第50話 一時撤退
一方、人間領の西方面にて。
「はあっ……はあっ……クソがぁ……!!」
そこには森の中を徘徊するガブリの姿があった。病人のように顔色が悪く、足をフラつかせながら歩いている。その原因は、昨晩ガブリが【月影分身】の呪文で生み出した二体の分身の内一体が覇王によって葬られたことにあった。
ガブリの本体と分身は痛覚や触覚といった感覚は共有していないが意識は共有している。つまりガブリは覇王に片腕を潰され、その上【死の宣告】によって殺害されるという残酷な疑似体験を味わい、そのせいでしばらく森の中で藻掻き苦しんでいたのであった。
「【月影分身】は一体生み出すだけでMPを三分の一以上消費する……一体分身を消されるだけで大打撃だってのに……覇王めええ……!!」
怒りに満ちたガブリの目。数分後にようやく胸やけが収まると、ガブリは不気味な笑みを浮かべた。
「覇王の命なんぞに興味はなかったが……面白え。この屈辱は一億倍にして返す。幻獣にはやらせねえ……覇王は俺がこの手で惨殺してやる。ンッフッフッフッフッフッフ……!!」
奇妙な笑い声を放つガブリ。そんなガブリを見て、近くにいたモンスター達は逃げるようにガブリから離れていった。
『ガブリ、ワシじゃ』
するとガブリはセアルからの念話をキャッチした。
「セアルか。俺のことが恋しくなって声を聞きたくなったのか?」
『……用件だけ伝える。至急「七星の光城」に帰還しろ』
「はあ!? まだ人間共の魂は半分も集まってねーだろ!? なんで今帰らねーといけねーんだよ!!」
『状況が変わった。魂狩りは一旦中止じゃ。ワシとミカも帰還するから事情はその時に説明する』
「っざけんじゃねーよ!! せっかくテンション上がってきたところだったのによお!!」
『ガブリ、これは命令じゃ。もし無視したら……分かっているな?』
それでセアルからの念話が切れる。
「セアルめ、他の奴らには激甘なクセになんで俺にだけ厳しいんだか。ツンデレかよ」
チッ、とガブリは舌打ちをする。
「わざわざ戻るのもメンドクセーし、もう一体の分身を行かせるとすっか」
すると再びセアルからの念話が繋がった。
『言っておくが分身を行かせるのはナシじゃからな。お前自ら来い』
「……へいへい。分かりましたよリーダー」
苛立った表情でガブリは言った。
こうしてセアル、ガブリ、ミカは一旦人間界を離れ、「七星の光城」に帰還することになった。
☆
「つ……疲れた……」
子供達と鬼ごっこや隠れん坊などで散々遊んだ後のこと。僕とリナ、サーシャの三人は今、アジトの地下へと続く階段を下りていた。
何が疲れたかって。今の僕は【弱体化】を解除した状態だったので、僕の高すぎるATKとDEFで子供達を傷つけないように細心の注意を払いながら遊ばなければならなかったからだ。
例えるなら象と蟻が戯れるようなものだ。サーシャのアジトに子供達がいると予め分かっていたら【弱体化】を自分にかけてから変身したのに。
「すまないな二人とも、子供達の遊び相手になってもらって。おかげで皆もいつも以上に楽しかったことだろう」
「……それは何よりだ」
まあ、たまには童心に返って遊ぶというのも悪くない。子供達の無邪気な笑顔を見ていたら、なんだか僕も元気が湧いてきた。
「情けないな、私は。何の保証もない約束でしか子供を安心させることができないとは……」
サーシャが暗い表情で言った。きっと女の子に「(お母さんは)必ずお前の所に帰ってくる」と断言してしまったことを悔いているのだろう。だが確かに、たとえ七星天使を倒して人々の魂を奪い返すことに成功したとしても、一度肉体から分離した魂を再び肉体に戻せるとは限らない……。
いや、こんなマイナス思考ではダメだ。魂を取り戻したら人々は必ず元に戻る、今はそう信じるしかない。そうでないとこのアジトにいる子供達があまりにも可哀想じゃないか。
「ところでサーシャ。昨夜『私にはあまり時間が残されていない』とか言ってたけど、あれってどういう意味だ?」
頭の中を切り替えようと、僕はサーシャに別の話題を振った。
「……私は近い内に目が見えなくなる」
「えっ!?」
僕は思わず声を上げた。
「目が見えなくなるって、なんで……!?」
「【千里眼】も【千里聞】もそれぞれの器官にかなりの負担を強いる呪文だからな。【千里聞】はあまり使う機会がなかったから耳の方はまだ大丈夫だろうが、【千里眼】は結構な頻度で使っていたので目の方はだいぶ酷使してしまった……」
サーシャはそっと目の下に手を当てる。
「そのせいで私の視力は現在進行形で低下している。【千里眼】を発動していない今ですらな。私の予想では半年から一年後には完全に目が見えなくなっているだろう」
「……それ、本当に【千里眼】が原因なのか? 僕も【千里眼】は結構使ってるけど、特に視力が下がったと感じたことはないし……」
「お前のような化け物と一緒にするな。人間と覇王では呪文を使う際のリスクが違いすぎて比較にもならない」
「……なるほどな」
「あまり時間が残されていないと言ったのはそういうことだ。私が視力を失う前に、何としても七星天使を全員抹殺し、奪われた魂を取り戻す」
強い決意に満ちた目でサーシャは言った。僕だって七星天使を葬るのに半年もかけるつもりはない。「人間と悪魔が共存できる世界を作る」という僕の悲願を成し遂げる為にも、人々の魂を取り戻す僕の姿をサーシャにもしっかりと見てもらわなければ。
「きゃっ!?」
すると突然サーシャの身体が光り出し、リナが小さな悲鳴を上げた。これは昨日僕も見た、サーシャの【急成長】が解ける合図だ。制限時間を超えて自動的に解けたのか、自分の意志で解いたのかは知らないが、サーシャは大人から子供の姿に戻った。
「んー、やはりこの姿の方がしっくりくるな」
そう言って大きく伸びをするサーシャ。僕からすれば違和感しかないんだけども。
「驚いたかリナ? これがサーシャの本当の――ん?」
僕はリナが口元を緩ませてサーシャを見ていることに気付いた。
「か……可愛いです……!!」
どうやらリナは子供姿のサーシャにハートを鷲掴みにされたようだ。でも確かに可愛いよな。僕がロリコンだったら色々とやばかっただろう。
「あ、あの! 無礼を承知でお願いなんですけど、抱っこしてもいいですか!?」
リナが目を輝かせながら言う。こんなにはしゃいでるリナはなんだか新鮮だ。
「……悪いが私は子供扱いされるのがあまり好きではない。だからそういうことをされると――」
「いいってよリナ。思いっきり抱っこしてやれ」
「ありがとうございます!」
「おい待て! 私はいいなんて一言も……!!」
リナは背中からサーシャを抱え、愛おしそうにギュッと抱き締める。
「本当に可愛い……まるでお人形さんみたいです……」
「……ユート、後で覚えてろよ」
ジト目で僕を睨むサーシャ。しかしその表情はどこか満更でもなさそうに見えた。別に六歳児を子供扱いすることは何もおかしくないしな。




