第223話 美味しくなる魔法
「ま、現実は復讐を果たすどころか、全く歯が立たずに返り討ちにされちゃったけど。身の程を思い知らされた気がした」
やや重たい口調でスーは言った。以前『邪竜の洞窟』でセアルと戦った時のことだろう。しかし相手は七星天使の第一席だったわけだし、命が無事だっただけでも僥倖だ。
「……落ち込むことはないと思う。誘拐された過去のせいで七星天使がトラウマになってもおかしくないのに、それでも立ち向かうなんて簡単にできることじゃない。その勇気は誇りを持っていい」
僕が素直な気持ちを口にすると、スーは優しい笑みを浮かべた。
「ありがと。でも大丈夫、落ち込んでるわけじゃないから。悔しさはあるけど、セレナやアスタはもっと悔しかったと思うし、私のことは心配しなくていい」
「……そうか」
それからしばらく沈黙が流れる。スーを誘拐した七星天使について何か手掛かりがないか聞こうとしたが、思い留まった。今更それを詮索したところでどうにもならないし、スーもあまり思い出したくないだろう。
「なんかごめん。せっかくのデートなのに、こんな湿っぽい話をしちゃって」
「いや、聞いたのは僕なんだし、謝る必要ないよ」
「それと、このことは皆には内緒。もし言い触らしたらユートが私を抱いたことをセレナにバラすから」
「ああ、絶対誰にも言わない――って抱いたことなんてないだろ!!」
つい大声を出してしまい、再び周囲の客から注目を浴びる。
「これから抱くかもしれないし。私もユートなら別に構わない」
「……あのな、そういうことは冗談でも言うもんじゃないぞ。本気にする男がいたらどうするんだ」
「大丈夫。こんなことユートにしか言わないから」
「…………」
返す言葉も見つからなかった。
「お客様、お待たせしました」
ちょうどそこに、盆を持ったキエルが現れた。テーブルの上にアイスティー、チョコケーキ、ミルクココア、バニラアイスが置かれていく。ちゃんと注文通りで安心した。
「ん?」
最後に置かれたフルーツパフェを見て、僕は首を傾げた。頼んだ覚えのない品だ。
「あの、これは……」
「サービスだ」
「……あ、どうも」
なかなか粋なことをしてくれる。ここはありがたく頂いておこう。
「では今から美味しくなる魔法をかけてやろう」
「いやいいよ!! そういう店じゃないだろここ!!」
「遠慮するな。萌え萌え――」
「いいって言ってるだろ!? 早く仕事に戻ってくれ!!」
「……そうか。ごゆっくりどうぞ」
少し残念そうな様子でキエルは去っていった。そんなおぞましいものを見せられたら夢にまで出てきそうだ。そもそもこの世界にそういう文化があったことが驚きだよ。
「あのおじさん、面白いね」
「……そうだな」
かつて死闘を繰り広げた相手だなんてスーは思いもよらないだろう。
そして僕がチョコケーキを食べている最中、事件は起きた。何を思ったのか、スーがバニラアイスをスプーンで掬い、僕の口元に運んできたのである。
「はいユート。あーん」
「は!? ちょ、ちょっと待った!」
「待たない。デートなんだし、これくらい普通」
「でもこれ間接キスになるんじゃ――」
「あーん」
「…………」
スーの威圧感の前に為す術もなく、僕は口を開けてしまう。そこにスーがスプーンを優しく滑り込ませた。
「どう? 美味しい?」
「う、うん……」
正直味なんて分からない。スーはよくこんなことが平然とできるな。てかこれ、セレナに見られてたら大変なことに――
「せ、セレナさん! フォークが凄いことになってますよ!?」
リナの叫び声が聞こえたのでそちらに目をやると、セレナがフォークをへし折りながら身体を震わせていた。しまった、完全に見られてた。
「あっ。ユート、ほっぺたにクリームが付いてる」
「えっ!?」
まずい、このパターンは……!!
だが気付いた時には既に遅く、スーは僕の頬に付いたクリームを人差し指で掬い、それをペロッと舐めた。
「ん……おいし」
ほんのり頬を赤く染めるスー。同時に奥の席から大きな音が響いた。
「セレナさん、しっかりしてください!! セレナさーん!!」
再びリナの叫び声。セレナがテーブルに頭を打ち付けた状態で泡を噴いていた。このままではセレナが保たない。
「……ちょっとやりすぎたかも。反省」
「ちょっとどころじゃないからな!?」
喫茶店を出た僕は、深々と息をついた。なんだか凄く疲れてしまった。
「暗くなってきたけど、これからどうする? ユートがそのつもりなら、私は明日の朝まで付き合う覚悟はあるけど」
全然反省してないよこの子。
「申し訳なけど、スーはセレナ達と合流して先に帰ってくれないか? 僕はさっきのおっさんに用があるんだ」
「えっ。私とのデートより、あのおじさんを優先するってこと? もしかしてユート、実はそっちなんじゃ――」
「違うわ!! ちょっと話をするだけだよ!!」
「……そう。できればもっとユートとの浮気を続けたかったけど」
とうとう浮気って言っちゃったよ。不用意に「何でもする」なんて口にした僕も悪いんだけど……。
「今日はありがと。凄く楽しかった。また遊んで」
直後、右の頬に柔らかい感触が走った。なんとスーが僕の頬にキスをしたのである。
「な……な……!!」
急激に僕の体温が上昇していく。少し照れくさそうに小首を傾げるスー。
「……唇にしてほしかった?」
もはや声も出なかった。スーはある意味幻獣以上の難敵かもしれない……。




