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シオン、弟子を辞める

 場面は現在に戻り、僕は師匠に頭を下げていた。

 師匠に対する申し訳なさからか、目一杯下げようと思っていた頭は少ししか下がらなかった。


「………あの、師匠の弟子、やめます。ごめんなさい」


 声も思った以上に出せない。顔は少ししか下がっていないのに、師匠を見るのが怖くて目線を上げられない。

 師匠は僕のお願い、いや覚悟を聞いて黙している。怒っているのか悲しんでいるのか。顔を見れない所為で余計な想像を掻き立ててしまう。


「───理由を、お聞かせ願えますか?」


 師匠は僕に歩み寄って近くにしゃがみこむと、俯かせていた僕の顔を無理矢理上げた。いつになく真剣な目をしていた。ただその理由を知りたいとその眼力が伝えてきた。

 僕は一度正座を作り直し、身体を師匠へ真っ直ぐと向ける。


「えっと、師匠はアレス様を知っているの?」

「………知っていますよ」


 すこし間があったが、その間が何なのかは読み取れなかった。ただ真剣な顔つきのまま僕を見る。


「僕、アレス様に教えて貰ったんだ。師匠には鬼人と呼ばれた過去があるって」

「…………」

「そしてアレス様が言うに、その頃が一番楽しそうに見えたって。僕も幻覚で見せて貰っただけだけど、僕が見てきた師匠より楽しそうだったんだ」

「今も十分楽しいですよ?」


 確かに、今も師匠は時たま素で楽しんでいるような笑顔を向ける。確かにあれは楽しそうだし、自分も楽しい気分になれる。


 けれど半年、師匠に付きっ切りで鍛えて貰った僕には分かる。師匠は今を心から楽しめていない。笑顔の裏には、いつも悲しげな瞳があった。

 あのアレス様の幻覚にいた、目を爛々とさせる師匠と比べると、楽しんでいないに等しい。


「アレス様は言ってたんだ。今の楽しみは偽りの楽しみだって。僕もそう思うよ、師匠は自由そうに見えて、リコン兄ちゃんと何も変わらない」


 そういやリコン兄ちゃんが楽しそうにしているのを最期に見たのは…… 師匠には関係ないと勝手に浮かんだ幻影をかき消す。


 ふと師匠の様子を伺うが、理解しきれていない様子だった。自覚がない。アレス様も言っていた、偽りの快楽で満足している状態。


「だからね、師匠を満足させる為にアレス様の下で修行してくるよ。今は恐ろしい程に実力がかけ離れてるけど、アレス様の使途として相応しい力を手にして帰ってくるよ」

「…………」


 師匠は黙したままゆっくりと立ち上がる。僕に背中を向け、師匠は自身の服の中を漁りだした。そして取り出される二枚の紙。うち一枚を僕の方面へと雑に投げてきた。

 床に落ちる前に慌てて取った紙には、紹介状と大きくタイトルが書かれていた。右下には僕の名前が綺麗な文字で書かれていた。


「まぁ結局自分を決めるのは自分ですからね。変わったところで咎めたりはしません」


 感情のこもってない無機質な声色で師匠は話す。


「さて、そういえばここは君の道場でしたね。お返しいたします」

「えっでも……」


 僕の決断で追い出すのは、そう言いかけたところで師匠の睨みに遮られた。背筋が凍るような気迫だった。


「これは貴族達の学び舎への招待状です。使うかどうかも貴方次第です」


 師匠は道場を出ていった。悲しげな後姿だったけれど、それを見て誓えた。いつか絶対師匠を喜ばせてみせると。

 扉が閉まってから一分、扉を見つめ続けた。師匠を捨ててしまったという後悔と捨てたという覚悟を何度も反芻した。


 ふと右を見ると、ミリ姉さんの姿も消えていた。師匠に対して覚悟を述べたことで何か言ってくると思ったがいつの間にかいなくなっていた。

 僕はゆっくりと正座を崩し、立ち上がる。師匠の残した鉄骨を持ち上げるが今の状態では師匠のような素振りは出来なさそうだ。


 師匠の残したものを一つ一つ確かめていると、突如脳裏に声が響いた。


『おい、いつまでグズグズやってるつもりだ』

「あっはい! すみません!」


 今の反応も師匠に叩き込まれたものだ。


『あいつに正面切って宣言したと思ったらなんだその間抜け具合は。いちいちそんなものに思いを馳せてたらグレイラットを悦ばせるなんて夢のまた夢だぞ』


 アレス様は師匠以上にずけずけと物事を言うようだ。欠点を指摘されるのは師匠の指導で慣れてはいるが、アレス様はそれ以上に踏み込んでくる気がする。


「それでアレス様、僕は何をしたらいいの?」

『そうだな。一度こっち来い』


 そう言われると同時に、指を鳴らす音が聞こえた。

 突如頭に衝撃に響き渡る。何か硬いものが上から落ちてきたような感覚に見舞われる。薄れゆく意識の中目で捉えたものは、金属で出来た桶だった。


 意識を取り戻せば見える暗闇。アレス様と出会った空間だ。暗闇からだらしない格好の男の子が現れる、アレス様の仮の姿だ。


「えっと、おはようございますアレス様?」

「いちいち俺の名を呼ばんでいい。とにかく啖呵切ったことは褒めてやろう」


 アレス様は僕に拍手を三拍送ってくる。師匠に正直な気持ちを伝えることに必死だったけれど、よく考えればあれは挑戦状を叩きつけているに等しいのか。


「が、お前はお前で解決せねば問題があるのだがな」

「なんですか?」

「言葉遣い。お前神様に対して敬語使わないまま貫き通すつもりか?」


 さっき言葉遣いを無理に使うな、とは言ってきたがこの口調は不快だったようだ。


「………勉強してくる」

「待て、勉強はここでやれ。そっちの方が効率いい」

「なんで? ですか」

「確か精神世界では現実世界の四倍の速度が流れているって話をどっかで聞いてな」


 理解出来るような、出来ないような。とにかくアレス様の言うとおりにしておいた方がいいだろうか。


「分かった」

「ふん。そっちは大した問題じゃないんだがな」

「まだあるの?」

「こっちが本題だ」


 アレス様は暗闇の中、深く溜め息を吐く。心底面倒くさそうな顔をしている。そして右手で頭を抱え、呟くように僕に言った。


「お前、殺しとか出来ないだろ」


 突然つきつけられた欠点は、僕の本質を突くものであった。人を斬れないというのは剣士にとって致命的な欠点だ。


 昨日なんてそうだ。あの時、向こう側は殺しに来たというのに、僕は殺そうとすることが出来なかった。

 あの時じゃない今だから分かる。あの時僕はこう思っていたんだ、斬ったら死んでしまうと。それは当然のことだけれど、山賊を目の前にしてなお僕は同情してしまった。殺す必要なんてないんじゃないか、と。


「………うん」


 その同情は僕が死体を目の当たりにして痛みを感じたから来てしまったものだ。師匠はそんな素振りなんて一切見せなかった。あれはおそらく、精神の弱さから来てしまったものだ。

 師匠に半年鍛えて貰ったというのに情けない。


 僕は泣き出したくなる目を堪えながら頷く。アレス様の輪郭を、辛うじて捉えて見つめる。


「ふん。お前は分かっているようだからな。分かってるなら使える。お前の強い共感性、今は欠点だがその感覚を真に理解してやれば武器になる。悔しい気持ちもその力も大事にしろよ」

「はい」


 堪えていた涙が少しだけ零れた。


「時間と本はやる。今は落ち着いて勉強だけしてろ」


 アレス様は指を鳴らし、白い机と椅子を用意する。それらは見たことない材質で作られており、椅子に関しては背もたれと台座が滑らかな形状で繋がっていた。

 座り心地は良かったが、今は勉強出来る気分ではなかった。僕は冷えた机に顔を伏せ、そのまま眠りについた。

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