狂人グレイラット
何故師匠は、人が死んで平気に振舞っているのだろうか。何故簡単に人を殺せるのだろうか。師匠の立ち振る舞いは、まるで慣れているかのようだった。
「初めての実践練習で緊張するのも分かりますが、そんなんでは敵にやられますよ」
師匠は僕の気持ちが分かっていなかった。今動きがきごちないのは、人が斬られた光景を目の当たりにして気が動転してしまっているからだ。
内心恐れながら師匠に返事しようとすると、騒ぎに感づいた盗賊が数人かこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
盗賊達が僕たちの存在に気がつく。同時に足元に転がっている死体も目に入ったようで、困惑した様子のまま剣を抜いてきた。
よもや見た目子供の師匠がこの大人達を殺したなんて思える筈もないだろう。
三人の盗賊が僕達を警戒してる中、師匠は自分が関係ないかのような振る舞いで周囲を見回していた。
「ふむ、ここなら丁度良さそうですね。シオン、貴方は手前の一人だけ相手すれば十分ですよ」
………師匠は待ってくれなさそうだ。当然盗賊達も待ってくれる義理はない。僕は剣を強く握り、盗賊達を見据える。
「シオン、そんなに強く握っては弱くなります。ちゃんと練習の通り、しっかりやればいいのです」
「……はい」
とは答えたものの、足元に死体が転がっていると考えるとどうにも恐怖で身が硬直してしまう。
「おいお前ら、そいつは誰がやった?」
「見れば分かるでしょう、私ですよ」
「嘘吐け、子供が俺の兄弟を殺せる訳ねぇだろ。お前らには協力者がいる、違うか?」
それでも僕たちに近寄らずに距離を保っているのは、僕達がやっていないと断定出来ないからだろう。
盗賊達は周囲に僕達の協力者がいないかと疑って、周囲も警戒しているようだ。実際は師匠が殺したから協力者なんて…… ああ、ミリ姉さんがいた。姿は見えないがどこかで暴れているのだろう。
「まぁ仲間ならいますけどね。ここは関係ありません」
「どの道なんでもいいんだがな。おいお前」
「了解っす」
先頭の盗賊は後ろの仲間に命じると、仲間は大きく息を吸い込んだ。ある程度吸い込んだ時、それが仲間に知らせる大声の前動作だと気づく。
確か師匠が言うに盗賊の数は六十二人。今二人減ってるとはいえ全員同時相手するとなると師匠でも無理だろう。しかし止めるにも手段はなく、盗賊は天高く口を広げ大声で叫んだ。
「おやっ───」
その瞬間、叫びだした盗賊の顔が潰れた。
やったのは師匠だ、ついさっきまで近くで盗賊と話していた筈の師匠だ。師匠はあの一瞬で盗賊に接近したのだろうが、地を蹴った音も走る姿も見えなかった。
「流石に仲間を呼ばれると困るんですよ、シオンに多人数はまだ早いでしょうし」
「あっ…… はっ……?」
盗賊も自分も困惑して、言葉を忘れてしまった。
少し時間が経過してようやく言葉と今の状況を認知したのだが、僕は体を動かせることを忘れてしまった。
盗賊の一人は腰を抜かして尻から倒れ、残った一人は悲鳴を上げようとして師匠に殺された。
僕が身体を動かすことを思い出してからも、師匠は盗賊が正気を取り戻すまで何もせず、盗賊の近くでしゃがんでいた。
次第に腰を抜かしていた盗賊も言葉を思い出す。
「ゆ…… 許してくれ……」
「もし助かりたかったらですね、そこにいる男の子の相手をしてあげてください。それで殺せれば見逃してあげますよ。あ、それと叫んだら殺します」
すっかり脅えた目の盗賊は、師匠に言われるがままに立ち上がり、僕を見てくる。凶悪だった目つきは既に見る影もなくただ僕を見ているだけだった。
しかし僕の方も初めて見た死体や今の光景が忘れられず手が震えていた。
お互いが決して万全とも言えない状況の中、戦いとも呼べない戦いが始められた。
盗賊は剣を忘れた状態で隙どころではない飛び込みを仕掛けてくる。僕は剣を振ることが出来ず、横に飛ぶことで盗賊の攻撃を避ける。盗賊は攻撃を喰らってもいないのに倒れる。泥試合もいいところだった。
「………手加減なんて教えてませんよ?」
観戦している師匠が僕を睨んでくる。近くの死体とは別種の怖さだが遜色ない恐怖を孕んでいる睨みだった。
攻撃しなければ師匠に飽きられる。しかし攻撃すれば自分が死体を生み出すことになる。どちらも拒否したいことだが、どちらかにしかならない。
どうすべきか考えていると、倒れていた盗賊が剣を振りかぶってきた。さっき倒れた突撃よりかは幾分か隙のない攻撃だ。
近づいてくる剣に、剣を近づかせてようやく解決策を閃いた。
僕は盗賊の剣を剣で打ち落とした。人間に攻撃出来ないのなら、剣を攻撃して攻撃する手段を封じれば、いつかは勝てる筈だと。
「う、う………」
剣を防がれた盗賊は師匠に殺されるイメージが沸いてしまったのか、更に顔面を蒼白させながら僕に甘すぎる攻撃を繰り出してきた。
これならば、と攻撃を強く弾き飛ばし、見事盗賊の手から剣が離れた。
剣がなければ戦いにならない。もう攻撃は出来ないだろう、と僕は安堵した。
「う、うわぁあああぁあああああ!!!」
意図してか意図せずか、盗賊はその一瞬をついて僕の腕と首にそれぞれの手を伸ばしてきた。剣から手が離れて、もう負けは揺らがないというところだというのに、盗賊は僕に攻撃を仕掛けてきた。
普通考えれば、負けられない盗賊はどんな泥に塗れた手段を使ってでも勝ちに来ると分かる筈なのに、僕は殺したくない一心で勝手に試合を終わらせたつもりになっていた。
そんな僕はバレバレの攻撃にも反応が遅れ、見事に組み伏せられ、あっという間に僕の剣を取られてしまった。
盗賊は僕に乗ったまま剣を大きく振り上げ───
たところで、盗賊は師匠に首を千切り落とされた。
「………叫ばないでくださいってお願いしたのに」
遠くで行われても残虐な光景が僕の頭上で行われた。首から流れ出す血が僕の顔に降り注ぐ。
師匠が何か言っているようだけど僕はついに限界を迎え、視界が赤から暗闇へと転じた。
視界を取り戻した時、僕は僕の部屋にいた。隣ではミリお姉さんが本を読んでいた。師匠がよく読む武術の本ではなく、最近流行ってるらしいラブロマンスの本だ。
僕が目を覚ましたことに気づくと、本にしおりを挟んで閉じた。
「おはようございます、調子はどうですか?」
「えっと、おはよう。確か………」
気絶する前の状況を思い出そうとしたら、頭に思わぬ激痛が走った。それでも思い出すのを止めないでいると、顔に血液が降り注ぐ光景が浮かんで思わず目を瞑ってしまった。
「お嬢様の強さも困ったものですね、初陣の子供にあんな光景を見せるなんて」
「うっ………」
姉さんが思い出させるように話しかけてくる。頭痛が更に強まり、頭を抱えていると姉さんは黙って僕を見てきた。
やがて頭痛に慣れてきた僕は、姉さんに問いかけた。
「ねぇ、僕が気絶している間なにかあったの?」
「特に重要なことは。予定通り盗賊が全滅して、私達は食費を確保出来ました。ただ何かあるとすれば私が戻って貴方を見つけた時、お嬢様が不思議そうな顔をしていたぐらいですかね」
「不思議そうな顔?」
「ええ。何故貴方が倒れているか、全く理解出来ていないご様子でした」
理解出来ていない。と、姉さんからはっきりと告げられた時、背中に寒気が走った。盗賊の頭を飛ばした時の師匠の姿を、鮮明に思い出してしまったから。
あの時の師匠は、顔色一つ変えず、ただ作業のように千切っていた。
姉さんは、何やら考えた顔で僕に問いかけてきた。
「突然ながら一つ質問いいですか。シオン、貴方は何故強くなりたいのですか?」
「父さんが死んで無くなった道場を復活させる為だけど…… なんでそんな質問を今?」
確か、半年の間で師匠にも姉さんにも何度か聞かれたことがある。何故このタイミングで聞いてきたのだろう。
「やはり、その程度の願いでしたらお嬢様から離れて一人で鍛えた方がよろしいかと」
「なんでいきなりそんなこと言うの?」
突然告げられた、ありえない提案に僕は目を開いた。強くなる、という道において今の所師匠に鍛えて貰う以上の方法はないし、今から離れるとなると師匠に対する恩も返さずに消える薄情者でしかない。
「今までお嬢様の為に黙っていましたが、そんな願いを叶える為に地獄を見る必要はありません」
「だからって今離れたら師匠に恩が───」
「血を見ただけでぶっ倒れるような子供がお嬢様に期待をさせるなと、そういう話ですよ。いいですか、これは貴方の為でもあるのです」
貴方の為、そう付け加えているがいつも笑顔な筈の姉さんの目がこれまでにない程冷たかった。本心では僕のことなんて師匠のついでとすら思っていないだろう。
「………まだ、続ける。血も、ちゃんと克服する」
「出来るならいいのですが。いいですか、これだけは言っておきます」
姉さんは周囲を見渡し、何かを確認すると僕の耳に口元を寄せて、言った。
「生半可な気持ちでお嬢様を傷つけるのであれば貴方を殺します」
「────っ!」
酷く冷淡な声で放たれた殺人予告。僕の身を強張らせるには十分すぎる代物だった。姉さんは僕の頬から顔を離したとき、見せた顔はいつもの笑顔だ。
「ああ、それと。幼い頃のトラウマというのはですね。そう簡単に拭えなくなるんですよ」
姉さんは笑顔のまま優しい声で忠告してくるが、その笑顔も恐怖の対象になりそうな僕だった。