第185話 束の間の安息
「報告ご苦労。下がってよいぞ」
「はっ!」
深々と一礼し、その悪魔は退室する。それと入れ替わるように、三人のメイド悪魔が大広間に入ってきた。彼女達を呼んだ覚えはないが……。
「何か用か?」
「あ、いえ! 差し出がましいかもしれませんが、本日のユート様は少々お疲れになっているように見えましたので……」
「……そう見えるか」
疲れているというより、気が抜けていると言った方が近いかもしれない。無理もない、ガブリとの煩わしい因縁にようやく終止符を打つことができたのだから。
「私達にできることがありましたらお申し付けください! 何でもしますから!」
その〝何でも〟にはきっと〝そういうアレ〟も含まれてるんだろうな。なんだか久々だなこういうノリ。またアンリの計らいかと一瞬思ったが、現在アンリは絶賛気絶中なんだよな。
「誰の指示だ?」
「指示されたのではございません! 私達は自らの意志でここに来ました!」
「ユート様、何なりとご命令を!」
「どのようなご命令であろうと私達は必ず成し遂げてみせます!」
「……そうか」
その心遣いは非常に嬉しいが、いきなり何でもしますと言われても困ってしまう。かと言って追い返したら前みたいに悲嘆されそうだし……。
「では、四人でこれでもやるか」
僕は【創造】を発動し、一組のトランプを生成した。三人のメイド悪魔はキョトンとした顔でそれを見る。
「えっと……またカードゲームですか?」
「そうだ。ちょうどこれがやりたかったところでな。何か不満か?」
「い、いえ! 滅相もございません!」
「以前遊んだ時もすごく楽しかったです!」
「ふっ、そうだろう? では神経衰弱から始めるとしよう。手を抜いたら承知しないぞ」
思えばこういったゲームをやるのも随分と久々に感じる。ここのところ戦闘続きでそんなことをやる余裕なんてなかったからな。キエルとの決戦までまだ時間はあるし、ちょっとくらい息抜きしてもバチは当たらないだろう。
「……ん?」
なんて考え事をしていたら、いつの間にか床に散らばっていたカードが全てなくなっていた。彼女達が獲得したカードはそれぞれ二十枚、十六枚、十四枚、僕は四枚。断トツの最下位である。唖然とする僕を、彼女達が困惑した顔で見ている。
「も、申し訳ございません、ユート様……」
「……何故謝る必要がある? 言ったはずだ、手を抜いたら承知しないと。ではもう一回やろう」
「は、はい!」
僕は気の済むまで彼女達とのトランプを楽しむことにした。しかし結局胸騒ぎの正体は解らないまま、いつまでも僕の中から消えることはなかった。
☆
「…………」
意識が戻り、ゆっくりと瞼を上げるミカ。視界には真っ白な天井がある。背中には柔らかい感触があり、首から下には温かい毛布が掛けられている。そこでミカは、自分が部屋のベッドで眠っていたのだと理解した。
ぼやけた意識の中、ミカは自らの記憶を辿る。ミカはガブリが創成した空間で姉のユナと死闘を繰り広げていたが、途中で空間が崩壊したため、またしても中断となってしまった。
そこから先の記憶はない。おそらく空間が崩壊すると同時に意識を失ってしまい、誰かがこの城まで運んでくれたのだろう。
ガブリとキエルはどうなったのだろうか。あの空間が崩壊したということは、ガブリは死んだのだろうか。キエルは無事なのだろうか。多少気掛かりではあったが、それらの疑問を解消している余裕などミカにはなかった。
「ゲホッ、ゴホッ……」
苦しそうに咳き込むミカ。呼吸をする度に肉体が悲鳴を上げ、じわわと命が削られていくのが分かる。
だが、今はこんな所で寝ている場合ではない。もう時間がないのだ。あと数日もすればミカの命は尽きる。それまでに何としてでもユナと決着をつけなければならない。
ミカはなんとか身体を起こし、壁に立てかけてあった愛用の剣を手に取ると、今にも倒れそうな足取りで部屋を出た。
「み、ミカ様! どこに行かれるのですか!?」
タオルを取り替えるために部屋を出ていた下級天使が、慌てて駆け寄ってくる。
「……邪魔。どいて」
「いけません! 熱もあるのですから安静にしてないと――」
ミカは無言で、その下級天使を睨みつけた。
「ひっ……」
その刃物のような眼差しを前に、彼女はそれ以上言葉を発することができなくなってしまった。ミカは硬直した下級天使の横を通り過ぎ、そのまま城を出て、ユナのいる地上を目指した。
☆
空が夕焼けに染まる頃になっても、ユナは覇王城周辺の巡回を続けていた。
多分あと五日も生きられない――そのミカの言葉が、いつまでもユナの頭に焼き付いて離れない。こうしている今も、ミカは刻一刻と死に近づいているだろう。和解もできないまま妹に先立たれるなど、ユナには耐えられるはずもない。
今すぐミカに会いたい。会って話がしたい。しかしユート様の許可もなく独断で『天空の聖域』に向かうわけにもいかない。ユート様に事情を話せばお許しは出るかもしれないが、これ以上余計な気苦労をかけたくはなかった。これはユナとミカの、姉妹の問題なのだから。
それに、ミカは近い内に会いに行くと言っていた。だからこうして城の周りを巡回していれば、いずれミカの方から現れるとユナは考えていた。ミカは必ず自分との決着をつける為、闘いを挑んでくるだろう。その時は――
「!」
不意に、ユナは遠くから一つの気配を感じ取った。間違いない、ミカだ。妹の気配を誤認するユナではない。ユナはすぐさま気配の方へ駆け出した。
「ミカ!! いるの!?」
辿り着いた先でユナは叫ぶが、返事はない。既に気配も消えている。だが、ついさっきまでミカがこの場所にいたという確信がユナにはあった。
やがてユナの目が近くの木に留まる。その枝には一枚の紙が結びつけてあった。それを手に取って広げると、次のような文が書かれていた。
『大好きなお姉ちゃんへ。今夜、あの森で待ってるよ』
ユナは大きく目を見開く。それは紛れもなくミカの字だった。あの森がどこなのかは考えるまでもない。幼少期、両親を失ったユナとミカが肩を寄せ合って暮らしていた森のことだ。今夜、そこでミカが待っている。今度こそ自分を殺すために。
「ミカ……」
ユナは決意を宿した目で、その紙を握りしめた。
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