痛い痛い、と言えなくて
チクッ、最初はそんな痛みだった。
本当に一瞬のことで、すぐに消えたそれ。
昨日飲んだ牛乳が悪かったのかな?なんて首を傾げて、それ以降は思い出さなかった。
でも、その痛みは知らない間に彼女の中に根付いていて、ゆっくりゆっくり広がっていた。
深く深く根付いた痛みは、時折顔を出しては彼女を苦しめる。
その都度、彼女は首を傾げたが、大したことはないと放っていた。
ある時、深くまで広がりに広がったそれは、ふと顔を出して彼女を襲った。
夜中に目が覚めた彼女は、胸を押さえて上下の歯と歯をカチカチと鳴らす。
「痛い、何で」
チクチクズキズキ、胸が痛む。
キリキリギュウギュウ、胃が痛む。
胸が痛いと呼吸がしにくい。
胃が痛いと胃液が逆流し始める。
深夜のベッドの中、彼女はキツく目を閉じた。
知らない間に彼女の中に居座った痛みは、まるで姿の見えない化物のように彼女に襲い掛かる。
ゆっくりと嫐るように、その痛みは日に日に大きくなっていく。
それが続いたある日、彼女は昼間からうつらうつらと船を漕いでいた。
いつもは綺麗に結えられているはずの髪も、今日は解かれている。
「フロル」
彼女の呼ぶ声に、彼女の重い瞼が持ち上がる。
ぼんやりとした目で、自分を呼んだ人物へと視線を向けた彼女は、その少女の名前を呟いた。
長い髪を揺らしながら、目の前の少女は眉を下げる。
「フロル、顔色、悪いよ?」
大丈夫?と彼女を気遣う言葉。
それに彼女は、笑みを返す。
いつも通りの笑みを作り、言葉を返そうとするが、少女の眉は下がる一方だ。
「ジャクター、呼んで来ようか?」
彼女の相棒である少年の名前が出され、ハッとしたように目を見開く彼女。
それから、身を翻そうとした少女の手を掴む。
酷く動揺している彼女の手は、じっとりと汗ばんでいた。
待って、大丈夫、大丈夫だから、と同じような言葉を繰り返す彼女に、少女はますます眉を下げる。
誰から見ても、今の彼女は大丈夫じゃないのだ。
冷や汗を浮かべながら、血の気の悪い顔をしている彼女は、いつもの彼女ではない。
「……何してんの?」
二人が顔を上げる。
振り向いた先には、褐色肌の少年が立っていて、こちらを見ていた。
彼女は慌てて少女の手を離し、その場から立ち去ろうとする。
ジャクター、と少女が呟くのとほぼ同時に、彼女が走り出し、少年も走り出す。
二人分の風を感じた少女が目を丸めてから、ゆっくりと息を吐き出した。
***
「はい、捕まえた」
少年が深い溜息混じりに呟くと、彼女は掴まれた腕を振り解こうともがく。
結えられていない髪が大きく揺れる。
嫌々、と抵抗する彼女に、少年は困ったように笑いながら包み込む。
「痛いの?」
少年の言葉に、彼女の動きが止まる。
暫くの沈黙を挟み、少年が再度同じことを問えば、ゆっくりと頷く彼女。
小さく震える体に、少年は眉を寄せた。
震える体から時折聞こえる、息の詰まる音。
服にじんわりと染み込む水分を感じながら、少年は包み込んだ彼女の体を撫でる。
小刻みに震える背中を擦り、ぽんぽんと優しく頭を撫でた。
嗚咽混じりの泣き声が聞こえた時、彼女の中の痛みはゆっくりと奥底へと消えていく。
忘れた頃に顔を出すそれに、彼女は気付かない。
少年はそんな彼女を繋ぎ止めるように抱き締めて、その痛みを消す方法を探し続ける。




