第197話 滅亡の時
「なっ……!?」
ウリエルの相手をしていたユナが驚きの声を上げた。ユナの剣撃を受けていないにもかかわらず、ウリエルの身体がひとりでに泥化し始めたのである。
「待て……私はまだ……うああああああああああ!!」
同様の現象が、アンリと闘っていたイエグにも起きていた。
「ふざけないで……この女を殺すまで私は……ああああああああああ!!」
ウリエルが、イエグが、全ての死者達が悲鳴と共に泥化していく。彼らは二度と再生することなく、ただの泥となって地面に溶け込んでしまった。突然の決着に、アンリ達はその場で呆然と立ち尽くしてしまう。
《存外役に立たない者共であったな。所詮死人は死人か》
幻獣が呆れたように呟いた。こいつ、自分から【死者狂舞】を解除したのか……!?
《茶番はここまでだ。貴様らには我自らの手で葬られる栄誉を与えてやろう。呪文【絶望閃撃】!》
幻獣の掌から三発の黒い砲撃が放たれる。が、それは僕に向けられたものではない。狙いは明らかにアンリ、ユナ、ペータの三人だ。
「全員避けろ!!」
僕の叫びも虚しく、アンリ達は幻獣の砲撃を喰らって吹き飛ばされた。【天界雷撃】より威力は低いように見えたが、三人は倒れたっきり起き上がる気配がない。
まさかHPが0になったのか……!? ならば一刻も早く【生命の光】で回復させなくては。確かにこの回復呪文はHPが0の者にも有効だが、それはHPが尽きてから60秒以内に限った話だ。それを過ぎれば正真正銘の〝死〟を迎えることになる。
「呪文【生命の光】!!」
まず僕は一番近くで倒れているペータに呪文を発動した。が、それは発動と同時に解除されてしまった。
《安心しろ、其奴らのHPは0になったわけではない。もっとも死ぬよりも酷な状態かもしれんがな。【絶望閃撃】を受けた者は全ステータスが〝4〟となるのだ》
「何……!?」
今のアンリ達はHPもATKもDEFも、全て〝4〟しかないというのか。そうなってはもはや子供以下の力しか発揮できない。
せめてHPだけでも回復させてやりたいが、奴の特性によって奴の呪文を受けた者は回復呪文が適用できない。適用させるには――
《貴様がその身で体験したように、HPが尽きれば余の特性を無効にできる。つまり貴様が自らの手で其奴らにトドメを刺し、HPを0にすれば【生命の光】が適用できるわけだ。やりたければ好きにするがいい》
「貴様……!!」
僕の手でアンリ達を殺せというのか。そんな真似できるわけがない。仮にそれを強行してHPを回復させたとしても、他のステータスが〝4〟しかないなら、まともに闘うこともできはしないだろう。
「うっ……」
するとペータの口から僅かに声が洩れた。どうやら意識が戻ったようだ。
「すみません……ちょっと気を失ってたみたいっす……」
ペータはなんとか起き上がろうと歯を食いしばっている。まさかこの状態で闘いを続ける気なのか。
「この程度……どうということはありません……!!」
「たとえこの身が滅びようと……最期までユート様と共に闘う覚悟です……!!」
ペータだけじゃない、ユナとアンリも自力で立ち上がろうとしている。
《ほう……見事な闘志だ。良い配下を持ったものだな》
幻獣が惜しみなく称賛する。そうだ、僕の配下はそういう奴らだった。どのような状態に陥ろうと、僕が闘っているのなら、自分が先に闘いを放棄するわけにはいかない。そんな感情を当たり前のように懐くのがアンリ達だ。
だが、本当にそれでいいのか。今のアンリ達を無理に闘わせたところで、あの幻獣には一矢報いることすら叶いはしないだろう。ならば皆の上に立つ者として、僕が取るべき選択は――
「……もういい。失せろ」
僕はアンリ達に背中を向け、そう口にした。皆の顔は見えないが、唖然としていることだけは場の空気から伝わってきた。
「ゆ、ユート様? 今なんと……」
僅かな沈黙の後、アンリが震えた声で尋ねる。
「今のお前達がここにいても余の足を引っ張るだけだ。そもそも余はお前達に助けに来てくれなどと頼んだ覚えはない」
「し、しかし……!!」
「聞こえなかったのか? 余は失せろと言ったのだ。それとも余の命令に逆らう気か?」
「っ……」
振り向くと、アンリ達は混迷に満ちた表情で俯いていた。僕を見捨てて逃げることなどできるはずもなく、かと言って僕の命令に逆らうこともできない。どうすればいいのか分からない、といった様子だ。
「……やむを得んな。呪文【地獄の黒渦】!」
僕は上空に巨大な渦を発生させた。アンリ、ユナ、ペータの身体が宙に浮き、その渦に引き寄せられていく。
「ユート様――」
その叫び声も掻き消され、間もなく三人は渦の中に呑み込まれていった。渦の先は亜空間に通じており、僕が呪文を解除しない限りそこから出ることはできない。
これでいい。亜空間に幽閉されている限り、アンリ達の安全は保証される。もっとも僕が死ねば【地獄の黒渦】は自動的に解除されることになるが。
《不器用な男だ。これ以上苦しませたくないと素直に言えばよかったものを》
「貴様と闘うのは余一人で十分……それだけだ」
《勇敢だな。だが貴様一人が抗ったところで何も変わりはせぬ。貴様もこの世界も、我の手により滅びる運命なのだ》
「……ふっ」
僕が笑みをこぼすと、幻獣は怪訝な顔で僕を睨みつけた。
《何がおかしい?》
「デカイ図体と態度のわりには、意外と小心者だと思ってな」
《……なんだと?》
「では聞こう。何故余に対して【絶望閃撃】を撃たなかった?」
敢えて挑発するように、僕は幻獣に問いを投げた。
《決まっている。そんなものに頼らずとも、貴様を葬ることは容易いからだ》
「違うな。先程余が使った【反射穴】を警戒したからだろう。それで【絶望閃撃】を自身に跳ね返されたら貴様とてタダでは済むまい。たった一つの呪文を怖れて攻撃を躊躇うなど、小心者以外の何者でもないではないか」
《貴様……》
何も言い返せないあたり、どうやら図星と見える。
「貴様は余を怖れている。たった一人の相手にすら手こずっている貴様に、果たしてこの世界が滅ぼせるか? 到底無理だと思うがな」
《…………》
すると奴は何を思ったのか、空に向けて静かに右手を上げた。
《気が変わった。貴様より先に、この世界を滅ぼすとしよう》
「……何だと?」
《余を愚弄した罰だ。貴様には現存する全ての生物が死滅する様を脳裏に刻みつけた上で死んでもらう。呪文【絶滅世界】!!》
一瞬にして空一面が真っ黒に染まり、世界が暗闇に覆われる。その光景は、まるで世界が終わる前兆を告げているかのようだった。
《教えてやろう。【絶滅世界】はこの世界に存在する全ての生物に10万のダメージを与える呪文だ》
「なっ……!?」
全ての生物に10万のダメージだと!? そんなことをすれば……!!
《貴様は10万程度のダメージでは死なぬだろうが、貴様以外にこのダメージに耐えられる者は存在しまい。貴様を除く全生物が、この呪文によって滅びることになる》
「ふざけた真似を……!!」
《ただしこの呪文は発動までに120秒の時を要する。この世界を救いたければ120秒以内に我を葬ってみせるがいい。フハハハハハ……!!》
幻獣の勝ち誇った笑い声が、一帯に轟いた。