第98話 出陣の時
日が沈み、夜になった。現在僕は自分の部屋から窓の外を眺めていた。まるで黒い絵の具を塗りたくったような暗闇に覆われている。
そろそろ出陣の時刻だ。アンリ達は大広間に集合している頃だろう。そこから僕の【瞬間移動】でゲートの場所に向かう予定である。
部屋を出ると、廊下には覇王軍の悪魔達が奥の方までズラリと並んでいた。思わずビクッと肩を揺らす僕。
「いってらっしゃいませ、ユート様!!」
全員が素早く膝をつき、声を揃えて言った。きっとアンリの計らいだろう。こんな盛大に見送ってもらわなくてもいいのに。
「……うむ」
僕はそれだけ言って、覇王らしくあろうと胸を張って廊下を歩いてみる。やっぱり慣れないな、こういうのは。
さて。大広間に向かう前に、一言リナに挨拶しておこう。僕はリナの部屋に立ち寄り、ドアを二回ノックした。
「あっ、お兄様!」
ドアが開き、パジャマ姿のリナが出てきた。
「夜遅くにすまないな。起こしてしまったか?」
「いえ、まだ寝ていなかったので大丈夫です。私に何か御用ですか?」
「ああ。お前と少し話がしたくてな」
廊下は大勢の悪魔がいて落ち着かないので、僕は部屋に入れてもらった。
「す、すみません、こんな格好で。着替えてきますね」
「その必要はない。それほど長居するつもりはないからな」
「あっ、お茶飲みますか? 今すぐご用意します」
「気を遣わなくてよいぞリナ。人間領にいた時のように接してくれればよい」
「そ、そう言われましても……」
なんだか他人行儀だな。やっぱり覇王の姿だと威圧感を与えてしまうのだろうか。そう思った僕は【変身】の呪文で阿空悠人の姿になってみる。するとリナは安心したように息をついた。
「リナはこっちの姿の方がいいか?」
「そ、そうですね。今のお姿の方が安心できるというか、私は好きです。あ、いえその、決して普段のお姿が嫌いということではなく――」
「はは、分かってるって」
それから僕は、もうすぐアンリ達と共に『天空の聖域』に乗り込み『七星の光城』を襲撃することをリナに話した。
「そ、それでは、七星天使の皆さんと戦うってことですか!?」
「そうなるだろうな」
「では私もお供させてください! 私もお兄様の力になりたいです!」
強い決意に満ちた目でリナは言った。しかし僕は静かに首を横に振る。
「気持ちは嬉しいけど、それはできない」
「ど、どうしてですか!?」
「『天空の聖域』の空間は普通の悪魔の身体では耐えられない。人間領に連れて行くのとはワケが違うんだ。それに、七星天使の強さはリナも身をもって体験したはずだ」
「それは……」
リナの身体が小刻みに震え始める。きっとセアルと戦った時のことを思い出しているのだろう。リナは元々人間の女の子……七星天使とまともにやり合えるとは思えない。
「もうこれ以上リナを危険に晒すような真似はしたくない。だから分かってほしい」
リナは自分の気持ちを抑えるように、強く拳を握りしめた。
「そう……ですよね。私が付いていっても、お兄様達の足を引っ張るだけ……。我が儘を言って申し訳ありませんでした」
「いいんだ。リナはこの数日間色々と頑張ってくれたし、それで十分僕の力になってくれた。その代わり僕達がいない間、城のことはリナに任せる」
「はい。お兄様も必ず無事に帰ってきてください」
「僕なら大丈夫だよ。なんせ悪魔の頂点に君臨する覇王だからな」
僕がリナの頭を優しく撫でると、リナは嬉しそうに頬を赤くした。
「それじゃ、行ってくる」
「……いってらっしゃいませ、お兄様」
僕は【変身】を解除し、リナの部屋を後にした。
大広間の扉を開けると、そこには既にアンリ達四人が揃っていた。
「待たせたな諸君。これより我々は『天空の聖域』へと向かう。必ずや七星天使を殲滅するのだ!」
「御意!!」
確実に葬らないといけないのは七星天使のリーダー、セアル。こいつが【魂吸収】の呪文を何らかの方法で他の七星天使にも与え、人間の魂を狩らせている。
そして誰に与えたのか特定できない以上、一人でも生かしておけば今後も人間の魂が奪われる可能性は残存することになる。万全を期す為にも七星天使は一人残らず葬らなければならない。たとえキエルさんが相手になったとしても。
「では出発する。呪文【瞬間移動】!!」
アンリ、エリトラ、ユナ、ペータ、そして僕の五人は覇王城を離れ、ゲートのある場所へと向かった。
☆
時は遡り、一日前。セアルがセレナを人質に捕り、ユートを『七星の光城』まで連れ帰った後のことである。
現在セアルは人間領の上空を飛行し、自らが【緊急回避】の呪文によって不特定の場所に飛ばしたイエグを捜索していた。
「……すぐに見つかると思ったんじゃが、地上は広いな。こんなことなら下級天使達に捜させるべきだったか」
既に捜索から数時間が経過し、セアルはそんなことをぼやく。
「その前にちゃんと生きておるのか心配じゃが……む!」
森の上を飛行中、何かを発見したセアルはその森の中に降り立つ。そこから少し離れた所でイエグが気絶した状態で倒れていた。ユートから一方的にやられたせいで、全身血と痣だらけである。
「こんな所におったか。モンスターに食われてなかったのは奇跡じゃな」
セアルはイエグのもとに歩み寄り、右腕を手に取って脈を図る。
「よかった、まだ生きておるようじゃな。おい、起きろイエグ!」
イエグの肩を揺らすセアル。するとイエグの目がうっすらと開いた。
「セアル……私は一体……?」
「まずはHPを回復しろ。このままでは手遅れになるぞ」
「……ええ」
イエグは身に付けていた宝石をいくつか手に取った。
「呪文……【宝石恵与】……」
するとその宝石が光の粉に変わり、イエグの身体に浸透していく。【宝石恵与】はMPを消費しない代わりに宝石を使ってHPを回復する呪文である。やがてイエグはゆっくりと身体を起こした。
「もう平気か?」
「ええ。それにしても、どうして私はこんな森の中で寝ていたの……?」
「すまんな、ワシがお前に【緊急回避】を使ったせいじゃ。あの時ユートに殺されそうになっていたお前を救う方法はそれしかなかったものでな」
ハッとイエグは思い出したような顔をする。
「そうだわ、私はあのユートとかいう人間に……!! 次こそ絶対に殺してやるわ!! 私の美しい顔を傷つけた罪は死をもって償わせなければ……!!」
怒りを湧き上がらせるようにイエグは言った。




