第36話 思わぬ再会
「なあ聞いたか? 最近あちこちでまるで魂を抜かれたように意識不明になる奴が続出してるんだってよ」
「なんだそりゃ。そんなの初めて聞いたぞ」
「ま、俺もデマだとは思うけどさ」
サンドイッチを食べている最中に隣りのテーブルに座る男二人からこんな会話が聞こえてきた。間違いない、例の魂消失事件のことだ。
町の大通りを歩いていた時もこういう会話はチラホラ耳に入ってきていた。どうやら事件のことは噂程度には広がっているようだ。敵の隠蔽工作も完璧ではないということか。しかしまだ半信半疑という人が大半を占めているだろう。
「もしそれが本当なら、犯人は絶対悪魔の奴らだろうな」
「だな。魂を抜き取るなんて、いかにも悪魔がやりそうなことだ」
ってちょっと何その風評被害! せっかく僕が人間と悪魔が共存できる世界を作ろうとしてるのにそういう噂を流すのやめてくれよ! まあ悪魔の仕業じゃないという根拠はないんだけども。
「すまんリナ、少し待っててくれ」
「あ、はい」
サンドイッチを食べ終えた後、僕はトイレに行こうと席を立った。魂消失事件が悪魔の仕業という根も葉もない噂が広がる前に、何としても犯人を探し出さなくては。そんなことを考えながら、僕は男女共用トイレのドアを開けた。
「……え?」
その瞬間、僕は目の前の光景に唖然とした。誰もいないと思って開けたトイレには、なんと女の子がいた。黒髪のセミロングで、可愛らしくも強気そうな顔立ち。用を足し終えたばかりなのか、前屈みになってパンツ(ピンク色)を上げている最中だった。
僕と目が合い、女の子は一瞬固まる。その顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていった。
「きゃああああああああああーーーーー!!」
「ま、待ってくれ!! これはワザとじゃ――うおっ!?」
動揺のあまり足がもつれてしまい、身体が彼女の方に倒れそうになる。僕は反射的に両手を伸ばした。
「……あ」
なんとか倒れずには済んだ。が、僕の両手はそれぞれ違う感触を捉えていた。左手にはトイレの壁の冷たい感触。そして右手には――彼女の胸の柔らかい感触。そう、僕の右手は彼女の左胸をばっちりと掴んでいたのである。僕はいつからエロ漫画の主人公になったんだろう。
「おぐっ!?」
彼女が僕を激しく突き飛ばし、後ろの壁に激突する。
顔をリンゴのように真っ赤にし、目に涙を浮かべる彼女。その直後、僕は彼女から強烈なビンタをお見舞いされた。
「最っ低……!!」
そう言い放ち、彼女はトイレから出て行った。
「…………」
しばらく僕はその場で呆然と立ち尽くす。まだ頭が現実に追いついていない状態だが、とんでもないことをやらかしたのは確かだった。
HP 9999999912/9999999999
ふとステータスを確認してみると、HPが77も減少していた。【弱体化】によってDEFを低下させてたとはいえ、七星天使のウリエルと戦った時よりも大きなダメージである。精神的ダメージも加味されているように見えるのは気のせいだと思いたい。
「先程お手洗いの方から女の人の悲鳴が聞こえましたけど、何かあったんでしょうか……?」
ビンタされたところを手で押さえながらテーブルに戻ると、リナが心配そうに尋ねてきた。
「さ、さあ? トイレにおぞましい害虫でも出たんじゃないか?」
僕は適当な嘘でごまかした。正直に話したら間違いなく軽蔑される。
でもよく考えたらドアの鍵を閉めていなかった彼女にも非があるのではなかろうか。まあそれを言ったらノックせずに入った僕も悪いんだけども。
「そろそろ店を出ようか」
「はい。ご馳走様でした」
だけどDEFを低下させておいてよかった。もしDEFが99999のままだったら逆にビンタした彼女の手を傷つけていたかもしれない。その代わり僕の頬がヒリヒリ痛むけど。
一つ心残りなのは、彼女に一言も謝れなかったことだ。正確には謝る前に彼女が僕の前から去ってしまった。でもなんだか彼女とはまたどこかで会いそうな気がする。何の根拠もないけど、もしまた会うことがあればその時はちゃんと謝罪しよう。
喫茶店を出た後、僕とリナは再び町の中を歩き回る。早く魂消失事件の手掛かりを見つけないといけないのに、さっきのトイレでの光景が何度も蘇ってきて全く集中できない。
それにしても凄く可愛い子だったな。リナにも引けを取らないと言ってもいい。どうせならもっとしっかり目に焼き付けておけばよかっ――
「おらあっ!!」
僕はすぐ近くに立っていた木に頭を激しく打ちつけた。
「えっ!? きゅ、急にどうしたんですか!? 大丈夫ですか!?」
「……問題ない。心配させてごめん」
額から血を流しながらリナに答えた。僕はこの町に何をしに来た? 魂消失事件の犯人を探し出す為に来たんだろ? ラッキースケベを体験する為に来たんじゃない。だけど今の衝撃で煩悩は完全に消え去ったし、これで心置きなく集中できる。
「ん?」
喫茶店を出てから数分後、僕は通りかかった公園の前でふと足を止めた。何かのイベントなのか、公園ではイヌやネコなどの動物の着ぐるみを来た人達が子供達に風船を配っていた。
僕はその中のウサギの着ぐるみに注目する。なんだろう、あのウサギからもの凄い気迫を感じる。まるで歴戦の戦士のような雰囲気を纏っている。僕の勘が正しければ、あのウサギの中には……。
「あっ」
すると何の脈絡もなくそのウサギがずっこけ、着ぐるみの頭がポロッと取れる。そして見覚えのあるおっさんの顔が露わになった。
「うわあああ!! ウサギさんからおっさんが出てきた!!」
「うえーんママー!!」
子供達が泣きながら一斉に逃げていく。そのウサギ――いやおっさんは、ずっこけたにもかかわらず堂々とした風格で起き上がった。
ああ、やっぱりキエルさんだ。相変わらずバイトでのミスは絶えないようだ。
「リナ、悪いけどこの辺で適当に時間を潰しててくれないか? ちょっとあの人と話をしてくる」
「お知り合いですか?」
「……まあ、そんなところかな」
僕は一旦リナと別れ、その公園に入った。キエルさんはバイトのリーダーっぽい人から説教を受けていた。
「ちょっと君いい加減にしてよ!! これでコケるの何回目!?」
「安心しろ。風船は一個たりとも手放してはいない」
「そういうことを言ってるんじゃない!! 子供達に顔を見られちゃ駄目でしょ!? 何度子供達の夢を壊せば気が済むわけ!?」
「俺は戦場を生きる戦士であると同時に子供達の希望の星でもある。その俺が子供達の夢を壊すなど有り得るはずがない」
「いや現に壊しちゃってるからね!? 次にコケたらクビにするよ!?」
「この俺をクビだと? それが何を意味するのか分かっているのか?」
「私のストレスが減ることを意味するだろうね!! とにかく次コケたらクビだから!! いいね!?」
僕はその様子を少し離れた所から眺める。若い男の人から叱られるおっさんという構図はなんだか見ていて悲しくなるな……。




