第192話 世界の為に
これは遙か数千年前――人間が『第三次元世界』に棲息していた時代の話。平和だった世界が、突然終わりを告げた。
後に〝幻獣〟と呼ばれる巨大生物が現れ、その凄惨たる力によって、世界の天地万物すべてを破壊し始めたのである。一体何故そのような化け物が誕生したのか、今でも真相は分かっていない(一説では高魔術実験の失敗が原因とされている)。
大地が燃え、建物が崩れ、数多の悲鳴が反響する。非力な人間達に幻獣を止める手段などあるはずもなく、もはや世界が滅亡するのを待つしかない――そう思われた。
そこに一人の男が現れ、勇敢にも幻獣の前に立ちはだかった。彼もまた常軌を逸した存在であり、幻獣にも匹敵するほどの力の持ち主だった。彼は世界の滅亡を食い止めるべく、幻獣との闘いに臨んだ。まさしく彼は救世主だった。
それから三日三晩、彼の幻獣の闘いは続いた。両者の攻防はあまりにも激しく、その余波によって何度も地震や津波が発生した。このままでは幻獣を葬る前に世界が滅びかねない――そう危惧した彼は、ついに自分の命を諦め、ある決断をした。
彼は自らの魂を幻獣の体内に炸裂させたのである。それにより幻獣の力は飽和状態に陥り、肉体の維持も困難となる。その隙に彼は最後の力を使い、二度とこの世界に復活できぬよう、幻獣を別次元である『第二次元世界』(後の『天空の聖域』)に封印した。
魂を失った彼は、幻獣を封印した直後、永遠の眠りについた。人間達は世界を救った彼を手厚く埋葬し、英雄として褒め称えた。そして畏敬の念を込め、彼のことを〝覇王〟と呼んだ――
☆
一冊の歴史本を読み終え、エリトラは静かに顔を上げる。そして今まさに世界を破滅へと導こうとしている幻獣を、この遠く離れた丘から見据えた。
幻獣を封印から解き放った時点で、エリトラの目的は達成された。あとは自らの願い通り、幻獣の力によってこの世界が滅ぼされるのを待つばかりである。
「……来ましたか」
幻獣の近くから新たな気配を察知し、エリトラ呟いた。それは【瞬間移動】によって現れた覇王である。目的は考えるまでもなく、幻獣を葬り去ることだろう。数千年前に繰り広げられた闘いが、今まさに再現されようとしていた。
「かつて貴方は自らの命を犠牲にすることで幻獣を封印した。さて、此度はどう幻獣に立ち向かうのか。楽しみですねえ……」
高みの見物とばかりに、エリトラは両者の闘いを見届けることにした。
☆
呪文【瞬間移動】によって、僕は幻獣が君臨する大地に転移した。
幻獣の姿を目の当たりし、その途轍もない大きさに僕は改めて圧倒された。かつてない戦慄が僕の総身を迸る。果たしてこれを〝生物〟と呼べるのだろうか。絶望を具現化した姿、といった表現が相応しいかもしれない。
《んん……?》
僕の気配に気付いたらしく、幻獣の両目が僕の方に向けられる。まるで龍に睨まれた蟻の気分である。
《ほう……これは懐かしい顔だな。貴様もこの世に蘇っていたとは驚きだ》
幻獣は無差別攻撃を中断し、僕に対して言葉を発した。声の圧力だけで身体が引き裂かれそうな感覚を覚える。
《だが我には分かるぞ。今の貴様はかつての貴様とは違う。今の貴様には別の魂が入り込んでいる。そうであろう?》
「……ああ」
そう、僕は覇王であって覇王ではない。この身体には元人間である僕――阿空悠人の魂が宿っている。故に幻獣にとって僕は見知った相手でも、僕にとって幻獣はこれが初対面ということになる。
《まあよい。たとえ魂が異なろうと、姿と力が変わらぬのなら、貴様は我に葬られる義務がある。かつて我を封印した罪、その命をもって贖罪してもらうぞ》
「……望むところだ」
当然僕にはこいつを封印した記憶などない。とばっちりも甚だしいが、こいつが世界を滅ぼすというのなら、断じて見過ごすわけにはいかない。遙か昔の因縁なんてどうでもいい。僕はこの世界を救うために幻獣と闘う。
『ンッフッフッフ。元気そうだなぁ、ユート君よぉ』
不意に何者かが僕に念話を送ってきた。何度も聞き覚えのある、不協和音よりも不快な笑い声。間違いない、ガブリだ。
一体どういうことだ。ガブリは確かに死んだはず。なのに何故、奴の声が……!?
『どうだ驚いたか? ま、俺もこんな形でテメーと再会することになるなんざ思ってなかったけどなぁ……』
そこで僕は気付いた。この念話は幻獣の〝内部〟から送られていると。察するに、ガブリの魂は幻獣と同化しているものと思われる。
「……そういうことか」
生贄である人間の魂が不足していたにもかかわらず幻獣が復活を遂げた謎が、この時ようやく解けた。ガブリの魂と、ガブリが吸収したラファエの魂を生贄に捧げることで、その不足分を補ったというわけか。
しかしガブリが一度死んだのは確かだ。絶命した時点で魂は消滅するはずだが、おそらく何者かが蘇生呪文でガブリを蘇らせ、その魂を利用したのだろう。一体誰がそのような真似をしたのかは知らないが、今それを探ったところで意味はない。
『こんなことになったのは俺としても不本意ではあるが、まあ思ったより居心地は悪くねえ。もうテメーを殺せるのなら何だっていい……!!』
幻獣の一部と化してもなお僕を殺す気でいるとは。その執念に辟易する一方、僕は一縷の希望を見出していた。
ガブリの魂が幻獣の中に存在しているのであれば、生贄に捧げられた人々の魂――セレナの姉やサーシャの父の魂も同様のはず。つまり幻獣を葬ることができれば、人々の魂が還ってくる可能性は十分にある。ならば尚更、幻獣との闘いは避けられない。皆の魂を取り戻すため、そして滅びの未来から世界を救うために。
《さあ……来るがよい。我が手ずから死の闇へと導いてやろう》
そしてついに、幻獣との闘いが幕を開けたのであった。
活動報告にてペータとリナのイラストラフを公開中です!