第62話 サーシャの気遣い
日が沈み、外が暗くなり始めた頃。僕達が『邪竜の洞窟』に向けて出発するのは深夜なので、サーシャが勧めていたように今から就寝することにした。多分他の皆もそうしているだろう。
僕は【変身】で人間の姿を維持したまま、部屋のベッドに入る。やはり元人間としてはこの姿の方が落ち着くからな。さすがに覇王城にいる時には無理だけども。
そんなこんなで、ベッドに入って三時間が経過した。
「……全然眠れない」
僕は上体を起こして呟いた。まだ眠い時間帯じゃないというのもあるけど、一番の原因は何と言っても女湯での出来事だった。
あの時の興奮が今でも続いていて、目を閉じればセレナとスーの裸が浮かんできてしまう。あと五時間ほどで出発だというのに、このままでは睡眠不足の状態で『狂魔の手鏡』の入手に臨むことになってしまう。
とりあえずトイレに行こうと思い、僕は部屋を出た。廊下はすっかり暗く、お化けでも出そうな雰囲気だ。確かこの階のトイレはこの廊下をずっと歩いて左に曲がった所だったはず……。
「ん?」
その途中、ある部屋の隙間から光が洩れていることに気付いた。子供達の部屋は一階と二階だけだし、出発メンバーの中の誰かがまだ起きてるってことになる。
セレナとスーは四階の部屋だったし、リナは僕の隣りの部屋なので違う。ということはアスタかサーシャのどっちかだな。
ドアが少し開いていたので、その隙間からこっそり覗いてみる。中にいたのはサーシャだった。また【急成長】を使ったのか大人の姿になっており、何かの作業をしている最中のようだ。
「サーシャ、入っていいか?」
「うおっ!?」
するとサーシャは身体をビクッとさせ、素早く僕の方を振り向いた。
「な、なんだユートか。急に声がしたらビックリしたぞ」
「はは、ごめんごめん」
サーシャの驚いた顔は新鮮だなと思いながら、僕は部屋に入った。
「まだ入っていいとは言ってないぞ」
「駄目だったか?」
「……まあ、別に構わないが。適当な所に座ってくれ」
その言葉に甘え、僕は近くに置いてあった椅子に腰を下ろした。
「早めに寝た方がいいと言ってた本人がまだ起きて何をやってるんだ? もう出発の準備は終わったんだろ?」
「子供の一人が遊んでいる時に服を破いたそうでな。それを縫っているところだ」
よく見るとテーブルの上には針や糸などの裁縫道具が置かれていた。大人の姿になっているのは、その方が作業しやすいからだろう。
「……数時間後には出発なんだし、サーシャも休んだ方がいいと思うけど」
「構わんさ。私は『狂魔の手鏡』の入手作戦には不参加だからな。お前こそ早く寝たらどうだ?」
「そうしたいのは山々なんだけど、どうにも寝付けなくて……」
「なるほど。だが今の内にしっかり寝ておかないと作戦の最中に支障をきたすかもしれないぞ。覇王といえど眠気は難敵だろうしな」
「そうだな……」
僕はサーシャの部屋を軽く見回してみる。裁縫道具の他に、絵本や玩具など小さな子供に関係する物が数多く置かれている。
「こら、あまり乙女の部屋をジロジロ見るな」
「あっ、ごめん」
僕は視線をサーシャの方に戻した。六歳で乙女と呼べるかは甚だ疑問だけども。
「……一人で三十人以上の子供の面倒を見るのは大変じゃないか?」
「セレナ達も色々手伝ってくれてるし、一人というわけじゃないさ。でもまあ、大変なのは確かだな。正直疲労は溜まっている」
育児に疲れた母親のような顔でサーシャは言う。
「だったら尚更休んだ方がいいんじゃないか?」
「心配するな。これくらいで音を上げる私ではない」
「……ならいいんだけどさ」
「それよりアスタ達とはどうだ? やはり覇王のお前としては人間から対等に扱われるのは不服かな?」
少し悪戯っぽい顔で尋ねるサーシャに、僕は首を横に振る。
「そんなことない。むしろ逆かな」
「逆?」
「覇王に転生する前は普通の人間だったから、人間として接してくれた方がやっぱり落ち着くし気持ちも楽になる。覇王という肩書きは僕には荷が重い」
「ふっ、お前もお前で苦労してるみたいだな」
「まあな」
さて。これ以上作業の邪魔をするのは悪いし、そろそろ自分の部屋に戻ると――
「待てユート」
部屋から出ようとした僕をサーシャが呼び止めた。
「少し前にスーの偽者が現れる騒ぎがあったようだが……犯人はお前だな?」
「うっ!?」
案の定サーシャにも伝わってたか。口籠もる僕を見て察したのか、サーシャは大きく溜息をついた。
「やはりそうか。【変身】の呪文が使えるのはお前くらいのものだからな。しかもその姿を利用してセレナと風呂にまで入ったそうじゃないか」
「……はい」
「まったく、この大事な時に何をやってるんだ。性的欲求を満たすのは今日じゃなくてもよかっただろう」
「……はい」
もはや頷くことしかできなかった。
「だいたいお前も【千里眼】を使えるのだから女の裸などいつでも見られるだろうに。それだけでは飽きたらず直接見てみたくなったのか? まあセレナは女の私から見てもかなりの上玉だし、気持ちは分からないでもないが」
「い、言っとくけどスーの姿に変身したのはちゃんと理由があったんだからな!? セレナと風呂に入ったのも、なんというか、成り行きでそうなったというか……」
「では疚しい気持ちは全くなかったんだな?」
「……いいえ」
再び溜息をつくサーシャ。
「セレナには【変身】と【瞬間移動】が使える知り合いの女に私から頼んでサプライズを仕掛けてもらった、と説明しておいた。もちろんそんな人物は存在しないが」
「えっ……それで納得したのか?」
「セレナはああ見えて純粋だからな。それでも納得させるまでだいぶ苦労した」
まあ、スー本人が現れるまで僕が偽者だと気付かなかったくらいだしな……。
「言っておくがお前の為じゃないぞ。お前が犯人だとバレたら呪文を使えないはずのユートが呪文を使ったことになって面倒なことになるし、騒ぎが大きくなると明日の作戦に影響が出かねないと思ったからだ。感謝するんだな」
「……恩に着る」
サーシャに大きな借りができちゃったな。でも借りを作るのはあまり好きじゃないし、今すぐこの場で返すとしよう。
「呪文【倦怠快癒】!」
サーシャの身体が淡い光に包まれる。【万能治癒】が身体の異常を治す呪文に対し、【倦怠快癒】は身体の疲れを取る呪文だ。さっき疲労が溜まってるって言ってたからな。
「これで気休めにはなるだろう」
呪文を使ったことで【変身】が解け、僕は覇王の姿に戻る。するとサーシャは小さく笑みをこぼした。
「お節介な覇王だな。だがおかげでだいぶ楽になった。とりあえず礼は言っておく」
「なに、余はただ借りを返しただけだ。それより忘れてはおるまいな? 『狂魔の手鏡』を入手した暁に、地上と天空を繋ぐゲートの場所を教えるということを」
「もちろん覚えている。ちゃんと約束は守るから安心しろ」
「……ならばよい」
サーシャが本当にゲートの場所を知っているのか、そもそもそんなゲートが存在するのか未だに半信半疑だけど、今は『狂魔の手鏡』の入手に集中するとしよう。
「ところでユート。前から気になっていたが、その口調の切り替えは意識してやっているのか?」
「……無意識だ」