第87話 頼もしい背中
「もう平気か?」
「……うん」
しばらくするとセレナは泣きやみ、目元を擦りながら小さく頷いた。
「ありがとうユート。助けに来てくれて……」
「そんなの当然だろ。それより急ごう、ここに来るまでにもだいぶ派手にやっちゃったし見つかるのは時間の問題だ」
それから僕はセレナに背中を向ける。
「乗ってくれ。イエグとの戦いでまともに動ける状態じゃないだろうし」
「……うん。迷惑ばっかりかけてごめん」
セレナは躊躇うことなく僕の背中に乗った。普段のセレナだったら「どさくさに紛れて変なところ触る気でしょこの変態!」とか言いそうだけど、今はそんな余裕もないのだろう。
「しっかり掴まってろよ」
セレナが思ったより軽いことに驚きつつ僕は立ち上がった。部屋から出る前、僕は一度足を止めて振り返り、ガブリの分身が消滅した跡を見た。
以前ガブリの分身と戦った時、あいつは僕を見て「テメーの魂は人間数万人分に匹敵するだろう」と言っていた。あれは幻獣の復活に必要な魂のことを言ってたんだろうけど、ラファエは「幻獣を復活させるのは覇王を滅ぼす為」だと話していた。つまりガブリの発言は手段と目的が逆転していることになる。
ラファエの話が嘘だったとは思えない。となると、ガブリには他の七星天使とは違う目的があるのか……?
「どうしたのユート?」
「……いや、何でもない」
僕は部屋を出て走り出した。ま、今そんなことを考えてもしょうがないか。
「ぬおっ……!」
走り始めると同時に僕の背中に二つの柔らかいものが押し当てられ、思わず声が出てしまった。心が健全な男子である以上、この感触には動揺せざるを得ない。
「何よ、変な声出して」
「いやその、セレナの胸が、当たって……」
「しょ、しょうがないでしょ!? アンタがしっかり掴まってろって言ったんだし!! 思う存分堪能すればいいじゃない!!」
「うおおっ!?」
セレナが更に強く胸を押し当ててくる。セレナってこんなことする子だったっけ!? ともかく身体の底から力が漲ってくるようだ……!!
「……そういえばさっきのガブリって奴、ユートのことを知ってるみたいだったけど、もしかしてどこかで会ったことあるの?」
「えっ!? あ、会ったことあるわけないだろ!? 完全に初対面だ!」
「そうなの? なんかユートを見て『なんとか態のハオウ』とか言ってたし、どういう意味なのか気になってたんだけど……」
「ど、どういう意味なんだろうな! 僕にもサッパリだ! 多分どっかの誰かと勘違いしてたんじゃないか!?」
「……そうよね」
それ以上セレナが追究してくることはなく、僕は密かに安堵の息をついた。僕の正体が覇王だなんてセレナは想像もしてないだろうな。
「それより城から出る前に寄っておきたい所があるんだけど、いいか?」
「……別にいいけど、どこに行くつもりなの?」
「この城の最上階だ。そこに『魂の壺』が置かれているらしい」
「『魂の壺』?」
「……その壺の中に、七星天使が奪ってきた人々の魂が集められているらしい」
「!! それじゃ、アタシのお姉ちゃんの魂も……!?」
「ああ。きっとその壺の中にある」
すると前方から複数の足音が近付いてくるのが分かった。
「いたぞ、あそこだ!」
「絶対に捕らえろ!」
下級天使の集団が僕達の方へ走ってくるのが見える。数は20、いや30といったところか。次から次へと湧いてきて困ったものだ。これでも一応この城に招かれた客人だというのに。
「どうするのユート……!?」
「心配するな。セレナは絶対に僕が守る。ただし振り落とされないようにな」
「……う、うん」
僕は一旦足を止め、下級天使の集団と向かい合う。
「さあ観念しろ!」
下級天使共が槍のようなものを向けてくる。残念ながらこの程度で観念するような僕ではない。
「大人しく道を空けろ。命の保証はしないぞ……!!」
威圧するように僕が言うと、下級天使共はたじろぐ様子を見せた。
「なんだ、こいつの気配は……!?」
「一体何者だ……!?」
「え、ええい怯むな!! 全員一斉にかかれ!!」
下級天使達が進撃してくる。その度胸だけは褒めてやるとしよう。
「〝破滅一閃〟!!」
僕は右腕を斜めに大きく振り、発生させた風圧で下級天使共をまとめて吹き飛ばした。
「うわあああああっ!!」
「ぎゃあああああっ!!」
天井にぶつかる者、壁に叩きつけられる者、床を転がる者。他愛もないと思いながら僕は先へと進んだ。
「ユート、アンタ本当に何者? 七星天使のイエグ相手にも圧倒してたし……」
「ただの人間だよ。とにかく僕の背中にいる以上、セレナは傷つけさせないから安心してくれ」
「……うん」
セレナの頬が背中に当たる感触が伝わる。
「……ユートって、かっこいいとこあるのね」
「そうか? そんなこと初めて言われたぞ」
「ちょ、ちょっと! 今のは聞こえてないフリをするところでしょ!? なに普通に返してるのよ! あ、アタシが恥ずかしいじゃない!」
「じゃあ最初から言うなよ!?」
時にはこんなやり取りをしながら、僕とセレナは『七星の光城の』最上階を目指した。
下級天使を薙ぎ倒しながら進むこと数十分。ようやく僕達は城の最上階に辿り着いた。その中央には巨大な灰色の壺が置かれている。
「これが『魂の壺』か……」
僕は壺の近くまで歩み寄る。よく見ると壺の中で無数の〝白く光るもの〟が浮遊している。まさかこれ全部が魂なのか……!?
「お姉ちゃん……!!」
セレナは僕の背中から下りて壺に駆け寄ろうとする。しかし身体の怪我が響いたのか、セレナはすぐに膝をついてしまった。
「お姉ちゃんが……お姉ちゃんの魂があの中に……!!」
「落ち着けセレナ。無理はするな」
僕はセレナを宥めながら、再度『魂の壺』を見る。この壺の中にセレナの姉やアスタの親友、サーシャの父親、その他大勢の人々の魂が閉じ込められている。
「……セレナはそこから動かないでくれ」
僕は拳を握りしめ、壺のすぐ傍まで近付いた。
「何をする気なの?」
「この壺を破壊する。そうすれば全ての魂は持ち主の身体に還っていくと聞いた」
「!!」
確かにラファエそう言っていた。あいつの話が本当だという確証はどこにもないが、僕はどうしても試さずにはいられなかった。




