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communio  作者: 佳景(かけい)
第2章
7/20

―7―

 森に行く途中でナギと合流し、クレイはリンとナギと三人で森の見回りをしていた。

 

 見張りは有事の際に一人が敵の足止めをし、もう一人が村に知らせに行けるように、最低二人以上で行うことになっているのだそうだ。


 有威者の領土の大半は巨大な湖で占められていて、土地は湖を囲む僅かなそれしか持っていない。昔は今よりももっと広い領土を有していたそうだが、個体数の減少に伴ってそれらを維持することが難しくなったため、土地の大半を放棄してしまったのだという。


 使わないまでも領有しておけば良かったのにとクレイは思ったが、一族の者の多くが飛ぶことすらできなくなってしまった現状では、広範囲の見回りは負担が大きいのだそうだ。

 

 そうは言っても、領土を縮小するに当たっては随分揉めたらしいが、最終的には王の意向もあって放棄が決定したのだとリンは言った。


 王は基本的に自ら統治することはないが、一族を守り続けているその力のおかげで発言権はあるし、場合によってはリン達の方から進んで意向を伺うことすらあるのだという。

 

 普段権力を揮うこともなく、ただ敵が来た時だけ一族のために戦う王というのはどんな人なのだろうか。


 そもそもどこにいるのだろう。


 ここに来てから、まだ一度もそれらしき人物を見掛けてはいないのだが。

 

 クレイはずらりと並んだ石の杭の、少し先を歩くリンの背中に向かって問いかけた。


「ねえ、王はどこにいらっしゃるのかな? あの湖に浮かんだ家のどれかにお住まいなの?」

「王ならあそこだぞ」


 そう言って湖の上空を指差したリンに、クレイは目を瞬かせて問いかける。


「雲の上に住んでいらっしゃるってこと?」

「違うよ。あの御方は世界の外側にお住まいなんだ。だから湖の上に向こうとこっちを繋ぐ出入り口を創って、行き来してるんだよ」


 リンの言葉はクレイには今一つ理解できなかったが、とりあえず王がこの世界の住人ではないらしいということは理解できた。


 しかし、本当なのだろうか。


 リンもナギも、特にふざけているようには見えないが。

 

 対象が王だけに、下手なことを言うと角が立ちそうだったので、クレイはとりあえず差し障りのなさそうなことを訊いてみる。


「世界の外側って?」

「近い内に連れて行ってやるよ。王と王妃様に紹介もしたいしさ。まあ、お許しが出るかどうかはわからないけど。一族の中でも、普段お会いできるのは私やスイランみたいな一部の奴だけだし」


 リンは領土外の森の中に人間の姿がないか探しながら、そう言った。


 長であるリンとスイランが王に謁見できる身分なのはわかるが、ナギはどうなのだろう。


 ナギはリンと違って口数が少ないので、まだわからないことだらけだった。

 

 クレイがリンからナギに視線を流すと、ナギは少し怯えたようにびくりと体を震わせた。


 昨日も怖がられている気がしていたが、どうやら気のせいではなかったようだ。


 特に怖がらせるようなことをした覚えもないのに怖がられているのは、やはり自分が人間だからだろう。


 リンの友達ならできれば親しくなりたいが、話し掛けたらもっと怖がらせてしまいそうだった。

 

 クレイが黙って視線を逸らそうとすると、ナギがおどおどしながら細い声で問いかけてくる。


「な、何か用?」


 口を利いてもらえたことに安堵しつつ、クレイは言った。


「ええと、大したことじゃないんだけど、君は王にお会いしたことはあるのかなと思って」

「お姿を拝見したことなら、あるけど、それだけ。お話をしたことは、ないの。私、大した力、持ってないから……」


 ナギは大きな目を伏し目がちにしてそう答えた。


 短いやり取りではあったが、それでも会話は会話だ。


 ナギとほんの少し仲良くなれた気がして、クレイがにこりと微笑むと、ナギは少し困ったような顔をしてリンの後ろに隠れた。


 リンは仕方ないなと言わんばかりにくすりと笑みを漏らすと、クレイに言う。


「私も王妃様とはよくお話しするけど、王とはあまりお話したことはないんだ。あの御方はご自分のお部屋から滅多に出ていらっしゃらないし、王妃様以外の誰も側には近寄らせない方だから」


 クレイはリンの言葉を聞きながら、これまでに聞いた王の人物像を整理してみた。


 世界の外側に住んでいる、凄い力を持っているのに無欲で、愛妻家で、引きこもりの王。


 駄目だ、どんな人なのか全く想像できない。


「王って、どんな方なのかな?」

「皆が知ってる以上のことは、私もよく知らないんだ。私達なんかとは比べ物にならないくらい、強い力をお持ちなのは間違いないけど」

「そうなんだ。でも王がそんなに凄い力を持っていらっしゃるなら、君達はどうして見回りなんてしているの? そんなことしなくても、王なら侵入者がこの土地に入れないようにすることもできるんじゃない?」

「まあ、確かにできることはできるんだけど、王はこの世界とは異なる世界の住人だから、この世界に絶えず干渉し続けることはできないんだ。領土を守るために強固な防壁を巡らせることはできても、その防壁を展開させ続けることはできないんだよ。勿論領土を見張り続けることもできないから、私達の役目は毎日領土を見回って異常がないか確かめて、何かあった時にはすぐに王へ知らせを送ることなんだ。知らせが届きさえすれば、後は王がどんな敵でも一掃して下さるから。王にばかり戦わせてしまうのは気が引けるけど、王の命令なんだよ。下手に私達が戦うより、自分が戦った方が犠牲が出なくていいって」

「確かに、無理に君達だけで戦おうとするよりはその方がいいだろうね」


 もしほとんど人間と大差ない力しか持っていない有威者達が真っ向から人間の軍隊と戦ったりしたら、きっとあっという間に全滅させられてしまうだろう。


 いくらリンやスイランがいても、人間とは数に差があり過ぎる。


 この平和な村が屍だらけになるのは見たくなかった。

 

 そう考えて、クレイはふとあることに気付く。

 

 もう随分歩いたが、この村には墓地が見当たらないのだ。


「ねえ、君達って仲間を湖に葬る習慣があるのかな?」

「そんなものはないぞ」

「え? じゃあ、お墓はどうしてるの? それらしい物は見当たらなかった気がするけど」

「お前が何を訊いてるのかよくわからないんだけど、その『はか』っていうのはどういうものなんだ?」


 そう問い返されて、クレイは咄嗟に答えが出て来ない程驚いた。


 有威者達には死者を弔う習慣がないらしい。


 クレイは落ち着きを取り戻してから、リンにも理解できるように説明した。


「お墓って言うのは、死んだ人がよく眠れるように生きてる人が作る物、って言えばいいのかな。文化の違いもあるから、必ずしも人間がみんなお墓を作る訳じゃないみたいだけど、作る人は多いよ。でないと、死体の処理にも困るしね」

「そういうものなのか。でも、私達の場合は死ぬと死体を残さずに消えるからなあ」

「消える? どうして?」

「肉体を維持できなくなるから。昨日も言ったけど、私達は肉体と力半々で出来てるんだ。で、力はそれを統御する精神がなければ散ってしまう。だから死ぬと力が消えて、体が維持できなくなるんだよ」

「ああそれで……」


 クレイはようやく腑に落ちた。


 死ぬと同時に体が消滅するなら、確かに墓は必要ないだろう。


 となれば、宗教心が生まれるきっかけすらないのかも知れなかった。

 

 死体を只の肉塊と見做さず、手厚く葬るのは宗教心があるからに他ならない。


「もしかして、君達ってお墓だけじゃなくて宗教もなかったりするのかな?」

「何だかよくわからないけど、多分ないな。お前達にはどうして『しゅうきょう』とやらがあるんだ?」

「死ぬのが怖くなくなるように、いつか絶対死ななきゃならない事実と上手く折り合いを付けて生きて行けるように、より良く生きられるように、人間には宗教――もっと言うと神が必要なんだよ」

「死ぬのが怖いのはわかるけど、死ぬなんて当たり前のことだろ。そんな当たり前のことに耐えられなくて、『かみ』とかいう奴に縋らなきゃ生きて行けないなんて、お前達は大変なんだなあ」


 全く以ってリンの言う通りで、クレイは思わず苦笑した。


「いやあ、耳が痛いねえ。人間がみんながみんな君みたいな心の強い人だったら、誰も神を信じたいなんて思わなかったんだろうけど」

「心の強い奴には必要ないものなのか……『かみ』って一体どういう奴なんだ?」

「人間とは違う理の中で生きる、他の誰も持ってないような力を持った存在なんだ。この世界を創ったのは神だって言われてるよ。会ったことはないけどね」

「お前も『かみ』を信じてるのか?」

「信じてるって言うか、いるかも知れないとは思ってるよ。って言うか、神から借りた力を使えるって人達がいるから、神はいるってことになってる。でも、その手の人達はほとんど偽物らしいからね。もしかしたらもう本当に力を使える人はいないのかも」


 聖職者達は神の奇跡を人々に示しはするものの、それは只の手品なのだそうだ。


 昔は本当に神の力を使うことができる者がいたとも言われているが、力を使える者がほぼいなくなってしまった今となっては、どうしても懐疑的にならざるを得ない。


 聖職者達としては唱える神の信憑性が疑われないように取り繕っているつもりなのだろうが、民衆にはとうに知られてしまっていて、神の存在すらも疑われていた。


「それなのに、いるかどうかもわからないような神とやらを信じてるのか? 酔狂だなあ」

「人間に神が必要っていうのは一般的な話で、実際神を信じるかどうかは人によるよ。神は人間の手の届かない所にいて、実在も不在も証明するのは難しいから、いるって信じたい人は信じてるし、いないと思う人はそう思ってるし、実のところ普段はあまり関心ない人が一番多いのかも。何かとても困った時や怖い時、逆にいいことがあった時に、初めて神について強く意識する人が多いんじゃないかな。中には神について熱心に勉強してる人もいるけどね」

「お前は神について学ぼうと思ったことはないのか?」

「ないね。僕は数学が好きだし」

「昨日もちょっと話してたな。その『すうがく』とやらは、そんなにいいものなのか?」

「数学についてどう感じるかは人によると思うけど、僕は好きだよ。どうしたらこの問題を矛盾なく説明できるのかなっていろいろ考えるのは楽しいし、数の世界って現実と違って単純だしね」


 反対に、人間はあまり好きではなかった。


 人間はごちゃごちゃしていて、とにかく難解だ。


 数の世界のように明快な規則性がある訳でもないし、公式を使えば問題が解決できる訳でもない。


 どうしたら上手く人と付き合えるのか、自分にはとうとうわからなかった。


 どれだけ多くの本を読んでも、そんなことは書いていなかったし。

 

 知識はそれなりに増えたけれども。


「ちょっと、面白いものを見せてあげようか。何か書く物があるといいんだけど」

「じゃあ、ちょっと休憩するか」


 リンはそう言ってクレイを抱き締めた。

 

 クレイが思わず体を固くすると、リンはふわりと宙に浮き、領土側の森に降り立つ。


 もう何度かリンと共に空を飛んだが、何度経験しても慣れず、クレイはリンの腕が離れると同時に、逃げるようにリンと距離を取った。


 ナギも石の杭から飛び降りて、事も無げに地面に着地する。


 クレイは落ちていた小枝を拾い上げると、あまり草の生えていない地面に縦の線を四本書き、その四本の線の間に十本程の横線を適当に引いた。


 リンが興味深そうにクレイの手元を覗き込み、ナギも気になるようでリンの後ろからじっとクレイが地面に書いた線を見つめる。

 

 リンは大きな瞳に好奇心を詰め込んで訊いてきた。


「で、どうなるんだこれ?」

「どうもならないよ。これだけ」


 クレイがそう答えると、リンは途端につまらそうな顔をした。


「これのどこが面白いんだ? 線を書いただけじゃないか」

「確かに只の線だけど、一方の端から始めてもう一方まで辿ってみると、どこを選んでも絶対同じ場所には着かないようになってるんだよ。やって見せようか?」


 クレイは試しに一番右端の線に軽く指を置くと、線に沿って行き止まりまで動かした。


 同じことを四回繰り返してみたが、先程言った通り同じ場所には一度も着かない。

 

 手を止めたクレイが顔を上げると、リンは先程のつまらなそうな顔が嘘のように楽しげな面持ちで言った。


「へえ、凄いな。これ、線を何本書いてもこうなるのか?」

「そうだよ」

「でも、お前だって星の数程線を書いて試してみた訳じゃないんだろ? その内同じ場所に着いたりすることもあるんじゃないのか?」

「疑いたくなるのもわかるけど、それは有り得ないんだよ」

「何でだ?」


 納得行かない様子のリンに、クレイは説明を始めた。


「これ、始まりの場所の数と辿り着く場所の数は同じでしょ?」

「うん」

「もし異なる二つの線から進んで同じ場所に着くことがあるとしたら、辿り着く場所の数は始まりの場所の数より少なくなる訳だけど、それだと『始まりの場所の数と辿り着く場所の数は同じ』っていう事実が成り立たなくなるよね? だから、どこを選んでも同じ場所には着かないってことになるんだよ。線を何本書いたところで、それは変わらないんだ」


 こういう学術的な知識の説明は、物の説明より難しい。


 上手く説明できたかわからなかったが、リンは納得してくれたようだった。その美貌を輝かせて言う。


「ああ、そういうことか! お前は頭がいいなあ」

「ありがとう」


 褒められたことが嬉しくて、クレイは思わずはにかんだ。


 どうしよう、にやけた顔がなかなか元に戻らない。


 ただちょっと褒められただけなのに、我ながら単純過ぎて恥ずかしかった。

 

 クレイは緩んだ表情を隠そうと顔を俯けると、自分に言い聞かせるように少し早口で言った。


「せっかく褒めてくれたのに何だけど、僕が自分で見付けた事実って訳じゃないんだ。背理法っていう、よく知られた証明方法だよ」

「ふーん、物事を敢えて反対から眺めてみるっていうのも大事なことなんだな。証明したいこととは逆のことを考えてみて、それだと辻褄が合わないから、証明したいことは正しいっていう理屈な訳だろ?」

「君は聡明だね。一度聞いただけで、ちゃんと僕の説明を理解してる」

「そうか? 一族の中じゃ、私なんて頭が悪い方だと思うぞ。体を動かすのは得意だけど、難しいことを考えるのは苦手だからな」

「そんなことないと思うよ」


 クレイは社交辞令でなく、本心でそう言った。


 リンは一族の今後についてきちんと考えているし、理解も早い。


 もし本当にリンが一族の中で不出来な方だとするなら、有威者の知能は人間のそれよりずっと高そうだが、根本的に人間とは異なる種族なのだから、身体能力のみならず知能面でも人間を凌駕していてもおかしくはなかった。


 だが村の家や生活様式からして、有威者はさほど高度な文明を有しているように見えない。


 矛盾しているような気もしたが、不可思議な力や人間より優れた身体能力があれば、現状を維持するだけで十分快適に暮らすことができて、それ以上のものを求めようとはしないものなのかも知れなかった。


「さてと」


 リンは立ち上がって続けた。


「そろそろ行くか。ずっとここにいたら見回りにならないしな」


 黙って立ち上がったナギに続いてクレイが腰を上げると、リンはクレイを抱き締めて石の杭の上に戻った。


 ナギが人間とは比べ物にならない程の跳躍力で上へと上がってくると、リンは再び歩き出す。

 

 今のところ、森は平和そのものだ。


 静けさの中に鳥の声がよく通り、熱い風が時折吹き過ぎていく。

 

 クレイがリンとナギの少し後ろを歩いていると、リンがクレイを軽く振り返って訊いてきた。


「なあ、ところでお前がさっき教えてくれたことって、お前達の暮らしに何か役立ってたりするのか?」

「数学とか、一部の学問をする人なら役立つことはあるよ。でも生活する上で何かの役に立つことはないから、知らない人の方が多いかな」

「ふーん、知らなくても困らないことをわざわざ知ってるのか。もしかして暇なのか?」

「まあ、多少なりとも余裕がないと、なかなかできないことなのは確かだね。でも数学的知識に限らず、知識が増えるのって、基本的には楽しいことだと思うよ。いろんな発見もあるし」

「あ、それちょっとわかるな。お前から無威者のこといろいろ聞くのは、結構楽しいし」


 クレイは胸の奥が温かくなるのを感じた。


 お世辞でも、こんな自分の話を楽しいと言ってもらえたのはやはり嬉しい。


「……僕も」

「ん?」

「僕も君達のことを知るのが楽しいよ」

 クレイはほんの少し勇気を出してそう言った。


 リンが優しいとわかっているから、示した好意に悪意は返さないとわかっているから、勇気を出すのはそれ程難しくなかった。


 本当は「リンのことを知るのが楽しい」と言いたかったが、そこまでの勇気はまだない。

 

 いつか言えたらいいと思う。

 

 微笑むリンに、クレイは黙って微笑み返した。






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