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軍神の落とした金タライ

 目が覚めた時は、教室の綺麗な床の上だった。近くには金属で出来た黄土色の桶が落ちていた。アレス様が指を鳴らしたと同時に落ちてきたのだから、タイミング的にアレス様が用意したものだろう。


 神様が地上に授けたのは教会に祀られるものだ。なんせ加護を授かるのと同様に、地上に物品を授けるというというのは滅多にない。

 つまり相応に貴重、というか神聖な物なのだが授けられた理由を考えるとどうにも納めるのが気が引ける。なんせ僕を気絶させる為だけに授けたものとか、教会に納める価値があるのかどうか分からない。


 でも隠蔽する訳にもいかないので、僕は金属製の桶を大きめのリュックに仕舞いアレス様の教会へと向かう。桶のサイズはリュックに無理矢理詰め込んで入るかぐらいで、リュックの外側からも桶の輪郭が見える。不恰好だ。


 アレス様は神様の中でも有名で、ここみたいに大きな街なら必ず大きな教会がある。目立つので場所も覚えている。

 これがマイナーな神様になると、遠い地方にしか教会がなかったりする。


 十分程歩いたところで、アレス様の教会に到着した。周囲の数ある教会の中でも、アレス様の教会は一際大きい。同規模の教会だと、アテナとかヘパイストスとかがある。ちなみに一番大きいのはゼウスの教会だ。


 僕はアレス教会の重厚な扉に手をかけ、身体を使い押す。実際そこまで重い筈ないのだが、雰囲気に呑まれついつい力を込めてしまった。

 あまりに呆気なく開いてしまった扉によろめきながら教会の中に入る。最初に飛びついたのは、若干薄暗い空間で輝く正面の祭壇、それに続く紅い通路だ。通路の両側には光沢のある黒い長椅子が並べられている。ステンドグラスは…… よく分からないや。


 よく観察すると柱の上部や壁の一部には剣と盾の意匠が施されている。天井も一枚板ではなく、芸術品の一つになっていた。丸みを帯びた天井が波打っているみたいだ。


 父さんはマイナーな神を信仰していたが、有名な神様となると教会の中が豪華だ。僕は思わず見惚れてしまう。


「軍神に愛されし子よ、ようこそお越しくださいました」


 ふとかけられた声に僕はハッと視線を向けると、紅い通路の上で司祭が頭を深々と下げていた。僕も釣られて頭を下げる。

 司祭は黒を基調とした衣装を纏っており、これまた落ち着いた雰囲気だ。


 いつ顔を上げるべきか考えあぐねていると、司祭が先に顔を上げ、僕も釣られて上げる。司祭様はにこやかな作り笑顔を浮かべていた。親しげな印象はあるが同時に作り笑顔だということも分かる。


「ああ、申し遅れました。わたくしはカミニア=イサレル。貴方様の名前を窺っても宜しいでしょうか」

「えっ…… えっと、シオンです。は、はい」


 苗字持ち。それは貴族であることを意味する。貴族と接するのは初めてで、どう接すればいいのか分からなくなりうろたえてしまう。


「シオン様、どうぞ落ち着いてください。ここは我があるじの空間です。軍神は人の概念で人を区別致しません」


 カミニア様は優しい声色で僕に諭すよう語りかける。不思議と落ち着く声だ。


「寧ろ気を遣うべきはわたくしの方でしょう。貴方は軍神の加護を色濃く受けています故、主は私よりシオン様を受け入れることでしょう」


 カミニア様は畏まった雰囲気で僕にそう話す。一般市民の僕は、貴族の礼儀作法を知らないが動作の節節から敬意が見えてくる。


「あの、司祭様にかし、かしま、かしこ…… えっと、特別扱いされたら怖いから、一人の教徒として接してくれる?」

「畏まりました。ようこそ迷える子羊よ、本日はどうなさいましたか?」


 がらりと雰囲気が変わり、よく知る司祭の上から目線に切り替わったところで僕はリュックから桶を取り出した。


「えっとこれ。アレス様から貰ったんだけど、これって奉納するべきなのかな?」


 司祭は目を見開き、一瞬驚いたような顔をする。そして即座に元の雰囲気に戻った。一見変哲な金属の桶だが、見る人が見れば分かるらしい。


「主は強制致しません。本堂に祀られている大剣も元は所持者の物で、不必要になったからと奉納して頂いた物です」

「あ、だったらあげる。でもこれ本当に大丈夫? 邪魔にならない?」

「邪っ…… わたくし司祭と致しましては主から授かったということが重要であり、何に使用するかではございません。何聖遺物は祀り、尊ぶ物です」


 邪魔扱いするのが失礼だったのか、そう表現した瞬間だけ司祭は顔を若干歪めた。


「ごめん、邪魔じゃないね。うん、奉納するよ」

「感謝致します。つきましては謝礼をしたいのでこちらまで来て頂けますか?」


 お礼、と言われると受け取るのも忍びないが、ただ断るのも申し訳ない。

 どっちつかずの思考のまま、応接間へと導かれる。応接間は祈る場所と違ってシンプルな造りで、対面するソファとそれに挟まれるテーブル。それと複数の本棚があるぐらいだ。


「どうぞ」

「はっはい」


 司祭に促されるまま、柔らかいソファに腰をかける。本当にこんなところに来て大丈夫だったのかと不安になりながら身体をちぢ込ませる。


 きごちない動作で周囲を見回していると、司祭が本棚の引き出しから紙と羽ペンを取り出して僕の対面に座る。

 スラスラと慣れた手つきで羽ペンを走らせると、あっという間に誓約書が現れた。


「こちらで如何でしょうか」


 目の前に誓約書を渡され、僕はそれを読み上げる。内容は聖遺物を納める代わりに二百億リルを支払う、というものだった。僕達平民が一生を捧げて働いても到底届かない金額だ。

 当然ながら、僕は慌てて拒否する。


「こ、こんなに貰えないよ!」

「それは失礼致しました。でしたらシオン様はどのような礼をお望みでしょうか?」

「えっと………」

「でしたら、グレイラット学園に通う権利というのはどうでしょうか。見たところシオン様は若いようですし、アレス様に愛されている以上素質はございます」


 グレイラット学園。既に紹介状は貰っている。


「えっと、もう紹介状は持ってます」

「そうでしたか。では学費をこちらで負担させて頂くというのはどうでしょうか」

「学費…… そっか、普通必要だよね。えっと、それならいいのかな」

「分かりました。では話はこちらでつけておきますので、聖遺物を頂けますか?」


 僕はリュックから桶を取り出し、司祭様に手渡す。司祭様は白い布の手袋でそれを受け取り、丁寧にテーブルの上に置いた。


「この後お祈りとかなされますか?」

「特に、帰るつもりだけど」

「でしたら外までお送り致しましょう」


 そう言って、司祭様はにこやかな作り笑顔を浮かべながら僕を外まで送った。多分親切心でやったのだろうけれど、僕を送っている間応接間に残した金属の桶が酷く気になっているようで、視線がチラチラとそっちに向いていた。


 教会に無事奉納した僕は、真っ直ぐ家に戻った。扉を開け、教室に戻った直後アレス様の声が脳裏に響いた。


『おいお前、俺が落とした金タライ知らないか?』

「落とした…… ああ、あの桶のことね。教会に奉納してきたけど不味かった?」

『いや、俺も記念に取ってただけだからどうって…… ってお前、あのタライを聖遺物にしたのか!?』

「そうだけど」

『クッハハ、ハハハ! 随分とヤベーことしたなお前ぇ!』


 アレス様は豪快に笑う。姿は見えないが、目頭と腹を押さえ大笑いしている姿が目蓋に浮かぶ。


『いや、ありゃヘスパイストスっつー奴に悪戯仕掛けた時のタライでなぁ! 見事鼻にダイレクトヒットしたもんで元々ブサイクな顔が目も当てられねぇ顔になって大笑いしたもんよ』

「あの、酷くない?」

『あいつ大激怒したらしいけどなぁ、顔が酷すぎるもんで笑い種でしかなかったぞ。んでそれを記念に取っておいたんだ。正直忘れかけてたんだが、あいつはネチっこいから忘れてねぇだろうなぁ』


 アレス様はヒィヒィ笑い、軽い息切れを起こす。


『そいつが大聖堂に飾られると知ったらあいつどんな癇癪起こすだろうなぁ? 下手したらタライ一つで聖戦になるぞ。ククッ、楽しみだ』

「………今すぐ返してもらいに行く」

『もう遅い。お前が着く頃には俺が神託を与えてる、絶対に返すなってな』

「いや、戦争起きるんだよ!?」

『いや、戦争の神様だが』


 忘れてた、アレス様は争いを司る神様だということを。

 やってしまった、と後悔しそうになったところで、アレス様は溜め息を吐いてこう付け加えた。


『ま、こんなくだらねぇ時代だ。戦争なんてそんなくだらない理由で起きねぇよ。精々あいつの友人が苦労するだけだ』

「それもそうだね」


 僕は一安心すると鉄骨を持ち上げ、身体性能を上げることだけに集中する。練習は精神世界で幾らでも出来るからここでは鍛えることだけに集中した方が良さそうだ。

 そうして身体が疲れきって眠くなるまで、僕は鍛え続けた。

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