第88話 城からの脱出
「はっ!!」
僕は『魂の壺』の表面に拳を叩き込む。しかしそれを嘲笑うかのように、壺はビクともしなかった。その後も何回か拳を打ち込んでみたものの、結果は変わらなかった。
ダイヤモンドを素手で粉々にするくらいの力は持っている自信がある。この壺の表面がダイヤモンドより固いとは思えない。となると、やはりラファエが言っていた通り何らかの保護呪文がかけられていると考えて間違いない。
今僕の手首に装着されている【魔封じの枷】の手錠と同様、腕力ではどうにもならないのだろう。【解呪】で保護呪文を解除したいところだが、今の僕は呪文の発動を封じられているし、そもそもセレナの前で呪文を使ったら【変身】が解けて僕が覇王だとバレてしまう。
「ごめん、セレナ。どうやらこの壺を破壊するのは無理みたいだ」
僕は諦めて右手を下ろした。
「そんな、じゃあ、お姉ちゃんは……」
今にも泣きそうになるセレナの頭に、僕はそっと手を乗せた。
「でも大丈夫だ。この壺に囚われた人々の魂は、必ず僕が取り戻すと約束する」
「……本当……?」
「ああ。だから今は辛抱してくれ」
セレナは僕の目を見つめた後、小さく頷いた。
仮にこの場で『魂の壺』の破壊に成功していたとしても、それで全てが終わったとは言えない。それにはやはり魂消失事件の首謀者のセアルを葬らなければならない。あいつが生きている限り人々の魂は奪われ続けるだろう。
だから僕は覇王城に帰還したらアンリ達を引き連れ、覇王としてこの『七星の光城』を襲撃する。セアルを討ち取り、奪われた人々の魂を解放する為に。
「……それじゃ地上に戻るか」
セレナは救出した。『魂の壺』の場所も把握した。これ以上『天空の聖域』に留まる意味はない。覇王城に帰って襲撃の準備を整えるとしよう。
再びセレナを背負って立ち上がった時、下の階から数多の足音が近付いてくるのが分かった。どうやら下級天使共がしつこく追いかけてきたようだ。またあいつらの相手をするのは億劫だな……。
そう思っていると、セレナがある方向を指差した。
「ユート、あそこの窓から飛び降りて!」
「……は!? 何言ってんだセレナ、ここ城の最上階だぞ!」
おそらくビル二十階以上の高さはあるだろう。そんな所から飛び降りたら、僕は平気でもセレナの身体が衝撃に耐えられるとは――
「! セレナ、まさか……」
「そういうこと! ほら来たわよ、急いで!」
最上階の入口から下級天使共が蜘蛛の子を散らしたようになだれ込んできた。
「いたぞ、あそこだ!」
「もう逃げ場はないぞ! 大人しくしろ!」
迷ってる時間はない。僕はセレナを背負ったまま一直線に駆け出し、窓をブチ割って飛び降りた。
「馬鹿め、血迷ったか!」
「自ら死を選ぶとはな!」
ここが『天空の聖域』と言えど重力は地上と変わらない。僕とセレナの身体は重力に従って落下していく。
「呪文【重力操作】!」
落下途中でセレナが呪文を唱えた途端、急激に落下速度が遅くなった。僕達の身体にかかる重力をセレナが操作したのである。
そのまま僕は城外の地面ならぬ雲面にゆっくりと着地した。上の方からは「なんだと!」「おのれ!」といった下級天使共の悔しそうな声が聞こえてくる。
「んっ……」
すると僕の背中でセレナが小さく呻いた。きっとMPが残り僅かしかないのに呪文を使った影響だろう。
「ありがとうセレナ、助かった。だけどもう呪文は使わない方がいい。セレナの身体が保たないぞ」
「それは……んっ……」
「ほら、いかにも苦しそうじゃないか。これ以上無理はするな」
「そうじゃなくて……ユートの手が……」
「えっ……? あっ!?」
そこで僕は自分の両手がセレナのスカートの中まで侵入していることにようやく気付いた。なんか布の感触がするなと思ったら……!!
「ご、ごめんセレナ!!」
慌てて両手を元のポジションに戻す。今度はどんな制裁が下されるか――
「……別にいいわ。ワザとじゃなかったんでしょ?」
「えっ? それは、まあ……」
「く、くすぐったかったから、気を付けてよね」
「……!?」
おかしい。普段のセレナならここは問答無用でビンタのはずだ。実際セレナの胸を触った時もそうだった。さっきも自分から胸を押し付けるようなことをしてたし……。
「セレナ、何か変な物でも食ったか?」
「何も食べてないわよ! それより地上に帰るんでしょ? ゲートの場所はちゃんと分かってるの?」
「まあ、だいたいな」
城まではセアルの【瞬間移動】によって連れてこられたので、ここからだと正確な場所までは分からないが、その時の転移場所と移動時間からおおよその距離と方角は導き出すことができる。
「何が何でも捕まえるのだ!!」
「うおおおおおおーーー!!」
城の入口から何十人もの下級天使が飛び出してきた。本当にしつこいな。そんなに城の中で暴れられたことが許せないのか。こんなの全部相手にしてたらキリがない。
「セレナ、しっかり掴まってろよ!」
僕は気を引き締め直し、ゲートを目指して走り出した。
走ること数十分。おそらくあと少しでゲートの場所に到着する。下級天使共は未だに僕達を追いかけてきている。まるでファンに追われるアイドルになった気分だ。
一応新幹線以上の速さで走れる自信はあるので、その気になれば奴らを振り切ることなんて簡単だけど、そんなに速く走ったらセレナを振り落としてしまう。
「セレナ、大丈夫か?」
「……うん」
そう返事するセレナだが、後ろを向くとその表情はあまり大丈夫には見えなかった。今でも結構な速さで走ってるし、それが身体の傷に響いているのだろう。
僕はセレナのことを考えて減速することにした。しかしそのせいで下級天使共との距離が徐々に縮まっていく。このまま追いつかれては元も子もない。
「……やっぱやるしかないか」
僕は足を止め、下級天使共に向かい合った。数は更に増えており、雲の上を走ってくるのが五十、空を飛んでくるのが五十といったところか。二方向から挟み撃ちする算段なのだろう。
「ユート……戦うの?」
「ああ。鬼ごっこにもウンザリしてたところだ」
何人でかかってこようが無駄ということを教えてやるしかないだろう。




