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communio  作者: 佳景(かけい)
第1章
4/20

―4―

 「さてと、それじゃあ、お前のことを聞かせてくれないか?」


 何事もなかったかのように再び敷物に腰を下ろしてクレイと向かい合うと、リンは改まってそう切り出した。


 だが、クレイはすぐには言葉が出て来ない。

 

 今まで一人も友達がいなかったので、こういう時どこからどう話せばいいのかよくわからなかった。


 物心付いた時から話し始めると長くなり過ぎるし、趣味や好きな物について話すべきなのだろうか。


 だが、人間でないリンには何を言っているのか理解できないかも知れない。


 人間でさえ退屈に思う話だろうに、リンにとっては尚更退屈に違いなかった。


 どうしよう。


 何か言わなければと思うのに、焦れば焦る程頭の中が真っ白になって、余計に何も言えなくなる。


 クレイが口籠っていると、リンが不思議そうな顔をした。


「どうしたんだ?」

「その……何を話せばいいのかわからなくて……」

「え!?」


 リンは心底驚いた声を上げてから、何故か少し感心したように言った。


「お前、ちょっと変わってるな。無威者って、みんなお前みたいな感じなのか?」

「多分、僕みたいな人は少数派だと思うよ。僕は人と接するのに慣れてなくて……こういう時どういうことを話せばいいのか、わからないんだ」


 クレイはそう言いながら、少しずつ落ち込んだ。


 絶対呆れられただろう。


 嫌われたかも知れない。


 ここでならやり直せると思ったのに、結局同じことの繰り返しだ。


 クレイが激しく自己嫌悪に陥っていると、リンはにっと笑った。


 思い掛けない笑顔にクレイが驚いていると、リンは言う。


「じゃあ、私が質問するから、お前はそれに答えてくれればいいよ。それなら悩まなくて済むだろう?」

「……うん」

 

 リンの優しさがクレイにはひどく嬉しかった。

 

 今まで上手く話せないとすぐに見切りを付けられてばかりいたのに、リンはこんな自分と円滑に会話できるように気を遣ってくれている。


 やはり優しい子なのだろうと思っていると、リンは少し考えてから最初の質問を口にした。


「じゃあ、お前ってもう大人なのか?」

「変わった質問の仕方をするね。僕の国だと、大体そういう時には年を訊くものなんだけど」

「じゃあ、年は?」

「十九だよ。君はいくつなの?」

「さあな、数えたことはないんだ。でも、多分お前よりずっと年上だよ」

「え!?」


 クレイは思わず目を剥いた。


 リンの言葉が本当なら、年下どころか人生の大先輩だ。


 しかし目の前のリンはどう見ても少女にしか見えない。


「冗談、だよね?」

「本当だよ。もう何度も言ったけど、私達は肉体の縛りを半分しか受けない。だから完全に肉体に縛られてる無威者よりも長く生きられるんだ。お前達は大抵百年も経たない内に死ぬらしいけど、私達は数百年は生きるのが普通だって、前に王妃様に教えてもらったことがある。老いはするけど、年寄りでもみんなピンピンしてるよ」

「へえ。さっきこの村に来た時、お年寄りは見なかったような気がするんだけど、たまたまみんな家の中にいたのかな」

「え? いたぞ。寧ろ、今この村にいるのは年寄りばかりだけど」

「でも、せいぜい四十代くらいの人しか……」


 そこまで言って、クレイはピンと来た。


「もしかして、君達って年を取っても顔が数え切れないくらい皺だらけになったり、髪が白くなったり、腰が曲がったりしなかったりする?」

「うん、せいぜい肌に少し張りがなくなって、目尻や口元にちょっと皺ができるくらいだな。体型も特には変わらないし」

「やっぱりね」

 

 半分しか肉体に縛られていないということがどういうことなのか、クレイは少しずつ理解できてきた。

 

 人間より強い力を振るうことができて、長く生きることができて、老い難い。

 

 髪や目の色以外は人間と変わらないように見えるが、やはりリンは人間とは全く違う存在なのだ。


 それでも恐ろしいとは思わなかった。


 恐ろしいと言うなら、分かり合えない人間の方がずっと恐ろしい。


 リンも自分を理解してくれるとは限らなかったが、一部とはいえ精神が繋がっている分、まだ安心できた。


「それじゃあ、次の質問な。うーんと、好きなものは何だ?」

「本と数学かな」

「『ほん』?」

 

 訝しげな顔で問い返されて、クレイはぎょっとした。


「もしかして、君達には文字がないのかな?」

「『もじ』?」

 

 駄目だ。話が全く通じない。

 

 クレイはどうしたものか困ってしまった。


 リンは自分と概念をやり取りしていると言っていたが、どうやらどちらか片方にしか存在しない概念については上手く伝達できないらしい。

 

 クレイはとりあえずリンでも理解できるように、言葉を選んで説明してみることにした。


「えーと、本って言うのはいろんな情報が書かれた紙を綴じたもので、その情報を書く時に使うのが文字なんだ。いろんな形の文字を組み合わせて、たくさんの情報を書き留めておけるんだよ。文字が書ければ目の前にいない人とでも情報をやり取りできるし、とても便利なものなんだ」

「ふーん? わかったようなわからないような……まあ、いいか。『すうがく』って言うのは何だ?」


 先程から薄々感じてはいたが、どうやらリン達は学問もしないらしい。


 科学とは無縁そうな素朴な暮らしぶりを見ればある程度納得できるとはいえ、学問をしないというのは驚きだった。


 単に数学のような自然科学に関する学問が存在しないだけで、他の学問は存在するのかも知れないが。

 

 クレイは言った。


「数学は学問の一つだよ。ちょっと乱暴なくらい単純に言えば、数や図形についてあれこれ考えるものなんだけど、こんな説明じゃよくわからないよね」

「うん」


 きっと理解できていないだろうと思ったら案の定で、クレイは小さく苦笑した。


 仕方がない。


 形ある物ならまだしも、そうではない物を理解するのは難しいだろう。


 ましてやこれまで聞いたことすらなかったものなら、尚更だ。


「まあ、とにかくそういうものがあるんだと思っておいてもらえればいいと思うよ」

「そうだな。じゃあ、家族は?」

「父さんと母さんと、弟と妹が一人ずついるよ。でも、仲はあんまり良くないかな……父さんは製本の仕事をしてて、僕は長男だから父さんの跡を継ぐことを期待されてたんだけど、僕にはその気がまるでなくてね、父さんにはよく怒鳴られてた」


 自宅兼工房で仕事をする父親の姿は今でもよく覚えている。


 いかにも職人といった感じの、頑固で厳しい人だった。


 よく通る大きな声で怒鳴ると本当に怖くて、正直ずっと苦手だったが、その父親のおかげで自分にとって本はとても身近な物で、だから自然と本を好きになった。

 

 だが、今でも自分で作りたいとは思わない。

 

 自分が興味を持ったのは、本を作ることではなく、寧ろ本に書かれている内容だったのだ。


 特に数学に関する本を読むのが楽しくて、知識が増える度に喜びを覚えた。


 できることなら大学に行って、もっと数学を学んでみたかったが、父は決して許してはくれなかった。

 

 だから父に殊更ひどく怒鳴られたあの日、何も言わずに家を出たのだ。

 

 今頃父は怒っているだろうか。


 それとも怒ることさえせず、自分への関心すら失せているだろうか。

 

 どちらでも構わなかった。

 

 きっともう、二度と会うこともない。


「……僕は人の中では生き辛い人間なんだ。家族にもそれ以外の人にも僕のことをわかってもらえなくて……でも君達なら、僕をわかってくれるかも知れないと思った。こう言うと酷い言い方になるかも知れないけど、君達は人間じゃないから」


 だからここに来たのだ。


 外国を旅するのは生まれて初めてで、とても心細かったが、立ち止まりそうになる度にどうしてもここに来たいという思いが背中を押し続けた。

 

 まだここに着いたばかりで、ここが自分にとっているべき場所なのか、そうでないのかわからなかったが、ここで幸せになれたらいいと思う。

 

 クレイがじっとリンを見つめていると、リンが少し躊躇いがちに問いかけてきた。


「……今までわかってもらえなかったのは、口下手だからか?」

「それもあるけど、僕はちょっと変わった人間だから……」

「まあ、確かに変わってるよな。私達の仲間になりたがる無威者なんて初めてだよ」

「だろうね。でもそれ以外にも、僕には変わったところがあるんだよ」


 クレイは努めて何でもないことのように続けようとしたが、失敗して言葉を途切らせた。


 いざ言おうとすると、やはり言葉が出て来ない。


 クレイが喉元まで出掛かった言葉を仕方なく何度も飲み込んでいると、リンは優しく言った。


「言いたくないなら、無理に言わなくてもいいんだぞ」

「ううん、言うよ。言わなきゃならないんだ」


 そのためにここに来たのだから。


 クレイは深く息を吸い込むと、重い唇を苦労して動かし、言葉を吐き出した。


「……僕は、人に色が付いて見えるんだ」


 リンはどんな反応をするだろう。


 笑うだろうか。


 それとも困惑するだろうか。

 

 クレイが固唾を飲んでリンの言葉を待っていると、リンは小さく首を傾げて言う。


「私達の仲間にそういう奴はいないし、お前みたいな無威者がいるっていうのも初耳なんだけど、人に色が付いて見える奴って他にもいるのか?」

「うーん、どうだろう? 僕は会ったことないけど、僕がこれまで会ったのはほんの一握りの人達だけだから、もしかしたらいるのかも知れないね」

「探しに行こうとは思わなかったのか?」

「そんなこと、考えたこともなかったよ」


 周りは皆色の見えない人達ばかりで、自分だけがおかしいのだとずっと思っていたから。


 だが、うんと子供の頃は違った。


 人に色が付いて見えるのは当たり前のことで、皆が自分と同じように色に溢れた世界で生きているのだと思っていた。


 誰でも町を歩けば人が持つ様々な色に目がちかちかしたり、気分が悪くなったりするものだとばかり思っていたが、そうでないことに気付いたのは六歳の時。

 

 家の近所で夫が妻を殴り殺すという事件が起こったのだが、警察に連行される男をたまたま妹弟達と見たのだ。その男は自分には黒く見えていて、黒はあまり見ない色だった。

 

 だから言ったのだ。

 

 「悪い人だから黒なのかな?」と。

 

 誰でも卑怯さや狡さといった負の部分はあるものだろうが、はっきり『悪』だと断じることができる程の人間となるとそれ程多くはないのだろうから、目にする機会が少ないのも頷けるというものだった。


 尤もあの時は子供だったので、そこまで深いことは考えず、ただ単純に「悪人=黒」という図式を成立させただけに過ぎない。


 成長し、経験が増えた今ならどうやらその図式が間違ってはいないらしいということがわかるが、あの時はわからなかった。

 

 妹弟達の意見が聞きたかったのだ。

 

 だから尋ねたのに、揃って「何を言っているのかわからない」と、変な目で見てくるばかりだった。


 初めは冗談だろうと言って笑ったが、いくら訊いても答えは同じ。

 

 自分に見えているものが皆にも見えている訳ではないのかも知れないという可能性に思い至っても、その時はまだ半信半疑だった。


 だが誰に訊いても、「人に色は付いて見えない」と言われ、変な子供扱いされたり、避けられたりするようになった。


 元々自分から友達を作れる性格ではなくて友達などいなかったから、色が見えていようがいまいが同じだったのかも知れないが。

 

 それからここに来るまでの間、色のことは誰にも言っていない。

 

 どうせ言ってもわかってもらえないのなら言うだけ損というものだし、またあんな蔑むような、憐れむような目で見られたくはなかった。


 今リンの瞳には侮蔑も憐憫も浮かんではいなかったが、それらがいつ現れるのかと思うと本当に恐ろしい。

 

 クレイが言いようのない不安に駆られていると、リンはまた問いを口にした。


「なあ、私にも色が付いて見えてるのか?」


 クレイは黙って頷いた。


 このことに関しては口にするのが本当に大変で、喋らなくても会話が成立するならわざわざ喋りたくない。


「どんな色だ?」

「……橙が混じった赤」

「そっか。面白いな」


 リンはそう言って、屈託なく笑った。


 色が見えることを聞いて、こんな風に笑ってくれたのはリンが初めてだ。


 ただそれだけのことで胸が苦しい程嬉しくて、涙が出てくる。


 会ったばかりの少女に泣き顔を見られることに恥ずかしさを覚えはしたが、それでも止まらなかった。

 

 溢れた涙が頬を伝うと、リンが心配そうに訊いてくる。


「どうした? 私、何か悪いこと言ったか?」

「違うんだ。その逆だよ。今まで君みたいに言ってくれる人はいなかったから……」


 クレイは頬を濡らす涙を拭ったが、拭っても拭っても涙は尽きることなく溢れてくる。


 人に自分をわかってもらえないことに疲れていた。


 父を含めた家族は自分に特別な色が見えることを理解してくれることもなかったし、赤の他人なら尚のこと無理に決まっている。

 

 だから家を飛び出した後、大学ではなくここに来たのだ。


 勉強はしてみたかったが、また人間関係であれこれ思い煩うのが嫌だった。


 もう孤独を感じながら人の中で生き続けることに耐えられなかった。

 

 誰かに自分をわかって欲しかったから。

 

 例え理解できなくても、馬鹿にしたり、変な目で見たりしないで欲しかった。


 ただ、有りのままの自分を受け入れて欲しかった。


 一人でいいから、そんな人に出会いたかった。

 

 自分はもうずっとずっと、この瞬間を待っていたのだ。


 あきらめた振りをしながら、心のどこかでずっと待っていた。

 

 だから今、感情が溢れて止まらない。


「……ごめん」

「謝らなくてもいいよ。しばらく一人にしてやろうか?」


 クレイは首を横に振った。


 居候の身でリンを追い出すような真似をする訳には行かない。


 そう言いたいのに、嗚咽のせいで上手く言葉が出て来ないでいると、リンは何を思ったのか再びクレイの隣に座って頭を優しく抱き締めてきた。


 驚いたクレイはリンから離れようとしたが、リンはクレイの頭を抱いて離さない。


「ちょ、ちょっ……」

「一人でいたくないんだろ? なら、しばらくこうしててやるよ」


 クレイは体の力を抜いて、リンに頭を預けた。


 「ありがとう」という言葉は嗚咽が邪魔をして言えなかったが、ここに来て本当に良かったと、そう思う。







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