第213話 不意の窮地
活動報告にて、書籍第1巻の表紙を公開しております!
人間の姿のまま、僕はゆっくりとキエルのもとに歩み寄る。辛うじてHPが残ったらしく、まだ息はあった。僕の拳をまともに喰らったというのに、大した男だ。
「そう言えば、キエルと初めて会った時も、この姿だったな」
「……フッ」
敗北を喫したにもかかわらず、キエルはいつになく清々しい表情を浮かべていた。
「まさか戦闘中に【変身】を使ってくるとはな……さすがに読めなかった。俺もまだまだ未熟だったな。だが、悔いはない……」
仰向けに横たわったまま、キエルは呟く。
「それにしても、その姿のお前に引導を渡されるとはな。ま、俺達の決着には相応しかったかもしれん……」
しばらく空を見つめた後、キエルは口を開いた。
「さあ……殺せ。俺の死に場所は戦場だと生まれる前から決めている。お前ほどの男に殺されるのならば本望だ」
「…………」
僕は【変身】を解除し、覇王の姿に戻る。そしてキエルに向けて手を伸ばし――キエルの近くに転がっていた〝エンダードの眼〟を拾い上げ、背を向けた。
「どういう……つもりだ?」
「言ったはずだ、余は無意味な殺傷はしないとな。欲しい物が手に入った以上、貴様を殺す理由はない」
「……敗北した相手に情けをかけられて生き長らえることは、戦士にとってはこの上ない屈辱。素直に殺してくれた方が遙かにマシだ」
「悪いが何と言われようと、余は己の主義を曲げるつもりはないのでな。生きることが屈辱だというのなら、屈辱を背負ったまま生きるがいい」
そう言い残し、僕はキエルのもとから去っていった。
☆
キエルとの決闘を終えてから、数時間が経過した。僕は今、覇王城に向けてひたすら歩き続けていた。
人間の死体を半悪魔として復活させる『闇黒狭霧』を生成するには〝エンダードの眼〟の他に三つの材料が必要となる。その三つは覇王城に保管してあるので、まずはそこまで取りに行かなければならない。もはや【瞬間移動】を発動させるだけのMPすら残っていないので、こうして歩くしか方法はなかった。
それにしても、キエルの拳はかなり効いた……。全身の激痛が一向に治まる気配がない。今の僕は歩くのがやっとという有様だった。
そういえば、まだ【地獄の黒渦】を解除していなかったな。大勢の者達が今も亜空間に幽閉されたままだ。突然見知らぬ空間に飛ばされ、混乱している者も多いだろう。
だが、それは後回し。今は『闇黒狭霧』の生成が最優先だ。それに、こんなボロボロの覇王なんて見られたくないしな。アンリが見たら卒倒しそうだ。
しかし、いつになったら覇王城に着くのやら。次第に意識が朦朧としてくる。キエルとの決闘に臨んだ時点で満身創痍だったのだから無理もないよな。果たしていつまで身体が保つか……。
「ぐっ……」
やがて限界が訪れ、とうとう僕は地に膝をついてしまった。これ以上歩き続けるのは無理だ。しかしそれでは覇王城に戻ることが――
待てよ。MPは睡眠によって回復するので、少し眠ってから【瞬間移動】を使えば済む話じゃないか。こんなことも思いつかないほど僕は疲弊しているのかと、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「少し……眠るか……」
僕は近くに立っていた木に寄りかかり、目を閉じた。ここまでずっと闘い続きだったんだ、ちょっとくらい眠っても罰は当たらないよな。程なくして、僕は深き眠りの中へと落ちていった――
☆
「…………」
どれくらいの時間、眠っていただろうか。すぐ近くに何者かの気配を感じ、僕は眠りから覚めた。誰だ……?
顔を上げると、仮面とシルクハットを身に着けた一人の男が目の前に立っていた。
「エリ、トラ……?」
そう。それは僕の配下であり四滅魔の一人、エリトラだった。こうして会うのはガブリ達との大戦に臨んだ時以来である。あれからエリトラは忽然と姿を消し、行方が分からなくなっていた。
「……心配したぞ。今までどこに――」
ザシュッ
「……?」
最初、その音が何なのか気付かなかった。ゆっくりと視線を下に向けると、僕の胸に一本のナイフが刺さっている。それはエリトラの投射したナイフが、僕の胸に突き刺さった音だった。
「エリトラ……これは何の真似だ……!?」
いつの間にか両腕と両足が茨のようなもので縛り付けられている。これでは起き上がることもできない。普段の僕であれば自力で引きちぎることは造作もないだろうが、今の僕にそんな力は残っていなかった。
「貴方と幻獣の闘い、全て見届けさせていただきました。まさかあの幻獣を葬ってしまうとはね……。おかげ様で我の計画も台無しですよ」
冷めた口調でエリトラが言う。僕の知っているエリトラとはまるで別人のような雰囲気である。しかしこの気配はエリトラ本人で間違いない。誰かに操られているような様子もない。
「計画、だと……?」
「はい。幻獣の力を以てこの世界を滅ぼす、それが我の計画でした」
「何……!?」
そこで一つの推測が僕の脳裏を過ぎる。幻獣はこの世から消え去った。しかし一体誰が幻獣の封印を解いたのか、その謎がまだ解決できていなかった。まさか……!!
「そう。幻獣の封印を解いたのは我です」
「……!!」
僕は絶句した。幻獣をこの世に解き放ったのが、エリトラだったとは……!
「何故そんな真似を……余を裏切ったのか……!?」
「裏切った? それは少し違いますね。むしろ覇王様の配下としては相応しい行動だったと思っていますが」
「どういう意味だ……」
「貴方はこの世界の人間共を滅ぼすために蘇った。貴方ならきっとそれを成し遂げてくれる、そう思ったからこそ我は貴方の配下となったのです」
溜息を吐きつつ、エリトラは言葉を続ける。
「しかし聞けば、貴方は覇王城でくだらない遊戯で遊んでばかり。人間を滅ぼす気など全くない。そこで我は貴方を見限り、別の方法で人間共を滅ぼすことにしたのです」
「その方法が……幻獣の復活か……!?」
「その通り。七星天使も同じく幻獣の復活を企てていたのは好都合でした、我一人だけで人間1000人分の魂を集めるのは骨が折れますからね。せっかくなので彼らの計画を利用させていただきました」
「馬鹿な……余が幻獣を葬らなければ、奴はこの世界そのものを滅ぼしていた……人間だけでは済まなかったぞ……!!」
「むしろそうなることを望んでいたんですがね。人間を生み出したこの世界を滅ぼせるのなら、それ以上に素晴らしいことはない」
僕は戦慄を覚えた。こいつが人間に対して抱く憎悪は普通の悪魔の比ではない。何故ここまで人間を憎んでいるのか。
「突如我が姿を眩ました理由は、七星天使のキエルに我の正体がバレてしまったからです。それを他の者にも知られたら、我の計画に支障をきたす怖れがありましたからね」
「貴様の、正体……?」
「我は悪魔などではありません。ごく普通の人間です」
「なっ……!?」
更なる衝撃が僕を襲った。四滅魔の一人であるエリトラが、人間だと……!?




