第201話 再び戦場へ
地球の空気をしっかりと肌に感じさせながら、僕は婆さんのもとに戻ってきた。
「ヒッヒッヒ。家族との別れの挨拶は済んだかえ?」
僕の行動を見透かしていたかのように婆さんは言った。ここまでくるともはや驚きはなかった。
「ではこれよりお前さんを元の時空軸に戻す。心の準備はいいかのう?」
「ああ。でも最後に一つだけ聞かせてくれ。アンタ一体何者なんだ?」
今回のことだけじゃない。以前梅干し屋を訪れた時の婆さんは、僕が【属性奪取】という呪文を所持しているかどうか確認し、更にはステータスを向上させる梅干しを僕に渡してきた。前者はラファエとの闘いで、後者はガブリとの闘いで大いに役立つ結果となった。まるで僕がこの二人と闘うことを予め知っていたかのように。
「…………」
婆さんは無言で俯く。次の瞬間、僕の視界が眩い閃光に包まれた。
辛うじて目を開けると、そこに婆さんの姿はなく、代わりに神々しいローブを纏った一人の女性が宙に浮いていた。まさかこれが、婆さんの正体……!?
「私の名はテミス。世界の運命を導く者……」
「運命を導く者……? 何を言って――」
「またお会いしましょう。阿空悠人……」
「待て!!」
僕は右手を伸ばすが、彼女には届かない。間もなく僕の意識は遠のいていった。
☆
「………」
次に目を開けた時、僕は覇王の姿で大地に立っていた。どうやら元の時空軸に戻ってきたようだ。つまり今は幻獣が【運命歪曲】を発動した直後、ということになる。
右手にはセレナから貰った御守りが握られていた。この御守りがなかったら僕は覇王としての自分を思い出すこともなく、永遠にあの世界で普通の人間としての日々を過ごしていただろう。僕はセレナに感謝しながら、御守りを懐に入れた。
顔を上げると、そこには初めて驚愕の表情を浮かべる幻獣の姿があった。
《馬鹿な……我の【運命歪曲】が効かぬだと……!?》
違う。確かに奴の呪文によって僕の過去は一度ねじ曲げられた。それをあの婆さんが、いやテミスが過去を元通りに修正してくれたおかげで、僕は今この場に立っている。
果たしてテミスとは何者だったのか。だが今はそれを考えるよりも、幻獣との闘いに集中しなくては。奴を葬らなければこの世界に戻ってきた意味がない。
《……まあよい。せっかく慈悲を与えてやったというのに、そこまで我自らの手で葬られたいか。ならば望み通りにしてやろう》
さて、どうする。戦況は依然として奴が圧倒的に優勢だ。打つ手がなくなる前に何か方策を編み出さなければ――
『……さん……』
その時、何者かが念話で僕の脳内に語りかけてきた。またガブリか?
『……ユート……さん……』
いや違う、これはガブリの声ではない。まさか……!?
《呪文【地界獄炎】!》
僕が念話に気を取られている隙に、幻獣が呪文を発動した。回避は間に合わないと僕の直感が告げる。直撃は免れない――
「呪文【地層流動】!!」
その時、後方で何者かが呪文を詠唱する声がした。その瞬間地表が大きく変動し、幻獣の【地界獄炎】は僕の立ち位置から外れた所で暴発した。今の声はもしや……!?
「何をぼうっとしている、覇王」
背中に白い翼を生やした筋肉質の男が上空から舞い降り、僕の隣りに着地した。案の定それはキエルだった。
「キエル、何故お前が……」
そうか。ユナとミカの闘いの後、キエルは『天空の聖域』の様子を見に行くと言っていた。だから幻獣の【絶滅世界】によって10万のダメージを受けることも、僕の【地獄の黒渦】によって亜空間に幽閉されることもなかったわけか。
「こいつか幻獣か。想像以上にバカでかいな……」
流石のキエルも幻獣の姿を目の当たりにして戦慄を覚えているようだ。
『……ンッフッフッフ。誰かと思えばキエルじゃねーか。覇王のピンチに頼もしい助っ人登場ってか?』
またしても幻獣の体内から念話が送られてくる。この不愉快な笑い声、今度は間違いなくガブリだ。
「……その声はガブリか」
僕とキエルに同時に念話を送っているらしく、キエルが反応する。
「こいつは驚いた。どういう経緯かは知らんが、お前の魂も幻獣復活の糧にされたようだな。かつての七星天使がそこまで落ちぶれるとは、同じ七星天使として嘆かわしいぞ」
『好きに言ってな。で、何しに来た? もしかしてテメーもそこのユート君と同じ、幻獣を倒して世界を救うとか言っちゃう系か?』
「生憎、そこまで大層な使命を担えるほど俺の器は大きくないものでな。だが……」
キエルは横目で僕を見た後、言葉を続ける。
「俺と覇王の決着はまだついていない。その邪魔をされたら困るというだけだ」
思わず僕は失笑した。こんな状況にあってもキエルはキエルだな。
『ンッフッフッフ。安心しな、その願いはちゃんと叶えられると思うぜ。もっとも舞台はあの世ってことになるだろうがなぁ。ま、せいぜい頑張りな……』
そこでガブリからの念話は切れた。相変わらず口だけは達者な奴だ。
「……さて。戦況の方はどうだ覇王?」
「正直、良くはないな。この怪物を葬る方法が未だに見つからない」
「流石の覇王もお手上げ状態か。なら俺が手に入れた情報も無駄にならずに済みそうだ」
「……何?」
どうやらキエルは『天空の聖域』で何かを掴んできたらしい。果たしてそれは幻獣を倒す切り札となり得るものなのか……。