第189話 姉と妹
激闘の最中に突如現れ、二人を襲い始めた巨大なモンスター。その矢継ぎ早に炸裂する攻撃を回避しながら、ミカは舌打ちをする。今はこんなモンスター相手に費やす体力も時間もないというのに――
だがユナとの闘いに集中したければ、まずはこの邪魔者を片付ける必要がある。一旦ミカは標的を切り替え、モンスター目がけて疾駆した。
「……っ!!」
しかしミカの剣撃はかわされてしまい、代わりに拳の一撃をお見舞いされる。咄嗟に剣を盾にして防いだので直撃は免れたが、それでも今のミカにとっては致命的なダメージだった。
ユナもミカとの闘いを中断してモンスターに応戦するが、やはり避けるので精一杯の有り様だ。激しい戦闘で消耗しているのはユナも同じなので無理もない。
唇を噛みしめるミカ。万全の状態であればこんなモンスターを葬ることなど容易いだろうが、今の満身創痍の身体ではかなりの難敵だ。まともにやり合っても倒せないとミカの本能も警鐘を鳴らしている。どうすれば――
「ミカ!」
不意に名を呼ばれ、ミカは姉の方を振り向いた。
「子供の頃にやってた作戦、覚えてる? 今回は作戦Bでいくわよ」
「……!」
ミカは目を丸くした後、異論も唱えず強く頷いた。そして無理に応戦するのをやめ、モンスターに背を向けて走り出す。同時にユナは近くの木を斬り倒し、モンスターの注意を自分に引きつける。
「こっちよ!」
同じくユナも走り出す。思惑通りモンスターはユナを追いかけてきた。
森の中を素早く蛇行しながら、ユナは無意識に笑みをこぼした。決してこの状況を楽しんでいるわけではない。けれども思えばこの森で暮らしていた頃も、こうしてミカと協力して凶暴なモンスターと闘うのは日常茶飯事だった。
やがてユナは足を止め、振り返る。モンスターは何の警戒もしないまま、ユナを襲うべく突進してきた。
しかしその拳がユナに届く前に、モンスターの動きが止まる。モンスターの右足が深い沼に沈んでいたのである。
そう、ユナの役目はこの沼の地点までモンスターを誘導することにあった。この沼は一度嵌ってしまえば抜け出すのは困難を極め、もがけばもがくほど深く沈んでいくという、いわゆる底なし沼だった。
この隙に、先回りしてすぐ近くの木の上で待機していたミカが宙を舞い、その脳天に剣を突き刺した。その一撃でモンスターのHPは0になり、やがて消滅した。
作戦についての打ち合わせなど何もしていなかったにもかかわらず、二人は凶暴なモンスターを一発で仕留めてみせた。ユナとミカだからこそ成し得た芸当であり、まさに阿吽の呼吸と言うべき見事な連携だった。
「ふふっ……やっぱり私とお姉ちゃんが力を合わせれば無敵だね……」
そう嬉しそうに笑った後、ミカは殺意を宿した目を再びユナの方に向けた。
「さあ、邪魔者も消えたことだし、続きをやろうかお姉ちゃん」
「…………」
ユナは頷く。さっき結託したのは、あくまでモンスターを葬るための手段。姉を道連れにするというミカの意志が揺らぐことはない。それはユナも分かっていた。
再び火花を散らす姉妹の剣。もはやこの闘いを止める者は誰もいなかった。
この闘いが始まってから、どれくらい時間が経っただろうか。何度剣をぶつけ合っただろうか。全身が血と傷だらけになりながらも、二人は真っ直ぐに向かい合う。ユナもミカも、限界などとうに超えていた。
遠のきそうになる意識を必死に保ちつつ、ミカは剣を握る手に目をやる。もう身体の感覚はほとんど残っていない。おそらくミカが放てる剣撃はあと一度だけ。そしてその一撃の果てに決着がつくと、ミカの直感が告げていた。
「いくよ……お姉ちゃん」
「……ええ」
静かに剣を構える二人。そして刹那の沈黙の後、二人は同時に地面を蹴った。その一瞬の間に、無数の思い出が二人の脳裏を駆け巡る。
鈍い音が響いた。剣先が身体を貫いた音。貫かれたのは――ミカの身体だった。ミカの口の端から鮮血が流れ、ユナの服を濡らしていく。
「……ふふっ……」
姉を殺して一緒に死ぬという、ミカの願いは叶えられなかった。にもかかわらず、ミカの表情は実に穏やかだった。倒れかかるミカの身体を、ユナは強く抱き締める。
「ごめん、ごめんね、ミカ……」
「……謝ら……ないで……」
ミカは最後の力を振り絞って、そっと右手をユナの頬に触れさせる。
「……お姉ちゃんと一緒には……死ねなかったけど……最期に見るのが……お姉ちゃんの顔で……嬉しい……だから……そんな悲しい顔……しないで……」
ミカの目から、徐々に光が失われていく。
「……もし……生まれ変わったら……また……お姉ちゃんの妹に……なりたいな……」
「ミカ……!!」
ユナの目から大粒の涙が流れ落ちる。ミカは優しい笑みを浮かべながら、眠るように目を閉じたのであった。
「ミカ……ミカ……!!」
こんな愚かな姉を、ミカは最期まで大好きでいてくれた。自責の念しかなかったユナの胸中は今、ミカへの感謝の気持ちでいっぱいになっていた。
「……終わったようだな」
全てを見届けた僕は【瞬間移動】を発動し、直接ユナとミカがいる場所に転移した。ユナは驚いた様子で顔を上げる。
「ユート様!? 何故ここに……!?」
「気を悪くするかもしれんが、お前達の闘いは全て見させてもらった。どうやら妹との蟠りは解消できたようだな」
「……はい。ですが……」
ユナは悲哀に満ちた目で、ミカの顔を見つめる。ようやく分かり合えたことの代償が妹の命とあっては、とてもハッピーエンドとは言えない。しかしそれは、このまま僕が何もしなかったらの話だ。
「ユナ、ミカの身体を両手で抱えてくれ」
「え……?」
「早くしろ。時間がない」
「は、はい……」
戸惑いを隠せない顔で、ユナは僕から言われた通り、ミカの身体を両手で抱える。それから僕はミカに向けて右手をかざした。
「感動シーンを無に帰すことになるが……許せ」
「ユート様、一体何を……!?」
「呪文【生命の光】!」
この呪文は今までも何度か使用したが、これは【超回復】より回復量で劣る代わり、ある大きな利点がある。
通常、HPが0になった者に回復呪文を使ったとしてもHPを戻すことはできないが、この【生命の光】はHPが0になった者が相手でも、60秒以内であればHPを回復させることが可能である。その名の通り、生命に光をもたらす呪文というわけだ。
まず僕はこの呪文によってミカを死の淵から救い出し、ユナとの闘いで傷ついた身体を癒した。
だが所詮これは応急処置にすぎない。呪文で回復できるのはあくまでHPのみ、既に取り返しのつかないところまで蝕まれたミカの身体そのものはどうにもならない。放っておけば、どのみちミカの命は尽きることになるだろう。
だがそんなことは許さない。続けて僕はこの呪文を発動した。




