第43話 謎の女性
「分身とはいえ、あの七星天使が手も足も出ないとはな。流石だと言っておこう」
それは女性の声だった。やがて僕の目はその姿を捉える。背は比較的高く、髪はショートの赤。見た目は20代前半で、なかなかの美人である。どうやら今のガブリとの戦いを見られていたようだ。
「……貴様、何者だ。七星天使の仲間か?」
「残念だが私はごく普通の人間だ。多少呪文が使えるだけのな」
女性は覇王の僕を目の前にしても全く物怖じしていない様子だった。この姿を見て平然としている人間は初めてかもしれない。
「私の名はサーシャ。お会いできて光栄だよ、覇王様。いや、ユート様とお呼びした方がいいのかな?」
この発言に、僕の身体が無意識にピクリと動いた。
「何故貴様がその名を知っている……!?」
ユートの名を知っているのは覇王軍の悪魔達とキエルさんだけのはずだ。どうしてこの人がその名前を……!?
「知っているさ、お前のことは何でもな。お前にアンリやペータといった部下がいることも、リナという設定だけの妹がいることもな」
えっ、そんなことまで!? しかもリナのことまでバレている。まさか覇王軍の中に情報を漏らしている悪魔がいるのか?
だが動揺を見せてはダメだ。ここは覇王として毅然とした態度でいなければ。
「どこでその情報を手に入れた?」
「お前なら見当はつくだろう。それを可能とする呪文をお前も持っているはずだ」
僕は少し考える。そしてある呪文の名が僕の頭に浮かんだ。
「まさか【千里眼】か?」
「ご名答。【千里眼】があれば世界中のどこへでも自分の視界を飛ばすことができる。加えて私は【千里聞】の呪文も所持していてな」
「【千里聞】……?」
「簡単に言えば【千里眼】の聴覚バージョンだ。この二つによって私は世界中のあらゆる情報を入手できるわけだ。無論、覇王に関することもな。お前がこの世界に蘇った時からずっと、私はお前のことを観察していた」
マジかよ。まさか人間の中にも【千里眼】を所持する者がいるなんて思わなかった。しかも【千里聞】という呪文まで所持しているとは。だけど覇王軍の誰かが情報を漏らしたわけじゃないことが分かって少しホッとした。
「……貴様のような人間は他にもいるのか?」
「おそらくそれはない。【千里眼】を使える人間は百年に一人もいないと言われている。【千里聞】も同様にな。ましてや二つとも所持する人間は歴史を見ても私を除いて他にいないだろう。悪魔や天使にも同じことが言えるはずだ」
それはよかった。百も二百も【千里眼】とか【千里聞】を使える者がいたら堪ったもんじゃないからな。
「ちなみに私がここに来たのは【未来予知】の呪文によって覇王と七星天使がこの場で戦う未来が見えたからだ」
「……ほう、未来を予知することもできるのか。なかなか優秀だな」
とまあ上から目線で言ってみたものの、内心ではかなり驚いていた。もはや多少呪文を使えるってレベルじゃないだろ。一体何者だよこの人。
「ふっ。膨大な数の呪文を所持する覇王様に褒められても皮肉にしか聞こえないな」
「皮肉などではない。余は素直に感心して――」
そこでふと僕は〝あること〟に気付き、言葉を止めた。
ちょっと待てよ。さっきこの人、僕のことをずっと観察してたって言ったよな? ということは……。
「まさか貴様、余の〝あのこと〟も知っているのか?」
「あのこと? お前の中身が普通の人間だということか?」
やっぱり!! リナとの会話もバッチリ聞かれてるじゃん!! やばいどうしよう、最大の弱味を握られてる!!
「ま、悪魔の頂点に君臨する覇王が実は元々人間だった、なんてことがバレたら大騒動になることは間違いないだろうな」
サーシャがイヤらしく笑う。まさかこの人、僕を脅す為にここに来たのか……!?
落ち着け僕。決して動揺を見せるな。これを弱味だと彼女に認識させないために全力で虚勢を張るしかない。
「ふっ、バラしたければ勝手にバラすがいい。余に仕える悪魔達は余のことを心から慕っている。たとえ余の中身が人間ということが露呈したとしても、我々の体制が揺らぐことはない」
「そうか。ならバラしても問題はないな?」
えっ、そうくるの!?
マズイぞこれは。悪魔の大半は人間を嫌悪してるし、もし知られたら悪魔達がどんな行動に出るか分かったもんじゃない。その中でも特に人間を嫌っているアンリにバレたらどうなるか、想像しただけで背筋が凍りついてしまう。
「ははっ、冗談だ。バラしたところで私には何の利益もないし、お前達の体制がどうなろうと全く興味がないからな」
僕は心の中で大きく安堵した。この人が弱味をチラつかせて脅迫するような人じゃなくてよかった。下手したら口封じの為に彼女の命を奪う羽目になっていたかもしれない。
「ならば貴様が余の前に現れた目的はなんだ? ここで余と一戦交える為か?」
「まさか。さっきも言ったが私はごく普通の人間だ。そんな私が覇王に挑んで勝てるわけがないだろう」
ごく普通の人間が【千里眼】や【未来予知】を使えるだろうかという疑問はあるけど、それは置いておこう。
「それに今の私は足に怪我を負っている。日常生活に支障はないが、戦闘など無理に等しい。まあ怪我の有無にかかわらず、お前と戦ったら秒殺されるのがオチだろうがな」
「……つまり余の命が狙いではないということか」
「ああ。これでも身の程は弁えているつもりだ。そもそも私にはお前の命を狙う理由がない」
「では貴様の目的は何だ? 何の目的もなく余の前に現れたわけではあるまい」
「……そうだな」
しばらく沈黙が流れた後、サーシャは頭を深く下げた。
「頼みがある。どうか私の仲間になってほしい」
「!!」
完全に予想外の発言だったので、僕は一瞬呆気にとられてしまった。
「ふっ。くくっ……」
そして思わず笑いが込み上げてきてしまう。
「何がおかしい? 私は真剣だぞ」
「いやすまない。まさかこの覇王を仲間にしようとする人間が現れるとはな。もっと理知的な女だと思っていたが、これは面白い。貴様は自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「当然だ。私はお前を仲間にする為ここに来た」
サーシャの目からとても強い意志を感じる。どうやら彼女は本気のようだ。