第180話 人間達の解放
「長らく続いた奴とも因縁も、終わってみれば呆気ないものだったな」
ガブリが消滅した跡を眺めながら、僕は呟いた。
僕も元々は普通の人間だ。これまで敵を葬った際には多少なりとも罪悪感を覚えたものだが、今回ばかりはそのような感情は微塵も湧いてこなかった。
それもそのはず。罪なき人々の魂を奪い、多くの悪魔達を手にかけ、僕の仲間を散々苦しめ――ガブリの所業はあまりにも常軌を逸していた。奴の命が一つしかないことが悔やまれるくらいだ。
間もなく地に落ちていた【不変証文】の紙が青白い炎に包まれ、燃え尽きて灰となる。それはガブリが死んだことで契約が解消されたことを意味していた。
「……決着がついたようだな」
声の方に視線を向けると、ここから数十メートル先で浮遊する瓦礫の上にキエルが立っていた。
「見ていたのかキエル。いつになく暗い面持ちだな」
「……まあ、ガブリは曲がりなりにも俺の仲間だったからな。その上あんな最期を遂げたとあっては、同情もしたくなるというものだ」
珍しく物憂げな声でキエルは言った。
「無理もあるまい。だが、余は然るべき手段をもって奴を葬ったまで。貴様とは尋常な闘いで決着をつけてやるから安心しろ」
目には目を。力には力を。外道には外道を。これが僕の、覇王としての闘い方だ。だからこそキエルとは真っ向勝負で雌雄を決しなければならない。
「!」
直後、空間が大きく震撼すると共に、四方の虚空に亀裂が生じ始めた。
「ユート様……!」
「ああ」
アンリの声に僕は頷く。ガブリが死んだことで【空間創世】の効力が消失し、この空間の崩壊が始まったようだ。
「……どうやらお別れの時間らしいな」
「待てキエル。エリトラはどうした?」
背を向けたキエルに問う。ユナとミカが闘ってるとすれば、消去法でキエルの相手はエリトラということになる。しかしキエルがここにいるということは、二人の闘いは既に決したのか……?
「…………」
だがキエルは僕に背を向けたまま、何も答えない。程なくして空間は完全に崩壊し、僕の視界は暗転した。
時を同じくして、未だ死闘を繰り広げていたユナとミカも空間の崩壊が始まっていることに気付き、互いに動きを止めた。
「……あーあ、また中断か。今度こそお姉ちゃんを殺せると思ったのに」
溜息交じりにミカが呟く。
「けど、近い内に会いに行くから待っててね。次は三度目の正直だよ」
「ミカ……」
二人の姉妹は最後まで、互いの目を見つめていた。一方は殺意に満ちた目で。もう一方は悲哀に満ちた目で。
多分あと五日も生きられない――ミカのその言葉が、いつまでもユナの頭の中で反響していた。
☆
目を開けると、僕は黒い渦――ゲートの前に立っていた。近くにはアンリとユナ、そしてガブリによって囚われの身となっていた人間達がいた。どうやら無事に戻ってこられたようだ。
「……アンリ」
「心配をかけたなユナ。私はこの通り無事だ」
「……ええ。安心したわ」
あれほど強くアンリの救出を訴えていたユナの反応にしては、やけに味気ない。なんだか顔色も悪く、心ここにあらずといった様子だ。
「ユナ、お前はミカと闘っていたのだろう? 奴はどうなった?」
「……申し訳ございません。途中で空間が崩壊したので、決着はつきませんでした」
どこか平静を装うようにユナは答えた。ミカとの闘いの最中、何か衝撃の事実を突きつけられたと見える。気にはなったが、これ以上姉妹の問題に足を踏み入れるのは躊躇いがあったので、今は何も聞かないことにした。
人間達の方に目を向けると、彼らは大粒の涙を流して地に伏していた。
「ありがとうございます……本当に……!!」
「私達に命があるのは貴方様のおかげです……!!」
「貴方は私達の救世主です……!!」
彼らは僕に向けて口々に感謝の言葉を述べる。僕はただ当然のことをしただけだ。かつて一瞬で五万人もの人間を消してしまった僕は、とても人々に感謝されるべき存在とは言えない。
だが、彼らの謝意を無下にするわけにもいかないだろう。僕が彼らの言葉に応えようとしたその時――何故かアンリが間に入ってきた。
「貴様ら何を言っている? ユート様ほどの御方が貴様ら害虫共に慈悲を与えるわけがなかろう」
おや?
「ユート様が貴様らをガブリの捕縛から解放したのは、ユート様直々に貴様らを抹殺する為だ。断じて貴様らを救う為ではない。思い違いも甚だしいぞ」
何を言ってるのこの子!? 思い違いは君だよ!!
「はっ! も、申し訳ございませんユート様! 思わずユート様の真意を代弁してしまいました……!!」
「……気にするな」
せっかくこの人達をガブリの脅威から救ったのに、ここで抹殺したら何の意味もないじゃないか。だが覇王的にはその方が理に適っているというのが悲しいところである。
「さあユート様。この害虫共には既に潤沢な恐怖が蓄積されていることでしょう。今抹殺すれば極上の悲鳴を味わうことができると思います。どうぞご堪能ください」
ご堪能とか言われても。案の定人々の表情は一転して絶望の色に染め上がっていた。さて、どうする。僕がこの人達を殺さないで済む方法は……。
「……アンリよ。お前はまだまだ甘い」
「ど、どういうことでしょうか?」
「お前の言う通り、此度この人間共が並々ならぬ恐怖を抱いたことは確かだろう。が、この人間共の恐怖にはまだ熟成の余地がある。ここで殺さず敢えて生かし、絶望の記憶を根深く刻ませることで、その恐怖を更に増幅させる。その時こそ真に極上の悲鳴を堪能することができるだろう」
「なるほど……! つまり今はまだ殺す時ではない、ということですね!」
「理解したようだな。こいつらは敢えてこの場で解放する。余の手にかかれば、こいつらを探し出して殺すことなど造作もないからな」
そう言って、今一度僕は人間達に目を向ける。
「そういうことだ、人間共よ。今すぐ余の視界から消え失せるがいい。もっとも今すぐ余に殺されたいというのなら話は別だがな」
「ひ、ひいいいい!!」
人間達は悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。なんとか殺さずに済んだと、僕は心の中で安堵する。できれば呪文で回復させてやりたかったが、アンリの前でそんなことをするわけにはいかないしな……。
第8章完結まであと3話です。




