第202話 覇王の魂
「俺は幻獣が封印されていた『幻獣の門』の内側に足を踏み入れた。そこには数千年前に勃発した幻獣と覇王――つまりかつてのお前の闘いの記録が綴られていた」
「……かつての余、か」
大昔に幻獣と覇王が闘ったことは奴の言葉からも明らかだ。しかし僕が覇王として転生したのはつい最近のことであり、その覇王は今の僕とは中身が違う。故にその闘いの詳細までは知る由もない。
「かつての覇王は自らの魂を幻獣の体内に埋め込み、幻獣の力を飽和状態に陥らせることで奴を無力化し、封印に成功したとあった」
「なるほど。そういう発想はなかった」
「まるで他人事のような物言いだな。覚えていないのか?」
「……ああ。なんせ数千年も前のことだからな。記憶も曖昧だ」
無論、曖昧どころか記憶自体が僕には存在しない。キエルはこの覇王の身体に宿るのが阿空悠人という人間の魂であることは知らない。知っているのはリナとサーシャだけだ。だがそんなことを話せる状況ではないだろうし、今は嘘でやり過ごそう。
しかし僕の心中を読んでいたかのように、キエルは小さく口角を上げた。
「惚ける必要はない。この記録が真実なら、もう覇王の身体に魂は宿っていないはず。つまりお前が今こうして生きていること自体が有り得ないことになる。身体に魂の宿っていない生者など存在しないからな。あくまで推測だが、何らかの拍子に新たな魂が覇王の身体に入り込んだのだろう」
「…………」
「これらのことから推論すると、今のお前はかつての覇王の姿と力を備えた全くの別人……違うか?」
キエルの洞察力の高さに、僕は驚くのを通り越して感心してしまう。まさかここまで見破られるとは思っていなかった。
「まあ、お前が何者なのかはこの際どうだっていい。今はあの怪物を葬ることが先決だ」
「……幻獣の力をもって余を滅ぼすことが七星天使の本懐だったはず。貴様はそれに背くつもりか?」
「ああ。俺は俺のやりたいようにやる、それだけだ」
「……そうか。余も共闘に異存はない」
しかしキエルが加わったところで、残念ながら幻獣との戦闘力の差はさほど埋まらないだろう。となると、やはり何らかの方策が必要となる。
「ふっ、俺一人の加勢だけでは心許ないといった顔だな。だが安心しろ、あの怪物を倒す策は考えてある」
「本当か?」
「ああ。かつての覇王と幻獣の闘いの記録からヒントを得た。上手くいくかどうかは分からんがな」
「……まさかとは思うが、余に過去の闘いの再現をしろと? 余の魂を幻獣の体内に埋め込ませろと言うつもりか?」
僕の言葉に、キエルは首を横に振る。
「お前を犠牲にしてしまっては、お前との決着がつけられなくなるからな。そうなっては困る」
「……ならば貴様の策とは?」
「幻獣について前から疑問に思っていたことがあった。お前も知っていると思うが、幻獣の復活には人間1000人分の魂を生贄に捧げる必要があった。しかしこの世界をも滅ぼす力を持った幻獣を復活させる為の生贄が、人間1000人分の魂というのはどうにも少なすぎるのではないかとな」
それは僕も疑問に思っていた。奴の力は生贄の魂だけで成り立つレベルを遙かに超えている。実際に闘ってそれがよく分かった。
「そしてかつての覇王が幻獣の体内に自らの魂を埋め込んだことで幻獣を封印したという記録を見た時、ようやく合点がいった。確かにその行為は幻獣を封印する決め手となったようだが、此度に至ってはそれが仇となってしまったのだ」
もしや、と僕は幻獣に目を向ける。
「どうやらお前も察しがついたようだな。そう、幻獣は自身の体内に埋め込まれた覇王の魂を、自らが復活する生贄として転用させたのだ。覇王の魂ほど強力な養分は他にないだろうしな。生贄に捧げる魂が人間1000人分で済んだのはそのためだろう」
「……なるほどな」
キエルの説明で僕も納得がいった。全て憶測でしかないものの、辻褄は合っている。
「ここからが本題だ。奴が生贄の魂から力を得て存在を保っているのだとしたら、その魂を奴の体内から引きずり出せば、奴の力を削ぎ落とせるはずだ。だが人間の一人や二人の魂を奪ったところで大した影響はないだろう。ならば狙いは一つだ」
「かつての覇王の魂を引きずり出す、か」
「そうだ。俺の見立てだと、奴の存在維持は覇王の魂が99%以上を担っている。その魂を抜き取ることができれば、幻獣は大幅に力を失い、この世に存在することすらままならなくなるはずだ。そこを突く」
ガブリの念話が幻獣の体内から送られてきたことから、生贄となった魂がそこにあることは間違いない。だが……。
「如何にして覇王の魂を探し出す? 奴の体内に取り込まれた数多の魂の中から覇王の魂を探り当てるのは至難の業だぞ」
奴の体内から魂を引きずり出すチャンスなどそうそうないだろう。こちらの狙いに気付かれたら終いだし、一度でもしくじったら詰みだと思った方がいい。
「問題はそこだが、一応考えはある。気配の察知能力に関しては、俺はお前よりも優れている自信がある。俺が〝覇王の魂の気配〟を感知して、その位置を見出してやろう」
「……そんなことが可能なのか?」
「俺もやるのは初めてだが、まあ任せておけ」
自信ありげにキエルは言った。魂の気配を察知するなど難題にも程がありそうだが、キエルならやってくれると信じよう。
「だが、さすがに多少の時間は掛かりそうだ。その間、お前には奴の気を引きつけてもらいたい」
「ふっ、余を囮にするとはな。いいだろう、引き受けた。だが……」
「お前の言いたいことは分かる。果たしてそれだけで幻獣を倒すことができるのか、だろう?」
「……ああ」
キエルの策であれば、理論上は幻獣を葬り去ることは可能だろう。だが幻獣に普通の理論は通用しない。この策が上手くいったとしても、本当に幻獣を葬ることができるのだろうか。
「一つ確認しておきたいことがある。お前がミカを救う際に使った呪文についてだ」
「……【事象変換】か?」
「その呪文を幻獣に対して行使することはできないのか?」
キエルの問いに、僕は力無くかぶりを振った。
「【事象変換】は対象が大きければ大きいほど、効果が発揮されるまで時間を要する。あれほどの巨体ともなれば、効果が出るまで最低でも一時間は掛かるだろう。その前に【永遠解呪】で解除されるか、奴の攻撃を喰らって発動を中断されるのがオチだ」
「……そうか」
「もっともそれは、対象が物体であった場合の話だがな。例えば――」
ふと、一つの考えが僕の脳内に舞い降り、雷に打たれたような衝撃が全身を駆け巡った。そうか、この方法なら……!!
「どうかしたか?」
「……礼を言うぞキエル。貴様のおかげで、ようやく余にも奴を葬りうる方策が思い浮かんだ」
「何?」
「だがこの策は、貴様の策の成功が必須条件だ。そこで貴様に頼みがある」




