第174話 ゲートの秘密
「さて、これからどうします? 我の正体を知った上でも尚、闘いを続けますか?」
「……正直、お前と闘うのは負い目がある。だがたとえ相手が誰であろうと、俺が一度始めた決闘を自ら投げ出すことはない」
思いがけないエリトラの正体にキエルの心は大きく揺れ動いたものの、その程度のことでキエルの闘志が失せることはなかった。
「ホホホ。貴方の強固な信念には感服致します。ですが我の正体がバレた今、これ以上ここに留まるつもりはないのでね。申し訳ありませんが、我はこの空間から離脱させていだたくとします」
「……俺との闘いを放棄するつもりか? 言っておくがこの空間と融合した【弱者世界】の効力によって、転移系呪文は全て無力化されるぞ」
「おや、そうなんですか? ですがお気遣いなく、転移系呪文に頼らずとも離脱する方法はありますので。我は奇術師エリトラ、脱出ショーはお手の物ですからね」
「……ほう」
キエルが考え得る限り、転移系呪文を使わずにこの空間から離脱するとなれば、【空間創世】を発動したガブリ本人を亡き者にするか、あるいはこの空間そのものを破壊するしか方法はない。しかし察するに、エリトラの方法とはそのどちらでもないだろう。
「ところで、地上と天空を繋いでいる黒い渦――俗に〝ゲート〟と呼ばれていますが、貴方はあれがどのようにして発生したかご存じですか?」
「……いや。そんなことは考えたこともなかったな」
数百年前から存在しているらしい、ということはキエルも聞き及んでいる。だが今となっては地上にも天空にも、ゲートについて詳しいことを知る者は誰もいない。ただし、この場にいる一人を除いて。
「何故今、そんなことを聞く?」
「あの〝ゲート〟は、我が持つ呪文によって出現したものなんです」
「……何だと?」
衝撃の事実に、キエルは瞠目する。
「ま、正確には呪文を使ったのは我ではありませんがね……。では今からその呪文をご覧に入れましょう。呪文【時空連結】!」
突如、エリトラの傍らの空間に亀裂が入り、大きな黒い渦が発生する。その見た目は〝ゲート〟と全く同じだった。
「……この空間と、どこか別の空間を繋げたというのか?」
「流石、理解が早い。それではこの辺りでショーの幕引きとさせていただきます。機会があれば、またどこかでお会いしましょう……」
エリトラが頭のシルクハットを手に取って左右に振ると、そこから白い煙が噴出してこの場に充満する。その煙が晴れる頃には、エリトラはキエルの視界から消えていた。
煙幕を発生させた隙にあの黒い渦に身を投じ、どこか別の空間に退避したのだろう。想像もつかなかったエリトラの脱出方法に、しばしキエルは感心すら覚えていた。
たった今エリトラが発生させた黒い渦は、まだこの場に残っている。一瞬キエルは自分もあの中に飛び込んでエリトラを追うことも考えたが、あの黒い渦がどこに繋がっているが分からない以上、それは危険が伴う。そもそも既に戦意が失せた相手に再び決闘を挑むというのはキエルの性に合わない。
たとえ闘うことになってもエリトラの正体を知ってしまった今、果たして全くの同情なしにエリトラと命のやり取りができるかどうか、一抹の不安は否定できなかった。
七年の間、エリトラの身に一体何があったのか。何故人間のエリトラが、あれだけ多様な呪文を使えるのか。他にも疑問は尽きないが、今それを考えたところで答えが出るはずもなかった。
「さて。他の闘いはどうなったか……」
キエルは頭の中を切り替え、遠くの方に目を向ける。キエルの気配の察知能力は覇王をも上回り、ここからでも四つの気配を機敏に感じ取っていた。
このまま他二組の決着がつくまでじっと待つのも忍びない。そう思ったキエルは瓦礫から瓦礫へ次々と飛び移り、気配のする方へ向かった。
☆
思わぬ形でエリトラとキエルの闘いが決着を迎えた頃。依然としてユナとミカの死闘は続いていた。
一方的に【弱者世界】の効力を受けてしまったことで、勝負はユナの圧倒的不利に思われた。事実、序盤はユナが完全に押されていた。しかし時が経つにつれ、徐々にミカの剣の威力が落ちていくのをユナはハッキリと感じ取っていた。無論、ミカが手を抜いているわけではない。
「かはっ……!!」
ついには口から血を吐き出してしまい、ミカは咄嗟にユナとの距離をとった。ユナの剣撃が原因でないことは明白である。
「ミカ――」
「やめて!!」
言葉を掛けようとしたユナを、ミカは大声で制した。
「同情なんてしないで……これは私が……決めたことだから……!!」
体内に悪魔の血を宿すミカは、長年『天空の聖域』の大気に触れていた影響で、その身体は取り返しのつかないところまで蝕まれていた。それに加え、呪文が適応できない体質にも関わらずガブリから借りた呪文を強引に発動して自身のレベルを下げていたため、肉体の浸蝕は更に加速していた。以前セアルから付与された【魂吸収】の呪文を使って人間の魂を狩っていた際に体調不良で倒れてしまったのもこれが原因である。
だがそれはミカも承知の上だった。レベルを300未満まで下げなければ自分も【弱者世界】の効力を受け、ステータスが大幅に下がってしまう。同じ条件では姉には絶対に勝てないと、ミカは悟っていた。
「げほっ、ごほっ……」
また苦しげに吐血し、ミカを左手で口を覆う。手の平にべったりと付着した赤い血を見て、ミカは空虚な笑みを浮かべた。
「もう……あまり私に時間は残されていない……多分あと五日も生きられない……」
妹の衝撃の告白に、ユナは驚愕に打ちのめされた。
「そんな、嘘……!?」
「嘘じゃないよ……私の身体のことは私が一番よく分かってるから……」
それでもミカは剣を構える。迫りくる死を前にしても、姉を殺すという意志だけは決して消えることはない。
「でもね、一人で死ぬのは怖いの。だからせめて……お姉ちゃんを道連れにする!!」
「ミカ……」
凄まじい気迫がミカの総身から迸る。妹がこんなに苦しんでいるというのに、自分にはどうすることもできないのか。己の無力さに、ユナは唇を噛みしめるしかなかった。