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明くる日。
リンはスイランとナギ、クレイと共に領土の見回りをしていたが、少し早めに切り上げて湖へと戻った。
だが家には戻らず、民家から離れた湖の上に浮かんでスイランと対峙する。
これから二人で手合わせをするのだ。
この村は平和そのもので、基本的に戦うということがないため、たまに勘を忘れないようにこうして二人で手合わせをしているらしい。
クレイはナギと共に舟に乗り、手合わせを見学させてもらうことにした。
肉体と力半々で構成されるリン達の戦いとはどんなものなのか、実に興味深い。
クレイが瞬きも忘れてじっとリンとスイランを見つめていると、リンが先に動いた。
リンは水面から離れて空へと高く飛び上がったが、スイランはリンを追うでもなく水平に進む。
その先で水面が大きく揺らぎ、スイランの代わりのように水がリンを追って伸び始めた。
水は矢となって鋭く空を切り裂き、次々にリンへと向かっていくが、リンは複雑な軌道を描いて飛び、水の矢を巧みに翻弄する。
クレイはリンの動きを目で追いながら、隣のナギに問いかけた。
「あの水、スイランが動かしてるんだよね?」
「うん。力を水に這わせて、操ってるの。スイラン、力を操るのが上手だから」
ナギの説明を聞きながら、クレイはスイランが遠距離攻撃が得意だと言っていたことを思い出した。
リンは殴る蹴るしか満足にできないと言っていたことも。
リンはスイラン程、力を上手く操れないのだろう。
でなければ、今頃リンもスイランのように水を操って攻撃を仕掛けているに違いない。
「力を思い通りに使うのって、難しいことなのかな?」
「私は心で会話したりするくらいしかできないから、よくわからないけど……想像力が要るんだって。何をどう動かすか、かなりはっきり想像しないと、上手くできないみたい。だから、リンは苦手だって言ってた。できない訳じゃないけど、手足を使うのとは感覚が違い過ぎて、いまいちピンと来ないって。殴る蹴るで戦った方が、簡単でいいって」
ナギの説明に、クレイは大いに納得した。
目の前で大の男を殴り倒して見せたリンを目の当たりにした身としては、殴る蹴るで戦った方が簡単でいいというのはいかにもリンらしいと思う。
「リンは力を使って戦うことはないの? スイランに比べて凄く不利だと思うんだけど」
「リンは拳や足に力を集めて、体術を強化して戦うの。近付かないと攻撃は当たらないけど、今までの手合わせを見てると、勝ったり負けたりだから、取り立ててスイランが有利って訳でもないと思う。力の程度は、ほとんど同じだし」
「そうなんだ……」
クレイがナギとそんなやり取りをする間にも、リンは矢を避けながらスイランとの間合いを詰めて行き、スイランは高度を下げて湖面にその足を触れさせようとする。
多分湖に潜って、リンの攻撃を躱すつもりなのだろう。
水を操るスイランを追って水の中に飛び込むのは、上策とは言えない。
だがスイランは潜ることなく、警戒するようにすぐに空へと飛び上がった。
クレイは眉を皺めると、半ば独白のように言う。
「どうしたのかな? 何だか急にスイランが水を避けたみたいに見えたけど……」
「リンが、辺りの水に力を這わせたの。リンも苦手って言うだけで、全然力を操れない訳じゃないし、だからスイランは念のために水から離れたんだと思う」
「ああ、そういうことなんだ」
クレイは腑に落ちた。
リンは頭を使うのが苦手だと言っていたが、やはり馬鹿ではないらしい。
あれこれ考えていると言うよりは、直感的なひらめきに頼っている気はしないでもないが。
リンは水の矢を避けながらスイランとの間合いを一気に詰めると、その可愛らしい顔目掛けて躊躇いもなく拳を繰り出した。
だがスイランの顔を捕らえる直前で、その拳が止まる。
リンは拳を下ろすと、にっと笑った。
「今回は私の勝ちだな」
リンの一言に、スイランは束の間口惜しそうな顔をしたが、すぐに気を取り直して言った。
「でも長として負けるつもりはないわよ。一族のこれからのことについて、いつまでも結論を出さない訳にも行かないんだから、いい加減折れなさいよ」
「悪いけど、そう簡単には行かないよ。私だって私なりに正しいと思うことをしたいんだ」
次第にリンとスイランの雰囲気がぎすぎすしてきた。
ナギが黙って心配そうな眼差しを二人に注ぐ横で、クレイもただ黙って事の成り行きを見守ることしかできない。
ここで余所者が下手に何か言おうものなら、確実に怒らせたり嫌われたりしそうだ。
できれば、お互い冷静に話し合ってくれるといいのだが。
クレイが祈るような気持ちでリンとスイランを見つめていると、スイランが言った。
「あんたのしようとしてることの、どこが正しいって言うのよ。違う種族の奴に頼ってまで一族を絶やさないことがそんなに大事なの?」
「大事だよ。私はみんなが好きだし、この先もずっとみんなの子供や孫が幸せに生きて行って欲しいと思ってる。一族を絶やさずに済むかも知れないなら、試してみたっていいじゃないか。クレイみたいに、私達に関心を持ってくれる無威者だっているんだし」
「あんたはお気楽過ぎるのよ。転化させたところで、無威者が私達の文化や暮らしに馴染める訳ないじゃない。何回言えばわかるのよ!」
苛立ったスイランがとうとう声を荒げると、リンも負けじと語気を強めた。
「そう言うスイランだって、相当なわからず屋だろ!」
リンとスイランはしばらくの間睨み合い、一体いつまで続くのだろうとクレイがはらはらしていると、やがてスイランの方が先に視線を逸らした。
「……もうやめましょ。やっぱり何度話し合っても駄目ね。堂々巡りだもの。じゃあ、私行くから」
スイランはいくらか冷静さを取り戻した口調でそう言うと、ぷいっとあさっての方向を向いて、そのまま森の方へと飛んで行ってしまった。
遠ざかるスイランを少し寂しげな眼差しで見送るリンに、クレイはおずおずと声を掛ける。
「……話し合い、あまり上手く行ってないみたいだね」
「ん、まあな。いつもこんな調子で、全然意見の摺り合わせができないんだ。どうすればいいと思う?」
クレイは少し考えてから答えた。
「君達は精神で会話できるんだし、そうしてみたらいいんじゃないかな? お互いに上手く言葉にできな
い思いや理屈も掬い上げることができるかも知れないし、もしかしたら案外あっさりわかり合えるかも知れないよ?」
「うーん、お前が言うことも尤もだけど、私達って基本的に相手の心を読むことはしない主義なんだよ」
「どうして? それが一番誤解なくお互いを理解できる方法でしょ?」
「でも、自分が楽をしたいばっかりに、相手の心に深く入り込もうとするのは良くないじゃないか」
クレイははっとした。
心と心を通じ合わせることはこれ以上ない程効率のいい意思伝達の手段で、その力があれば誤解などは容易く解けて円満な関係を構築できるものだとばかり思っていたが、それは間違いだったのだ。
それは只の怠惰で、相手を軽んじていることに他ならないのだろう。
心と心を触れ合わせることができても、それを敢えてやらないことで、リン達は互いを尊重し合い、信頼関係を築いているに違いない。
振り返って見れば、今まで自分は相手に嫌われたくないとは思ったことはあっても、相手を尊重しようと思ったことはない気がした。
今まで人と上手く付き合えなかったのは、ただ自分に有りもしない色が見えることだけが原因だった訳ではないのだろう。
「……君は本当に聡明な人だね」
「そうか? お前の方が私よりよっぽど利口だと思うけどな。物知りだし」
「僕は君より知識はあるかも知れないけど、それだけだよ。これまで友達がいなかったから、人との付き合い方なんて、全然わからないしね」
「わからないなら、これから学んで行けばいいだけのことだろ? 私とお前はもう友達だしさ」
「うん」
人に色が付いて見える自分を変えることはできないが、少しずつでも自分をいい方に変えていくことならできるだろうし、そうしたらもっと友達ができるかも知れない。
こんなことを思えるのもリンに出会えたからで、やはりここに来たのは間違いではなかったのだと、クレイは思った。
「ありがとう」
リンとクレイ、そしてナギはリンの家に戻った。
昨日食事を摂ったばかりのリンは数日の間は食事を摂る必要がなく、ナギもまだ食事を摂らなくても大丈夫だということで、クレイは一人で昼食を済ませた。
自分一人だけ食べるのは少し気が引けたが、しかし食べないと体が持たない。
昼食はやはり取り立てて味もしない魚だったものの、果物が手に入ったおかげで、少し気分を変えることはできた。
クレイがリン達と共に食器の後片付けを終えると、リンは手の雫を払いながら言う。
「なあ、そろそろ城に行こうと思うんだけど」
「あ、うん。そうだね」
王と王妃に謁見が叶うとあって、クレイは少なからず緊張してきた。
一体どんな人達なのだろう。
気に入ってもらえるとは思えないが、できれば嫌われたくないと思った。
人間ということで只でさえ良く思われていないのだから、これ以上居辛くなるのは避けたい。
クレイが不安を覚えていると、リンがナギに言った。
「じゃあ、ちょっと行って来るから」
「うん、行ってらっしゃい」
クレイはてっきりナギも一緒に行くものだと思っていたのだが、どうやらナギは留守番らしい。
「君は行かないの?」
クレイの問いかけに、ナギは小さく頷いた。
「お城は、リンみたいな身分の高い人――力のある人以外は、基本的に入れないことになってるの。私、大した力持ってないから」
そう言えば以前リンがそんな話をしていたなと思いながら、クレイがリンに続いて家を出ると、ナギも見送りに外に出て来た。
リンがクレイを抱き締め、クレイもおずおずとリンを抱き締め返す。
移動のためだとわかっていても、胸が高鳴ってしまうのはどうしようもなかった。
クレイがただ早く着くことを祈っていると、リンはクレイを抱いたまま、湖の上高くへと上り始める。
体に吹き付ける風が少し冷たくなってきた。
「境界を超えるぞ」
リンがそう教えて寄越した途端、クレイは透明な皮をすり抜けていくかのような奇妙な感覚を覚えた。
何とも名状し難いその感覚に思わず鳥肌を立てた時には、目の前の景色が一変している。
青い空が消えて、見渡す限り真っ白だ。
空ばかりでなく、森も湖もない。
風すらもここにはないようで、空気は穏やかに静止していた。
ただ、どこまで続いているとも知れない白い空間だけが延々と広がっている。
ここが世界の外側なのだろう。
何とも不思議な所だが、一番の不思議は白い空間の中に黒水晶の塊が浮かんでいることだった。
大きさはそれこそ山にも劣らないだろう。
方々に突き出た大小様々な太さ、大きさの黒水晶が花弁のように楕円の輪を描き、白い虚空を鮮やかに切り取っている。
値段を付ければそれこそ天文学的な額になりそうだが、そんな話を持ち出すことがひどく無粋に思える程、その黒水晶は美しかった。
「ねえ、あの黒水晶は何?」
「城だよ」
短く答えたリンに、クレイは驚いて聞き返す。
「城!? あれが!?」
「私達が創る建物とは随分違うから、びっくりするのもわかるけど、ちゃんと城だぞ」
ということは、あれの中に王や妃が住んでいる訳か。
何故またこんな何もない所に住んでいるのだろう。
城自体も、とても住み易いようには見えないのだが。
「ねえ、中ってどうなってるの?」
「行けばわかるよ」
リンはそう言って速度を上げた。




