元鬼人グレイラットの過去
点ったと認識した時、僕は草木覆い茂る深い森に立っていた。見覚えのない景色に戸惑い状況を把握しようとするが、どこを向こうが草木が視界を阻むだけだ。
『落ち着け、これはただの幻覚だ』
アレス様の声が再び脳裏に響いた。子供のような甲高い方の声だ。
『ここは三億年二千万前。グレイラットが産まれる少し前の時代だな』
三億二千万年前は、英雄グレイラットや古代龍とかの化け物が闊歩していた時代だ。学のない僕でも、絵本にはよく出てきたから知っている。
「でもなんでこんな深い森に?」
『これは深い森じゃない。三億年前はこんな景色が当たり前だったんだ。人間とか魔人とか呼ばれる人型の種族だって、この時代は自然と共存して生きるのが当たり前だったんだ』
アレス様はそう解説を付け加える。木々だけの風景だけれど、珍しいものを見た気分だ。
「グルルル………」
ふと獣の唸り声が聴こえる。狼だろうか、と警戒しながら声の方角を見やると、現代の狼なんかとは比べ物にならない真っ黒な毛を纏った化け物が徘徊しているのが見えた。僕は慌てて茂みに身を隠した。
視界に納めたのは一瞬のことだが、大人の身長も軽々超える体躯に三種類の頭がついていた。風貌の恐ろしさこそ比べ物にならないが、現代で言う狼と馬とヤギの頭が同じ体に付着していた。
『おい、これ幻覚だから隠れなくても大丈夫だぞ』
アレス様は呆れていた。これは幻覚で、見つかるようなこともなければ実体すらない。隠れる意味がないとはいえ、これは隠れたくなってしまうのも仕方ない。
僕は恐る恐る茂みから顔を覗かせ、化け物を見る。やはり恐ろしい。
『………時間ないから巻きで行くぞ』
そう言われると同時に指を鳴らした音が聞こえた。景色は一瞬にしてホワイトアウトし、また別の場所へと切り替わった。
先ほどの風景とは違い、ある程度切り開かれていたりと生活臭のあった場所だ。切り開かれた、とは言っても木の枝を切り落として、木の葉を組み合わせて風を凌ぐ場所が並んだだけの集落だ。
しかしその集落に人気はなく、あちこちに破壊された痕が存在していた。
『ここはグレイラットが生まれ育った場所だな』
「のわりには人気ないけど」
『まぁグレイラットに恐れおののいて逃げ出したからな』
何故、アレス様に問おうとした瞬間、後ろから盛大な物音が聞こえた。
振り向こうとした瞬間巨木が僕の右手を通過した。幻覚でなければ当たっていたと思い、冷や汗をかいてしまった。
右手に倒れた巨木は幹からへし折られていた。幹に広がる歪な裂け目からして、如何に出鱈目な力が加わったかが分かる。
恐る恐るゆっくり振り向くと、そこには三つ首の化け物、を引きずっている人間の赤子の姿があった。赤子は衣服を一切纏っておらず、全身に泥を付着させていた。
『ああ、グロデスクな表現は控えているから実際は景色なり三つ首なりもっと悲惨なことになってるぞ。ま、そいつがグレイラットの幼少時代だ』
「これ、師匠一人で狩ったの? こんな物心も付いてない子供の時に?」
『そうだ』
それが本当だとしたら明らかに規格外だ。別に神様を疑う訳ではないが、この光景がにわかに信じられなかった。
『幼少期の奴はな産まれて間もなく両親を殺した。産まれる時に母親の腹を引き裂いた。恐れて逃げる父親に興味本位で近づいて出鱈目な力で頭を握りつぶした』
アレス様はそう淡々と告げるが、余りにも淡白な口調ではっきりとした想像が出来なかった。とにかく凄惨なことだったということは伝わってくる。
「………それが本当だとして、なんでそんな力が?」
『いやゼウスの野郎がな。人間一人に神様の加護全部捧げたら面白くなるんじゃね? って提案したのが始まりだな』
「それ、神様としてどうなの?」
『神様なんて大体は快楽主義の屑ばかりだぞ、ゼウスなんて美女見つけたらヤり捨てるのが当たり前だしな。遊びでそんぐらいはすんだろ』
途中分からない単語が混ざっていたが、アレス様は屑であることを当たり前かのように語っているようだった。
『あぁ安心しろ。俺は人類と沢山戦争してきたから他の神と違って人の考えも容易に読み取れる。っと話が逸れたな』
アレス様は安心出来ない言葉を発して、話を戻す。
『とにかくな、奴は世界に生まれ落ちたその時から孤独だった。奴は愛だとか絆だとかいった不純物に侵されることなく、生きる為、純粋な強さだけを求めて育った』
再び指の鳴らされる音が聞こえる。景色がホワイトアウトし、次はグレイラットが成長してなお戦っているだけの場面がシルエットであちらこちらに映し出される。
『それは物心が付いてからも続いた。生きれるだけの力を手にして尚戦いを求めた。言語を覚えようとも同族の男を見ようとも揺らぐことはない。奴は戦いだけに快楽を見出していた、奴の本能は戦いを求めていた』
黙って聞くことに専念していると、三度目の指パッチンが響いた。シルエットは次第に消え始め、正面の一つだけになると辺りの景色に色が付いた。
舞台は再び森の中。棒状の無骨な金属の塊を持ち、崖の下から見上げるグレイラットと、童話にも出てくる八体の神狼が対峙している場面だ。
「クハッ、ついに使途のお出ましかぁ~」
グレイラットらしき女は、今の師匠の面影もない下卑た笑いで神狼へと歩み、近づく。
「武器を収めなさい、人の子よ。何故愚かにも争いを求めるのですか」
「そりゃ俺が強いからに決まってるだろ」
強いから争う。それが当然であるかのようにグレイラットは答える。
「その強さは他の者を救う為にあります。決して破滅させるためではありません」
「いいねぇ、優等生丸出しの回答。牙を隠そうと必死に取り繕っている感じがたまらねぇ。そういう奴らが素直になった時を潰すのが最高に気持ちいいんだ」
「貴方こそ言葉で着飾るのはどうでしょうか。破滅が終わりを意味することぐらい、とっくに分かっている筈です」
「いい目だ。俺を批難する目、根底から否定する目、根本を恐れる目。だが俺に殺された奴は決まって後悔することになるんだ、最初から正直に生きてりゃ良かったってな。俺の生き様に魅入られるんだよ」
「………話になりませんね」
シェンリルは説得することを諦めたのか、八体同時にグレイラットへと飛び掛った。先ほどまで説得しようとしていたとは思えない程、獰猛な牙で飛び掛る。
今に戦闘が始まるか、といったところでアレス様が指を鳴らした。
戦闘の場面は切り取られ、終わった直後の場面へと飛び移る。戦場であった崖の下では、シェンリルの屍で山が築かれており、その頂点でグレイラットは高らかに嗤っていた。
「クッハハハハハハハハ! 強い、俺は強い!」
グレイラットはシェンリルを足蹴にして勝ち誇っていた。
「どうだ、お前らは俺に目くじら立てて必死に拒絶しようとするがな! 所詮は狩られる側なんだよ! 当たり前だ、現実から目を逸らしているんだからな!」
両腕を広げて、気持ち良さそうにしている。
「俺は強い! いい加減お前らも驕っていたことに気づいている頃だろう? 貴様らを殺しつくして星に知らしめてやる! 最強は俺で、俺が生きてる限り揺らがない事実だってことをな!」
大地を揺らす程の叫びでグレイラットは宣言する。
「分かっているのか! これはお前らに対する宣戦布告だ! 俺は関係ねぇとか誇ってるんじゃねぇぞ! お前らは全員俺の敵だ! 見つけ次第殺してやる! 勝てねぇとか信じきっている臆病者は俺に見つからない方法でも探して待ってろ!」
その言葉は、まるで自分にも突きつけられているような感覚だった。
ここで突然、景色が暗転した。今にもあのグレイラットが殺しに来そうで、言葉に表せない程の恐怖を───
『おい貴様、起きてるか?』
「………あっ」
いや、これはただの幻覚だった筈だ。殺しに来るとかありえない。ありえない筈なのだが、アレス様に気づかせて貰った後もついつい周囲を気にしてしまう。
『まぁこの後は雑魚狩りに飽きて今の腑抜けに成り下がったんだがな。お前の師匠の過去がどれ程素晴らしいものだったか、伝わったか?』
「うん。決して褒められたものじゃないけど、真っ直ぐすぎて惹かれちゃったよ」
『いや褒めるべきだろ。まぁ、あの時のグレイラットは心底戦いを楽しんでいたのだがな。下が見えなくなった時、あいつは戦いで快楽を得られなくなったことを知ったんだ。だから人類とかと言葉で関わって、偽りの快楽で満足するように勝手に自分で思考を書き換えたんだ』
アレス様は悲しそうな声で言う。
『あの頃から見てきた俺からすると、今のあいつは全然楽しそうに見えねぇ』
「………」
『お前らが弱かったからだ。あの後、友人共にも頼み込んで複数の加護を人類の強い奴に授けたが、誰もかしこもグレイラットに挑めと言うと逃げ出した。あいつの後に続こうとする奴はいなかった』
………もしかして師匠、僕を鍛えてるときもどこかしらで寂しい思いをしていたのだろうか。
『本題に戻るぞ。貴様、レイの弟子を辞めて俺の使途になれ。貴様が成すべき事は、貴様も理解しているだろう?』
「………」
黙って考え込んでいると、暗闇がぼやけ始めた。おそらく夢から覚める前兆だろう。
僕は師匠の前世を知った。悲しみも上澄みだけだろうが知った。僕は如何なる理由であれ手塩にかけて育ててくれたことにも感謝している。
だったら、すべきことは一つしかない。
「分かった、僕は師匠の弟子をやめる。そして師匠の願いを叶えるんだ」
『よく言った。だが貴様の問題は山積みだからな、覚悟しとけよ』
アレス様の厳しくも優しい声を最期に聞いて、僕は目覚めた。




