―15―
十日後――決戦の日。
太陽が空を昇り切る少し前に王は妃を伴い、空間を跳び越えて湖の上に顕現した。
今日の姿は女のそれではなく、男だ。
仮初の体を風が叩く中、膨大な情報が認識の中に流れ込んでくる。
太陽から降り注ぐ光の波長。物体を構成する無数の粒。生物を動かす熱量。
感覚器官によって知覚の範囲を狭められることがないため、知覚したい範囲の中にあるものはそれがどれ程微細なものであったとしても全て認識できた。
様々なものが生まれては死に、絶えず変わり続ける世界はやはり面白い。
中には知覚したくないものもあるし、決して歓迎されることはないけれども。
世界の外側に在るべき者にとって、世界の内側を訪うことはかなりの負担を強いられるのだ。
現出と同時に、急速に力が失われ始めるのがわかる。
精神体であるこの身は、力とそれを統御する精神から構成されているため、力を失い過ぎれば姿形が保てなくなってしまうが、余程長い時間でなければ世界の外側から力を補充することなく、姿を維持することができた。
風を受けて、額を飾る大小の紫水晶が小さく揺れる。
今日は紫で染め抜いた二匹の蝶が艶やかな黒い上着に、脚絆という出で立ちだ。
いつもは長靴を好んで履いているが、今は色こそいつもと同じ黒であるものの、足首が露出する踵の低いそれだった。
長い黒髪を蝶を象った紫水晶が光る簪で纏め、纏め切れなかった分は無造作に背中に流している。
普段は一族の民族衣装を身に着けることはないが、公の場に出る時だけは妃と共に纏うことにしていた。
一方の妃は白く長い髪を結い上げて、薄紅色の造花で飾っている。
額には王と色違いの白い額飾り。
ほっそりとした体を包むのは汚れ一つない柔らかそうな上着で、膝丈程の長さの下衣の裾からすらりと伸びた足は細く、眩い程白かった。
普段は踵の高い靴を履いているが、今日の靴は踵が低いため、いつもより少し背が低い。
両耳には薄紅色の石を連ねた耳飾りが揺れていた。
王も妃もいつもとは異なる装いだったが、揃いの銀の指輪だけは変わらず互いの左手に嵌っている。
戦闘開始時刻が迫る中、舟を操っていた者達が手を止めて一様に頭を垂れた。
小さなざわめきを破り、王が妃の手を取って湖面に降りて行くと、リンとスイランが低く空を飛んで近付いてくる。
「ようこそお越し下さいました。どうぞこちらへ」
スイランは一礼してそう言うと、くるりと背を向けて飛び始めた。
その後にリンが続く。
案内されたのは、湖の中央部に浮かんだ筏だった。
王と妃が手足を広げて寝転べる程度の広さの筏に、黒と白の花を織った大きな敷物が敷かれている。
その上には果物や魚が盛り付けられた皿が並んでいた。水差しもある。
肉体を持たない者にとって食事を摂る必要は全くないし、特に妃は飲食物は一切口にしない主義なのだが、こうしたもてなしは昔から続けられていた。
一族の者からすると、自分達のような存在に対してどう接すれば礼を欠かずに済むのかよくわからないのだろうから、とりあえず自らの基準に照らしてもてなすしかないのだろう。
王が妃と共に敷物の上に腰を下ろすと、リンが問いかけてくる。
「何かご不自由なことはございませんか?」
「大丈夫だよ。ありがとう。もう行くといい。健闘を祈っているよ」
妃の言葉に、スイランはリンと声を唱和させて礼を述べた後、付け加えて言った。
「戦いに参加しない者をお近くに控えさせておきますので、何かありましたら彼等にお言い付け下さい。では……」
リン達が離れていくと、妃は隣の王を見て小さく笑った。
「たまにはこういう格好をするのも新鮮でいいね」
妃は最早誰にも話されることがなくなった古い言語でそう言った。
普段二人きりで会話する時は精神を繋げて概念を直接やり取りしているが、力を削り取られている最中にそんな真似をすれば、互いに倍の苦痛を味わう羽目になる。
余人に聞かれたくない個人的な会話をするには、一族の誰も理解できない言語を使うしかなかった。
「よく似合っているよ。お前は背が高いから、何を着てもよく映える。性格の悪さは姿に反映しないしね」
配下達の前では自分を『王』としか呼ばない妃も、二人きりの時には『お前』呼ばわりもすれば、ぞんざいな物言いも平気でした。
元々こういう間柄だったところに王だの妃だのという立場が生じて、一族の者達の前ではそれらしく振舞っているだけのことなのだが、事情を知らない者が見ればさぞ表裏の激しい性格に見えることだろう。
これまでに受けた数々の暴言を、全て一族の者達に暴露してやったらさぞ痛快に違いない。
王は唇を皮肉げに歪めて言った。
「其方こそ、その毒々しい性格を見事に隠し切って楚々としているぞ」
「それはどうもありがとう。でも日頃引き篭もっている分、お前の方が皆の目を引いているよ」
「そうだな、晒し者になっている気分だ」
誰も自分のことを知らない人間ばかりの場所でなら多少目立とうが、注目されようが、特に何とも思わないのだが、こうして一族の前に出てくるのはどうにも気が重い。
役目を終えるまでは逃げられないというのに、この姿と抜きん出た力の相乗効果で、憧憬やら羨望やら恋慕の情やらを込めた視線を向けて来られるのだから、結構な苦痛だった。
一族の者は思考を意図的に閉ざしているため、人間のように垂れ流しになっている感情を知覚してしまう訳ではないにせよ、望んでいない感情を向けられるのはどうにも鬱陶しいし、重苦しい。
知覚可能範囲から意図的に外したところで、そういうものがそこにあるというだけで、どことなく不愉快だった。
今回は見世物として少しは面白くなりそうだったので、いつもよりは乗り気だったのだが、いざこうして公の場に出てくると、やはり出て来たことを後悔せざるを得ない。
「もう帰りたいのだが……」
「駄目。まだ来たばかりだよ? 人間の町にお忍びで行く時は、半日帰って来なくても平気だろう? 被虐趣味の変態かと思う程、自分から進んで痛い思いをしに行っているのに」
「被虐趣味は其方の方だろう。我には虐げられて悦ぶ趣味はない」
「私だって、別に虐められるのが嬉しい訳ではないよ。お前がああいうことをしてくるから、気持ち良くなるだけで……」
過去の仕置きをあれこれを思い出したらしく、袖で顔を隠して恥じらう妃の様子を楽しみながら、王は唇に揶揄の笑みを刷いた。
「いい加減、素直に認めればどうだ?」
「……お前は時々意地悪だ」
「其方も我に対しては、なかなかに辛辣だと思うぞ」
「それはお前の自覚が足りないせいだよ」
「そうは言うが、そもそも我は別になりたくて王になった訳ではないぞ」
遥か昔、力を細かく使えない妃の代わりに、人ならざる者達を人間の侵攻から仕方なく助けたことがきっかけで、妃共々「あなた方こそ我等の王」だ何だと祭り上げられ、こういうことになった。
妃とは長い付き合いなので、何か問題が生じた際に力を貸すのは吝かではなかったが、地位や権力に興味はないし、しがらみは面倒なだけだ。
戦うこと自体は嫌いではないものの、こういう場所に引っ張り出されるのはただただ退屈で、つまらない。
妃は顔を隠していた袖を下ろすと、幾分肩を落として言った。
「……巻き込んで悪かったとは思っているよ。でも一旦王になってしまった以上は、きちんと責任を果たして欲しいんだ」
「最低限の努めは果たしている筈だが?」
「その通りだけれど、できれば文句や弱音を吐かずに黙って仕事をしてもらえると、私としてはもっとお前に感謝したくなるのだけれどね。それと、皆を玩具のように扱うのは感心しないよ。その性格をどうにかしないと、今に姿まで歪むからね」
「もういい、やめろ。只でさえ本調子でない時にああだこうだと言われると、余計に苛々する」
王は不機嫌さを隠そうともせずに軽く手を振ったが、妃はあくまでおっとりとした顔と口調で言った。
「ああ、確かに珍しく眉間に皺が寄って、機嫌が悪そうだね」
「だからそう言っているだろうが」
全く、これだから言語での会話は非効率だと言うのだ。
時折何を伝えても何も伝わっていないのではないかと思うこともあるし、誤解も生じ易い。
原則言語を介してしか意思の疎通ができない人間は、言葉の行き違いで誤解が生まれたとしても、言葉を使わなければ誤解を解くこともできないのだから、ほとんど呪われているようなものだと思う。
「ああ、疲れる」
「まあ、しばらくの辛抱だから」
妃はそう王を宥めると、一族の者達を見て祈るような声で独りごちた。
「この先に、最良の結果があるといいのだけれどね……」
「それはどうだろうな。泣こうが喚こうが、滅びる時には滅びる。そしてそれは、長い時の中で見れば、それ程珍しいことではない」
「そうだね。どの道、いつかきっと私達だけが置いて行かれてしまう」
「わかり切ったことだ。あまり肩入れするな。其方は安易に情を移し過ぎる」
「そう言うお前は見事な割り切り方だね。私以外の友人も作ればいいのに」
「其方がどう思っているかはさておき、あの者達は其方を友人とは思っていないと思うぞ。こちら側に生まれ落ちた者にとって、我等はあまりに異質な存在だからな」
抜きん出た力を有していることも手伝って、自分達は決して対等には見られない。
畏れられ、見上げられるばかりの存在である自分達にとって、対等と呼べるのは互いだけだ。
誰であろうと、友人ごっこなどする気になれない。
「確かにお前の言う通りかも知れないけれど、思い出を作らないと思い出してあげることができないよ。もし私達に存在意義というものがあるとしたら、それはきっと皆のことを忘れないことなのだと思う。いずれ皆が死に絶えて、存在の痕跡すら失われてしまったとしても、私達だけはずっと覚えていられる。時の流れの中に飲み込まれて、ただ消えていく筈だったものを、自分の中に留めておくことができる。この世界に生まれたたくさんの命の中の、ほんの一握りに過ぎないけれどね」
「わざわざ思い出作りなどせずとも、我等は過去と現在からなら、誰がどういう風に生きたのか、いくらでも知ることができる筈だが」
「それではあまりに味気ないだろう? 忘れられることが恐ろしいことなのか、悲しいことなのか、私には経験がないからわからないけれど、時々でも思い出を懐かしむことができたら、皆喜んでくれるかも知れない」
「其方らしい考え方だな。共感はできないが」
生き物は情報の塊。
死ぬことは情報が書き換わること。
これまでその程度の認識で十分だったし、これからもそれは変わらないだろう。
永遠にも等しい時を過ごす自分にとっては、皆あまりに脆く儚過ぎて、懐かしむに値する程の存在だとは思えない。
「実にお前らしい感想だね」
妃はくすりと笑うと、王に寄り添い、その肩にそっと甘えた。
戦いに不参加を表明した者達の乗った舟から微笑ましいと囁き合う声が聞こえて、王はますますげんなりする。
傍から見ていると、仲睦まじい夫婦に見えるのだろうが、自分達は決して愛情で結び付いている訳ではない。
同等の力を持ちながら考え方が大きく異なる自分達二人の王を戴いて、二つに割れかねなかった一族を一つにまとめるため、妃が求婚してきたのはもう随分と昔のことだった。
力を上手く使えない己では皆を守れないからと、自ら王の名を捨てて自分の妃となったのだ。
一族の者がどうなろうと特に関心はなかったが、妃が望むのなら一族を守るし、こうして憂鬱なばかりの務めを果たす気にもなる。
ずっとずっと、そうしてきた。
遠い昔に覚醒してから、ある程度の知能を備えた生物が生まれるまでには相当な時が必要だったが、妃がいたから孤独だったことは一度もない。
呼び掛ければ必ず応える声。
それが自分という存在を確かに自覚させてくれた。長いこと互いしかいなかったので、名前など必要なかったし、これから先も必要ない。
もしも三人目がいたら、その時には名前が必要だっただろうが、そうはならなかったのだから。
いつどこで誰と何をしていても、全て取るに足りないことばかりで、三人目になる者は現れない。
ずっと互いこそが唯一無二だった。
それなのにたった一人でこの長過ぎる時を過ごさなければならないとしたら、それこそ狂ってしまうかも知れない。
王は妃の精神に触れると、その心を軽く抉った。
少し深めの口付けをしたようなものだったが、精神を閉ざしたままの一方的な接触だったので、妃からするといきなり攻撃されたも同然だろう。
「思った以上に機嫌が悪いね」
驚いた顔を向けてきた妃が少し可笑しかった。
たまにはこういう不自由さもいいかも知れない。
戦闘に参加する者達は三人一組で舟に乗っていた。
クレイはリンと同じ舟に乗り、まだ少しぎこちないながらも櫓を操って舟を進めていく。
組の振り分けの結果、一人足りなかったので、舟にはクレイとリンしかいなかった。
飛ぶことができるリンが舟に乗る必要はなかったが、できる限り力を温存するにはこの方がいいのだという。
舟を漕ぐクレイのズボンのポケットには、ナイフが入っていた。
この村に来る時に、護身用にと持って来た物だ。
使う機会は恐らくないだろうが、「有るは無きに勝る」という格言もあるし、あれば何かの役に立つこともあるかも知れない。
スイランは人間で言うなら二十代、三十代くらいの男達と三人で舟に乗っていた。
スイランもリンと同じように、力を温存するつもりなのだろう。
スイランの陣営の舟は五十余り。
リンの陣営の舟も同じくらいの数だった。
どちらの陣営も民家からかなり離れた所に一列に並び、その端に浮かぶ王達の乗る筏を挟むようにして向かい合っている。
そして一番王達に近い所に、リンとスイランの舟がそれぞれ浮かんでいた。
両陣営はかなり離れていて、その距離は最早相手の細かい表情などわからない程だ。
ナギのように戦いに参加しない者達も舟に乗り、王の近くに控えている。
本気の殺し合いではないので、皆殺気立っている訳ではなかったが、緊張感は漲っていた。
この戦いの結果如何で一族の今後が決まるのだから、真剣になるのも当然だ。
張り詰めた空気が伝染したかのように鼓動が早まってきて、クレイは櫓を握る手に思わず力が入るのを感じた。
上手く行くだろうか。
勝てるだろうか。
できることなら、リンに勝って欲しかった。
それが一族にとって最良の結果なのかどうかはわからないけれども。
クレイは体全体を使って櫓を動かしながら、リンの背中に向かって言った。
「頑張ろうね」
「ああ。でももし少しでも危ないと思ったら、さっさと降伏してくれ。お前はもう十分力になってくれたし、変に義理立てとかしなくていいから」
「うん」
程無くして時間になったらしく、おもむろに立ち上がった王が静かに宣言する。
「これより戦を開始する。一族の命運を懸けた一戦であることを心して、皆存分にその力を揮うがいい」
王は特に声を張るでもなかったが、その低い美声は不思議とよく響いて、クレイの耳にはっきりと聞こえた。
その声の余韻も消え去らない内に、互いの陣営の舟が動き出す。
距離が縮まるにつれ、飛び道具での攻撃に備えて双方の舟が寝かせていた盾を立てた。
舟の先頭にいるスイランも同じように盾を手にする。
リンとスイランの乗った舟は、目を凝らさなくても目鼻立ちがはっきり見える程度にまで近付いていた。
「放て!」
リンの号令で、盾に隠れて準備を整えていた男達が次々に火矢を放つ。
「火!?」
意表を突かれたらしく、スイランが目を剥いた。
標的は乗っている者ではなく、舟だ。
空が飛べない者が大半である以上、舟を使えなくしてしまえば機動力を大幅に削ぐことができる。
人間以上の膂力を持つ有威者達なら弓など使わずに、自らの力を這わせた石を投げるだけでもかなりの威力を発揮すると言うが、目的はあくまで舟を使えなくすることだ。
いくら物質の束縛を半ば脱しているとは言っても、流石に素手で火を掴んで投げるような真似はできないということで、弓を使うことになったのだった。
だが弓矢という物を知らなかった有威者達が、わずか十日余りで木材を切り出して弓矢を調達するのは難しそうだったので、弓矢は全てリンがその力を物質化させて創り出したものだ。
だが勿論リンも最初は弓矢という物がどんな物なのかわかっておらず、紙に描いた図に似せて創ってもらった弓は全くしならなかった。
これでは意味がない。
弓矢というものは、矢をつがえて弦を引き絞る時に生じるしなりを位置エネルギーとして蓄え、弦を放すことでエネルギーを弓から矢へと伝え、位置エネルギーを運動エネルギーに変換することで標的を射抜くものなのだ。
理屈を説明してすぐさま創り直してはもらったが、弓がしなるようになっても矢は全く飛ばなかった。
リンが創る物質には重さがないのだ。いくら立派な弓があっても、重さのない矢は飛ばせない。
リンが創り出した物である以上、その気になれば空気抵抗や重力に逆らって飛ばすことはできても、リンにとって体から離れた複数の力の端末を制御し切るのは難しいことなのだそうだ。
どうしたものかと頭を悩ませた挙句、矢の中に水を詰めることで、それなりの重さを持たせることができた。
矢が飛ぶようになれば、次に問題になるのは飛距離だ。
矢を遠くへ飛ばすには、弓を大きくすればいい。
弦を引く距離が長くなる程、位置エネルギーが大きくなるからだ。
その分弦を引くには強い力が必要になるが、人間以上の膂力がある有威者達にはどうということもなかった。
しかし弦を引く力があって大きな弓を使えば単純に飛距離が出る訳ではなく、矢を放つ角度も重要となる。
矢は銃弾のように直線的に飛ぶものではなく放物線を描いて飛ぶので、空気抵抗や風を無視すれば、理論上四十五度の角度で矢を放った時に飛距離が最も大きくなるのだ。
微調整を繰り返して最適と思われる弦の長さや弓の大きさ、矢の長さがわかったところで、実際矢を的に当てられるようになるにはそれなりの修練が必要だと聞いたことがあるが、身体能力の高い有威者達はわずか十日余りである程度使いこなせるようになっていた。
小さい的に百発百中で当てなければならない訳ではなく、舟のどこか一箇所に当たりさえすればいいのだから、命中精度はそれなりで十分だ。
武器の特性上、一度矢を放ってしまうと軌道を修正できないので、死者が出ないかが気掛かりだったが、そこは王がどうにかしてくれるのだろう。
リンが言うには有威者は矢が一本刺さった程度では死なないということだったし、万が一当たっても命に別条はない筈だ。
「やってくれるわね!」
スイランが水を操って火矢を払ったが、スイランがいるのは王の近くで、陣営の一番端だ。
末端にいる仲間の所までは、到底力は届かない。
相対するリン達もまだ力の範囲外で、水を使っての反撃はできなかった。
盾は木製であるため、火矢が当たれば燃えることは避けられず、辺りの水で火を消そうと盾を動かしたところにすかさずまた火矢が射掛けられていく。
スイランの陣営の者達も投石で反撃してくるが、弓に比べれば射程距離が短いため、こちらまで届くことはなかった。
瞬く間にスイランの陣営の舟の半分近くに火が付き、男達が舟を捨てて湖に飛び込む。
湖の上で暮らしているだけあって、泳ぎは得意であるらしく、水に入った者達は溺れることなく仲間の舟に泳ぎ着いたものの、舟が小さいために引き上げられたのは一部だった。
一気に畳み掛けてもいいところかも知れないが、しかしあまり近付き過ぎるとスイランの力の有効範囲に入ってしまう。
スイランの力の及ばない所でも、下手に突っ込んでは集中攻撃に遭ってせっかくの有利な状況を覆される恐れがあった。
櫓が後ろにしか付いていないこの舟は、真っ直ぐにしか進むことができないし、後退もできない。
今のままではスイラン達は攻撃ができないも同然なので、前進するしかなく、そこにリンの陣営の者達は執拗に弓を射掛けていく。
燃えた盾を退かしたり、湖に飛び込んだりした拍子に矢に当たりそうになった者達もいたが、いずれも矢は直撃する前に跡形もなく消え失せた。
これが王の力なのだろう。
矢に当たる筈だった者達は、ふわりと体が浮き上がったかと思うと、そのまま透明な球体に包み込まれた。球体はそのまま空中に留まり、その数は次第に増えていく。
どうやら戦線を離脱した者は、戦闘終了まで空中で待機することになるようだった。
有威者はなまじ頑強なだけに、本当に戦闘不能になるまで放置していては深刻な重傷者だらけになってしまうし、当たる寸前で線引きするというのは賢明な判断なのだろう。
これなら余程のことがない限り、命を落とす心配はなさそうだ。
クレイは深く安堵した。




