第178話 60秒の猶予
「【未来予知】が伝えるのはあくまで〝光景〟に過ぎない。つまり現段階では、お前が死ぬという〝結果〟はその光景からの推測でしかない」
「ど、どういうことでしょうか?」
「……呪文【擬死玉】」
僕は呪文を唱えてビー玉サイズの玉を一つ生成し、相変わらず困惑の表情を浮かべるアンリにそれを手渡した。
「ユート様、これは……?」
「【擬死玉】は一定時間、自らの身体を死体と同じ状態にすることができる。要は自害のフリをする為の代物だ。使用方法は簡単、口の中に入れて噛み砕くだけでいい。もう言いたいことは分かるな?」
「! なるほど、流石はユート様!」
そう、この方法ならば未来の〝光景〟を変えずに〝結果〟だけを僕の望む方向へ導くことができるわけだ。
「お前にはガブリに捕らわれた際、タイミングを見計らって【擬死玉】を噛み砕き、自害を演出してもらいたい。しかし当然ながら、このことがガブリに見抜かれたら計画は破綻する。よってそれなりの演技力も必要になるだろうが……やれるか?」
僕の問いに、アンリは不敵に微笑んだ。
「お言葉ですがユート様。自害で私の右に出る者はいないと自負しております」
なんて説得力だ。
「それと一つ提案があるのですが、この【擬死玉】にひと工夫加えることをお許しいただけないでしょうか?」
「……ひと工夫?」
「はい。例えばこれを噛み砕いた時、血に似せた赤い液体が流れ出るような細工を施すといった感じです。そうすればよりリアルな自害を演出できると思います」
「……ふむ。まあ、細かいアレンジはお前に任せる」
「ありがとうございます」
ぶっちゃけ自害に関しては僕が下手に口出ししない方がいいだろう。
「話を戻すが、【未来予知】で視えた光景はその一場面だけだ。そこから先は戦況によって手立ても変わってくるだろう。だが余とお前なら何も問題はないと信じている」
「ユート様……!」
恍惚の表情を浮かべるアンリであった。
それから僕は想定しうる限りの戦況と、それに応じた戦略をアンリに伝えた。あとはあの未来に繋がるようにレールを敷くだけでいい。その為には敢えてガブリの策に乗る場合もあるだろう。
「作戦は以上。何か異存はあるか?」
「ユート様の作戦に異存などあろうはずがございません。しかし……」
「回りくどい、か? 確かにガブリを葬り去るだけならもっと効率の良い方策もあるだろう。だが図に乗らせてから絶望に突き落としてやった方が、より濃厚な辛酸に仕上げることができる。そうは思わんか?」
「流石はユート様。外道には容赦がないのですね!」
「……ふっ」
思わず僕は苦笑した。果たしてどちらが外道なのやら。
「それと、このことは他言無用で頼む。無論ユナ達にもだ。敵を欺くにはまず味方から、というからな」
「つまりユート様と私だけの秘密、ということですね! かしこまりました!」
なんか凄く嬉しそうだ。決して楽な作戦ではないというのに。
「最後に確認しておく。この作戦中、お前が本当に殺されてしまう可能性は0ではない。それでも引き受けてくれるか?」
【擬死玉】の発動が成功すれば、その効果が切れるまでの間アンリは完全な無防備状態となる。万一ガブリが念の為を思ってアンリの心臓に刃物を突き刺したりすれば、アンリは本当に死ぬ。だがそれでもアンリは決然と頷いた。
「無論です。ユート様の為ならこの命、惜しくはありません」
「……そうか」
まったく良い配下を持ったものだ。僕は心の底からそう思った。
☆
以上が、僕とアンリが交わした話の概要である。
唯一問題だったのが、【擬死玉】の持続時間は生成した僕にも調整不可能という点だ。よって【擬死玉】の効果が切れてアンリの意識が戻るまで時間を稼ぐ必要があった。しかし奴が早々に決着をつける性格でないことは分かっていたので、僕が労せずとも時間稼ぎは至極容易だった。
アンリには意識が戻った時点で僕にサインを送るよう予め伝えていたので、あとはガブリがいかにもキレそうな煽り文句で奴の意識をアンリから逸らすだけでいい。
「テメエ……俺を嵌めやがったのか……!!」
「ようやく気付いたか。まったく、怒り狂うフリをするのには苦労したぞ」
アンリから【怨念剣】の剣先を喉元に突きつけられた状態で、ガブリは憎々しげに僕を睨みつける。いくらラファエの力を取り込んだ今のガブリでも、首を刈られたら絶命は免れないだろう。
「貴様は自分の策が上手くいきすぎると感じたことはなかったか? それもそのはず、貴様の策に敢えて乗ることも余の計画の内だったのだからな。貴様は余が敷いたレールの上を走っていたに過ぎん」
「……フフ、ハハ。ハハハハハハ!!」
ふとガブリは思い出したように哄笑を轟かせる。
「何がレールの上だ、笑わせんな! 忘れたわけじゃねーよなぁ、俺の【運命共有】を! 俺が死ねばあそこにいる人間共も死ぬんだぜ!? 殺せるもんなら殺してみろ!」
「そういえばそうだったな」
僕は俯き、わざとらしく間を置いた後、顔を上げた。
「ならばこうしよう。アンリよ、60秒考える時間を与えるので、ガブリを生かすか殺すかの選択はお前に委ねる。無論、妙な動きを見せたらその時点で殺して構わん」
「御意」
このやり取りを聞いて、ガブリが目を見開いて驚愕を露わにする。
「なっ、何考えてんだテメェ!?」
「こう見えても余は優柔不断でな。貴様を殺すべきか否か、余では決めかねる。そこでアンリに貴様と人間共の命運を託すことにした」
「分かってんのか!? こいつが俺を殺すことを選んだら、あの人間共も――」
「勘違いしているようだから言っておくが、余は他者の行為によって人間共がどうなろうと、それを咎めるつもりは毛頭ない。一々そんなことに目くじらを立てていたら覇王は務まらないからな」
「なっ……」
ガブリの頬を汗が伝う。悪魔が人間を嫌悪していることはこの世界の共通認識である。無論それはガブリも承知だろう。アンリにとってこの状況は、ガブリと人間達を同時に葬れるという、まさに一石二鳥である。
たとえ覇王の意に添わない行為だとしても、アンリが自分を殺す選択をする可能性は非常に高い――奴はそう考えているに違いない。
「首を刈られるより先に動ける自信があるならやってみるがいい。だがアンリの反射神経は侮らない方がいいぞ」
「……っ!!」
あくまで【弱者世界】が補正するのはステータスに表示された数値のみ、よって反射神経までは補正できない。【瞬間移動】のような転移系呪文があれば紙一重の差でこの状況から逃れることができるかもしれないが、【弱者世界】の副次効果によって転移系呪文は無力化される。自分が創り出した空間が自分の首を絞めることになるなど、ガブリは夢にも思わなかっただろう。