第20話 時給の理由
「経歴など戦場では何の役にも立たない。生きるか死ぬか、ただそれだけだ」
「はあ……」
「それと少年、戦場での私語は厳禁だ。奴らを決して侮ってはならない。ほんの少しの油断が命取りになることを肝に銘じておけ」
奴らって誰だよ。あとバイトに私語が厳禁というのは分かるけど、アンタの私語の方が問題だよね。色々とツッコミどころが多すぎる。
にしてもバイト初日でいきなり会計を任されることになるとはな。人間時代のコンビニバイトじゃ会計の処理はほぼ全て機械がやってくれたので楽だったけど、この世界の文明はそこまで発展していないので、計算は全て暗算で行わなければならない。
と言ってもこの店のほとんどの商品は銅貨○枚や銀貨○枚といったシンプルな値段設定なので計算はそこまで苦にはならないだろう。何か分からないことがあったらキエルさんに聞けばいいしな。
「いらっしゃいませお客様。商品をお預かりいたします」
すると一人の男性客がキエルさんの前に皿とコップを一個ずつ置いた。皿の値札には銅貨12枚、コップの値札には銅貨6枚と書かれている。
「二点で銅貨18枚のお買い上げでございます。こちら割れ物になりますので紙を包ませていただきます」
流石は大ベテラン、接客がとても安定している。ピンクのエプロンを着た筋肉質のおっさんが丁寧に応対している光景はなんだか面白くて笑ってしまいそうになるけど。
その客は銀貨一枚をカウンターに置く。するとキエルさんはそれを見て目をパチクリとさせた。
「お客様、銅貨18枚のお買い上げなのですが……」
「ええ。だからこれで」
「…………」
キエルさんの身体が硬直する。間もなくキエルさんの頭から煙のようなものが出始めた。いかん、この人完全に錯乱してる!
ここは僕がなんとかしなければ。確か銀貨1枚は銅貨100枚と同じ価値だったはずだから……。
「キエルさん、銅貨82枚のお釣りを渡してください」
僕が小声で囁くと、キエルさんはハッと我に返ったような顔をした。
「も、申し訳ございませんお客様!!」
キエルさんは慌ててカウンターの引き出しを開ける。
「えーっと、銅貨が1枚、2枚、3枚、4枚……」
「キエルさん。横に銅貨10枚がまとめて入った袋があるみたいですから、それを8つと銅貨2枚を渡せばいいんじゃないですか?」
「!! も、もちろん分かっているとも!」
キエルさんは銅貨10枚入りの袋8つと銅貨2枚を男性客に手渡した。
「大変お待たせしました、銅貨82枚のお釣りでございます! ありがとうございます、またお越しくださいませ!」
男性客は苦笑いを浮かべながら店から出て行った。キエルさんは安心したように大きく息を吐く。
「ふっ、なかなかやるなハモウ。分かっていると思うが、今のはお前の実力を計る為にワザと取り乱したフリをした。本来の俺ならば問題なく対応できた」
絶対素だったよな。
「この過酷な戦場で生き抜きたければ今のような不測の事態にも冷静に対処しなければならない。先人たる俺からの忠告だ」
「……はい」
不測というほどの事態でもなかった気がする。てか十五年の大ベテランがド新人の僕にフォローされるってどうなんだ。さっき流石とか褒めた自分がなんか恥ずかしい。
それから二時間が経った。その間もキエルさんは変なミスを連発し、その度に僕がフォローする羽目になった。本当に大ベテランなのかこの人と僕が疑心に満ちていると、店主がカウンターの所までやってきた。
「お疲れ様ハモウ君。二時間経ったから十分間の休憩に入っていいよ」
「あ、分かりました」
僕はチラッとキエルさんの方を見る。
「キエルさんは休憩させなくていいんですか? 僕がこの店に来た時から今までずっとカウンターに立ってる気がするんですけど」
「戦士に安息の時間など不要。ほんの少しの油断が命取りになると言ったはずだ」
「……とまあ、彼は休憩することを頑なに拒むから、あれでいいんだよ。ハモウ君だけでも休憩しておいで」
「は、はい」
それから僕は店主に休憩室まで案内された。畳が三枚しかない狭い部屋だが、身体を休めるには十分だろう。
「どうだいハモウ君、キエルさんと一緒に働いてみて」
「うーん、悪い人じゃないというのは分かるんですけど、なんというか……」
「まあ、彼はやる気はあるんだけど、とにかくミスが多くてね。店主の僕より年上というのも気まずいし、ぶっちゃけ辞めさせようかと思ってるよ」
凄いぶっちゃけた!
「はは、もちろん冗談だけどね。キエルさんの一生懸命さには僕も何度も元気づけられたし、ここまで店を続けてこれたのも彼がいたからと言っても過言ではないんだ」
「へー……」
にしてもわりと人の良さそうな店主なのに、なんで時給銅貨五枚とかいう鬼畜な労働条件を強いてるんだろうか。ちょっと聞いてみるか。
「この店の時給ってたったの銅貨五枚ですよね? なんでこんなに低いんですか?」
僕は休憩室から出ようとした店主に問いかける。
「……実はちょっと前までは普通の時給だったんだけどね。従業員もキエルさんの他に何人かいたんだ」
「何か理由があるんですか?」
「……うん」
店主の表情に陰りが生じる。
「休憩時間中に悪いけど、ちょっと付いてきてもらっていいかな?」
「? はい」
僕と店主は階段を上り、二階の部屋の前までやってきた。この店の二階は店主の生活スペースになっているようだ。店主はその部屋の襖を数センチほど開ける。
「起こさないよう、そーっとね」
誰かいるんだろうかと思いながら、僕はその隙間から顔を覗かせる。そこには十歳くらいの女の子が布団で寝ているのが見えた。布団からはみ出た腕はやけに細く、顔色もあまり良いとは言えない、病弱そうな女の子である。
そういやこの店に来て土下座された時「どうか、娘の命だけは!!」と言ってたっけ。ということはこの子が……。
「僕の娘だよ。実は今とても重い病気に罹っていてね。毎日大量の薬を飲まないと生きられない身体になってしまったんだ」
店主はそっと襖を閉める。
「薬を買うにもお金が要る。だけど元々大して儲かってない店だったから、いずれ従業員に払う給料も、薬を買うお金もなくなってしまう……」
「だから従業員の給料を減らすしかなかったんですか」
「苦渋の決断だったけどね。なんせそれはこの店で頑張って働いてくれている人達への裏切り行為に等しいのだから。案の定、皆は次々と辞めていった。でもキエルさんだけは残ってくれたんだ」
店主は目を細めながら言った。
「こんな不甲斐ない店主のもとでずっと働いてくれてるキエルさんには本当に感謝しかないよ。あ、もちろんこの店に来てくれた君にもね」
「……娘さんの病気が治る兆しはないんですか?」
店主は静かに首を横に振る。
「分からない。だけど数年前に妻が病気で他界してしまって、もう僕には娘しか残っていないんだ。だから娘の命だけは絶対に守らないといけない」
店主の言葉から強い意志が感じられた。時給が銅貨五枚というのには一応理由があったわけか。




