第199話 歪曲する運命
「ぐっ……!!」
もう何度、HP0からの復活を繰り返したか分からない。気が遠くなるほど死の感覚を味わい、精神が崩壊しそうになっても尚、僕の闘志は消えていなかった。
《意外としぶといな。いや、往生際が悪いと言うべきか。もはや見るに耐えん……》
満身創痍の僕を見下ろして、幻獣は呆れたように言った。
《下等生物共を見捨てておけば、もう少し我を楽しませることができたかもしれぬというのに。何故あんな愚行に走った?》
「何故、か……」
膨大なMPを犠牲にしてまで、世界中の生物を救おうとしたのは何故か。僅かな沈黙の後、僕は答えた。
「……さあな。ただ救いたいから救っただけ、それだけだ」
確かに僕の中には「人間と悪魔が共存できる世界を創る」という理想がある。その実現の為には人間も悪魔も滅んでもらっては困る、という考え方もできる。
ただ、それはあくまで理想だ。それを理由に救ったわけではない。幻獣が【絶滅世界】を詠唱してから発動するまでの120秒間、そんな理想は頭の中にはなく、どうすれば世界中の生命を救えるかだけを考えていた。
他者を救うのに理由など必要ない。結果として八割ほどしか救えなかったが、僕は自分のしたことに後悔はしていない。
「貴様には理解できないだろうな。破壊と殺戮しか脳のない貴様には」
《……そうだな。全くもって理解できん》
元より理解してもらおうなどと思ってはいない。奴とは永遠に相容れることはないだろう。
《だが、一周回って貴様に一縷の興味が湧いた。貴様は一体何者だ? その肉体に宿る魂は、一体どこから導かれた?》
予想外の問いかけに、僕は些か驚いた。この覇王の身体に宿る魂が、かつての魂と別物であることは既に奴も気付いている。ならば今更隠してもしょうがない。
「阿空悠人。異世界より転生した人間だ」
そう僕は正直に名乗った。
《元人間、か。なるほどな。先程の愚行も、人間の弱さが招いたものだとするなら納得だ》
「……人間の弱さ、だと?」
《そうだ。人間は孤独や絶望を何よりも怖れる生物だ。貴様が己の身を削ってまで他者を救ったのも、その怖れから逃れる為に違いなかろう。これを弱さと言わずして何と言う? まさしく人間のような弱者に見られる症状ではないか》
「……何とでも言うがいい」
僕は奴の言葉を肯定する気にも否定する気にもなれなかった。一つだけ訂正するなら、それが人間の弱さであり強さでもあるということだ。
《貴様は我の手で葬るつもりだったが、貴様が元人間だと知った今、僅かながら同情心が湧いてきた。分不相応な力を得て、さぞ窮屈な思いをしたことだろう。我がその苦しみから解放してやる》
僕は身構える。何をする気だ……!?
《呪文【運命歪曲】!》
幻獣が呪文を唱えた瞬間、視界がぐにゃりと歪曲し始めた。
「貴様……何をした……!?」
失われていく感覚機能。遠のいていく意識。もはや足掻くことすら許されない。
《もう、よいのだ。貴様はこの世界を守る必要も、我に抗う必要もない。ただの人間として、元の世界で平穏な日常を謳歌するがいい――》
その幻獣の言葉を最後に、僕の意識は完全に途切れたのであった。
☆
「……ちゃん! お兄ちゃん!」
「……?」
「お兄ちゃん起きて! もう朝だよ!」
「ぐはっ!?」
腹部に強い衝撃を受け、僕は眠りから覚めた。ぼんやりと目を開けると、一人の女の子が僕の腹に跨っていた。
「……誰だ……?」
「なっ!? 妹の顔を見て誰だって!! 冗談にしても酷くない!?」
「……ああ、うん。ごめん香織」
そうだ。この子は小学五年生の妹、香織だ。どうして一瞬分からなかったんだろう。
「それより早くどいてくれ。このままだと圧死する」
「わたしはそんなに重くないもん!」
僕はゆっくりと身体を起こし、周囲を見回す。当たり前だけど僕の部屋だ。
「それより大丈夫? なんか凄くうなされてたけど。怖い夢でも見てた?」
香織が心配そうな顔で聞いてくる。
「……そうだな。長い長い夢だった」
「へー。どんな夢?」
「えっと……忘れた」
「何それ! すぐに忘れるってことは大した夢じゃなかったんじゃないの?」
「……かもな」
「それより早くしないと遅刻しちゃうよ! 今日から二学期でしょ!」
「ああ、そうだった」
ふと学習机の上に目をやると、夏休みの宿題が山のように積み重なっていた。昨日必死こいて全部終わらせたんだっけ。
僕はだらしなく欠伸をしながら階段を下り、一階のリビングに顔を出した。
「おはよう父さん、母さん」
「ん、おはよう」
「おはよう悠人。もうすぐ朝ご飯できるわよ」
父さんがソファーに座って新聞を読み、母さんが台所で朝食の準備をしている。いつもの光景だ。
「聞いてよお母さん! お兄ちゃんったら私の顔見て誰だって聞いてきたんだよ!? 酷いと思わない!?」
「あらまあ。こんな可愛い妹の顔を忘れるなんて、悠人も馬鹿ねえ」
「わ、忘れたわけじゃないって! なんというか、ゲシュタルト崩壊的なアレで……」
「それより二人とも、夏休みの宿題は終わったのか?」
「バッチリだよお父さん! というか宿題なんて夏休み二週目には全部終わってたし! どこぞの兄と違って私は優秀なのです!」
「余計なお世話だ!」
朝食を食べながら、家族とこんな他愛もない会話をする。まさに一家団欒を絵に描いたかのようだ。
朝食を済ませ、学校の支度を整えて家を出る。しばらく通学路を歩いていると、誰かに背中を叩かれた。
「よう悠人、久し振りだな! 元気にしてたか?」
同じ制服の、ツンツン頭の男子生徒。クラスの友達の一喜だ。
「……ああ」
「んだよテンション低いな! まあ休み明けだから気持ちは分かるけどよ。で、夏休みはどうだった? どうせ悠人のことだし大して充実してなかったんだろ?」
「失礼だな、それなりに充実してたぞ。皆で海水浴に行ったり、女の子とデートしたり……してないな」
「って妄想かよ! 悲しい奴だなオイ! ま、俺も人のこと言えねーけどな!」
どうして僕はこんなことを口走ったんだろう。まるで本当にそんな思い出があるかのような――
「!」
ふと、道の端の小さな屋台に目が留まった。中には魔女のような格好をした婆さんが座っている。雰囲気的に占い師っぽいが、こんな朝っぱらから占いに来る人なんているのだろうか。そんなことを思いながら、僕は屋台の前を通り過ぎる。
「ヒッヒッヒ……」
その婆さんから不気味な笑い声が洩れ、思わず僕は足を止めて振り返る。すると婆さんは人外めいた眼差しを僕に向け、こう言った。
「この運命から抜け出したくなったら、いつでもここにおいで。ヒッヒッヒ……」
「……!?」
運命? 何を言ってるんだこの人……?
「何してんだ悠人、早く来いよ!」
「あ、ああ!」
僕は慌てて一喜の後を追った。ああいったいかにも怪しげな人には関わらないのが一番だな。だけどあの独特の笑い声、どこかで聞いたことがあるような……。
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