第191話 終わりの始まり
僕は玉座から腰を上げ、なんとか動揺を押し殺しながら、窓の近くまで歩み寄る。
あくまで直感だが、視えたビジョンはそう遠い未来ではない。おそらく数日以内、最悪明日にでも地上のあらゆる生物が消え失せ、この世界は滅亡する……。
一体どのようにして世界が滅ぶのか、そこまでは分からない。今のところ、この窓から見える景色に目立った変化はない。もしやキエルが言っていた、天空の聖域から感じる〝不穏な気配〟と何か関係があるのだろうか。
僕は【千里眼】を発動し、地上の隅々まで視界を飛ばし始める。もしかすると、どこかに世界が滅亡する原因の手掛かりが見つかるかもしれない。それが今の僕にできる精一杯のことだった。
☆
「…………」
人間領の西地区。そこには険しい顔つきで空を見上げるサーシャの姿があった。
「こんな朝早くから外に出て、一体どうしたんですか?」
サーシャを心配したのか、リナもアジトから出て彼女の所に歩み寄る。
「先日の怪我が完全に癒えたわけではありませんし、安静にしていた方が……」
「……すまない。今朝から嫌な胸騒ぎがして、どうにも落ち着かなくてな」
「嫌な胸騒ぎ、ですか?」
「間もなくこの世界にとんでもない災厄が訪れる……そんな予感がする」
「そ、それは怖いですね……。あっ、もしや【未来予知】で何が視えたんですか?」
リナの問いに、サーシャは首を横に振る。
「そういえば、お前にはまだ言ってなかったな。私の【未来予知】はユートに預けてあるんだ」
「……お兄様にですか?」
「ああ。だから今の私に未来は視えない。つまりこれは、いわゆる〝女の勘〟というやつかな。別に根拠があるわけじゃないんだ」
「女の勘、ですか……」
相変わらず六歳の女の子とは思えない口ぶりに、リナは思わず苦笑する。
「ま、何かあったとしても、お前の兄貴が何とかしてくれるさ」
「……お兄様、ご無事でしょうか」
不安げな表情で、リナは目を伏せる。
「ユートのことが心配か?」
「はい。ここ数日、お会いしていませんから……」
「私達を巻き込まない為とはいえ、ちょっとくらい顔を見せに来てもいいのにな。ガブリや他の七星天使との闘いがどうなったのか、私も気になっている。もっとも顔を見せに来る余裕がないほど、危機的な状況下にあるのもしれないが」
「…………」
「おっとすまない、ますます心配させるようなことを言ってしまった。まあユートのことだ、私達が気に病むまでもないだろう。便りがないのは良い便り、とも言うしな」
「そうだと、いいんですけど……」
それから二人はしばらく無言で空を見つめる。いつの間にか空一面が暗い雲で覆われており、まるで不穏な未来を暗示しているかのようだった。
一方、人間領の南地区ではハッキリと目に見える形で異変が起きていた。
「なんだこりゃ……!?」
「どうなってるんだ……!!」
ほとんどの人々が民家から出て、空を見上げている。朝の時間帯だというのに夜のように暗く、空は台風のような渦が発生している。
吹き荒ぶ風。鳴り響く雷。何故このような現象が起きているのかは分からないが、何か良くないことが起きる前触れだということは誰もが察知できた。
やがて空に大きな亀裂が生じる。人々がそれに瞠目していると、まるでガラスが割れたかのように空間が破壊される。そしてその裂け目から、凄まじい闇の霊気と共に〝何か〟が地上に悠然と舞い降りてきた。
天空の聖域と地上はそれぞれ別の次元軸に存在しているため、通常の手段で行き来することはできない。転移呪文も使えず、唯一の方法が【時空連結】によって発生した〝ゲート〟であった。だがその〝何か〟は次元軸の法則を強引に突き破り、天空の聖域から直接この地上に姿を現したのである。
「なんだあれは……!?」
「化け物……!!」
龍とも鬼とも形容できない異形の姿を成した〝何か〟の出現に、人々はかつてないほどの恐怖を覚える。体長は千メートルを優に超えており、もはや生物の枠を完全に逸脱していた。その〝何か〟の正体こそ、幻獣の門より解き放たれた〝幻獣〟であった。
《――我はこの世界を無に帰す為、数千年の封印を経て蘇った。下等生物共よ、祝福するがいい。世界の終焉を!!》
幻獣は静かに右手を上げると、その掌から凄まじい砲撃を放った。それは遙か遠くにそびえ立っていた標高二千メートルの山に直撃し、大爆発を巻き起こす。その山を中心とした半径数十キロメートルの地帯は一瞬で更地に変わってしまった。
「うわあああああああああああああああーーーーーーーーーー!!」
人々は絶叫し、我を忘れて走り出す。だがもはや、この世界に安全な場所など存在しなかった。
☆
「馬鹿な……!!」
僕が【千里眼】でその超巨大な〝何か〟を発見するのに、そう時間は掛からなかった。そして同時に直感で理解した。あれこそまさに、七星天使が復活を目論んでいた〝幻獣〟なのだと。
だが、おかしい。幻獣の復活には1000の人間の魂が必要だということは確かだ。僕はセアルを葬ることで魂狩りを阻止し、結果的に七星天使が収集した魂はその半分にも満たなかったはずだ。なのに何故、幻獣が……!?
いや、もはやそんなことを考えている場合ではない。現に幻獣は復活を果たしてしまっている。僕が【未来予知】で視た世界滅亡のビジョンは、間違いなくあの幻獣によってもたらされたものだ。ならば何としてもあの幻獣は葬らなければならない。
あんな怪物を倒す手段が存在するのか、正直見当もつかない。だが仮に葬れる者がいるとすれば、それは覇王である僕をおいて他にいないだろう。ならば僕がやるしかない。
幻獣は呼吸も同然に破壊の限りを尽くしている。もう策略を練っている時間はない。一刻も早く幻獣のもとに向かわなくては。
「呪文【瞬間移動】!!」
「えっ!? ユート様、一体どこに――」
ペータの言葉を聞き終える前に、僕は覇王城の大広間を去った。幻獣と闘い、この手で葬り去る為に――