきながら私には一撃で倒される程度だ。
「その通りだ。我が残り十年で敵うなど到底思ってはおらぬ。貴様に再戦を挑むのは、六千年後、我が万歳を超え全盛期となった時だ」
「………馬鹿なのかい?」
古代龍が長生きなのは知っている。でなければ古代の龍なんて呼ばれないだろう。けれど私は人間だ。およそ六十年しか生きられない、本来脆弱な生命体だ。
およそ八十歳と人間の割には長生きな私ではあるが、例に漏れず身体は衰え近寄る死の気配を感じている。
「いや、貴様が寿命を迎えることぐらい分かっておる。そこで提案があるのだが貴様、転生の秘術を完成させてみないか?」
「テンセイ?」
「そう、転生だ。遥か先の未来に生まれ変わる秘術…… とは言っても未だに完成しておらぬのだがな。ここに先人の研究が刻まれておる」
グラファニーはそう言うと、口から石版を吐き出した。涎が付いて少々臭いがキツイ石版には、テンセイとやらに使うであろう魔法陣が刻まれていた。
「これは過去に古代龍と関わった人間が生み出したものでな。奴が最期に生み出した失敗作とのことだ。確か、魂の転生には成功したものの記憶を全て失ってしまったと聞いたな」
私はグラファニーの話を耳に入れながらも、石版に刻まれた魔法陣を分析していた。
魔法陣に刻まれている術式は、肉体そのものが魂であるという理論の元構築されたものだった。その証拠として術式には、肉体を分解し再構築する要素しか書かれていなかった。
つまり失敗した理由は、魂の転送し忘れ…… っと、考えるのは後にしようか。
「うん、私になら多分完成させられそうだよ」
「そうか、では我の願い、聞き届けてくれるか」
「大歓迎だね。君が強くなった未来で是非私に敗北という味を教えてくれるかね」
「後悔などさせないと誓おう」
この時、私の胸は最高に踊っていた。
退屈と諦めの日々を繰り返し、人々が望むであろう全てを甘受して生きてきた私に、敗北という初めての感覚を知れるという僅かな光明が見えたからだ。
世界最強の種族である古代龍が、怠けることなく六千年鍛え続けたとしたらどれほど強くなれるのか、想像もつかない。もしかしたら六千年後戦う頃には、私ではなくグラファニーが退屈する側に回るかもしれない。
「そうかい。だとしたら、最期にもう一つ約束をしようじゃないか」
私は人差し指を突き立て、厳かに口を開く。
「次に君と戦う時は、お互い手加減なし。どちらかが死ぬまで殺しあおうじゃないか」
私が不敵に微笑むと、グラファニーはごくりと唾を飲んだ。
「ああ、次が最期だ」
グラファニーはそう言うと、ゆっくり目を瞑ってしまった。つい数秒前まで会話していたというのに、豪快な寝息を立て爆睡し始めた。
考えればグラファニーは先ほどまで気絶しており、痛む身体を無理言って動かしていた。約束を取り付けられたことで、安心して眠ってしまったのだろう。
私はグラファニーが吐き出した石版を再度見つめる。
彼の意思、私の本願を叶えるには、まずこの石版を完成させなければならない。失敗は許されない以上、私は向こう数年は外界からの干渉を断ってでも完璧なものに仕立て上げるべきだ。
残された余生、その歳月は私にも分からない。一年あれば完成させられるだろうが、一週間でぽっくり逝ったら、などと恐ろしいことは考えないことにしよう。
私は両腕を広げて抱きかかえる程大きな石版と共に、研究室として使用している洞穴へと身を隠した。