第171話 怒れる覇王
「馬鹿な、俺の究極の必殺技である【火炎月光砲】を防いだだと……!?」
ガブリが動揺を見せる一方、僕は口から小さな固形物を吐き出した。それは……梅干しの種である。
以前セレナとのデート中に立ち寄った梅干し屋で、謎の婆さんから貰った梅干し。その効果は、寿命十年と引き替えに三時間の間HP・MP以外のステータスが1000上昇する。ラファエとの闘いで温存していたこの梅干しを、僕は今まさに食べたのである。
ガブリの【火炎月光砲】を相殺することができたのも、ATKとDEFが上昇したおかげだ。あのような低劣な男を相手にこんな物に頼るというのは憤懣やるかたないが、そんなプライドに拘って追い詰められては元も子もない。奴を葬る為なら寿命十年くらいくれてやる。
「呪文【大蛍光】!」
すかさず僕はガブリの頭上に巨大な光を発生させた。
「うおっ!?」
突然の眩い光にガブリが怯む。この呪文自体には何の効力もないが、数秒の間奴の視界を奪うだけならこれで十分。その隙に僕はガブリに向かって駆け出し、その顔面に拳を炸裂させた。
「ピギャッ!?」
ガブリの身体は吹っ飛び、両手を投げ出したまま瓦礫の上を転がる。梅干しの効果でステータスを上昇させたと言っても、所詮僕の本来のステータスには遠く及ばない。今のガブリに大したダメージは与えられないだろう。
だが奴にはアンリを、サーシャを、そして大勢の者達を殺され、傷つけられた。たとえダメージがなくとも、どうしても一発殴ってやらなければ気が済まなかった。無様に吹き飛んだガブリを見て、僕の溜飲も僅かに下がった。
『痛いよ……』
『やめて……』
その時、どこからか苦しみに喘ぐような声が聞こえ、僕は反射的に周囲を見渡した。言うまでもなくガブリの声ではない。何だ今のは……!?
「あー、いってえなぁ……」
だがそんなことを気に掛ける間もなく、ガブリがゆらりと立ち上がる。やはりこの程度ではほとんど効かないか。
「ステータスが上がったのか……? どうやったのかは知らねーが、まあいい。おかげでますます楽しくなってきたってもんだ……!!」
ガブリは口の端から流れ出る血を拭うと、夢遊病者のような足取りで歩き出した。
「なら、俺もそれに応えてやらねーとなぁ。そろそろ次のサプライズを披露するとしますか……!!」
ある地点で足を止めたガブリは、不気味な笑みを浮かべつつ、指を鳴らした。
「呪文【認識遮断】を解除!」
直後、ガブリの足下に〝黒い布で覆われた何か〟が出現した。布の大きさは二メートル前後。確か【認識遮断】はゲートの存在を隠蔽する為に七星天使のセアルも使っていた。あの〝黒い布で覆われたもの〟は最初からこの場にあったもので、ガブリが【認識遮断】を解除したことで僕の視界に映し出された、といったところだろう。
「……何だそれは?」
「ンッフッフッフ、気になるよなぁ。ではここでガブリクイーズ! この黒い布で覆われたものは一体何でしょう!?」
「…………」
「おや、分かんねーか? では特別ヒント! こいつはテメーが今まさに捜し求めてるものだ!」
「……捜し求めてるもの、だと?」
「おいおい、まだ分かんねーのかよ。鈍重にも程があるなぁ。テメーは何の為に俺と闘ってる? 確か誰かさんを助け出す為だったよなぁ……?」
「……!!」
全てを理解するのに、それ以上の思考は必要なかった。
「おっ、どうやらピンときたみてーだな。それでは正解発表! 正解は……これだぁ!」
ガブリが勢いよく黒い布を取り払う。布で覆われていたものの正体、それは――
「アン…………リ…………?」
そう。それは紛れもなく、変わり果てたアンリの姿だった。
僕は瞠目し、幾許もなく理解する。見たこともないような空間。気味の悪い笑みを浮かべるガブリ。その傍らで横たわるアンリ。この光景は、僕が【未来予知】で視たビジョンと完璧に合致していた。
「おや? ようやく愛しのアンリちゃんと再会できたってのに、あんまり嬉しそうじゃねーなぁ」
「……貴様……!!」
僕は拳を震わせる。【認識遮断】は視界の遮断はできても、気配まで遮断することはできない。アンリが最初からこの場にいたのなら、たとえ視界には映らなくとも、その気配でアンリの存在を察知することは可能だったはず。
無論、それはアンリが生きている状態だったらの話である。あのアンリからは気配そのものを全く感じ取ることができない。それは即ち――アンリの生命活動が完全に停止していることを意味していた。
「お察しの通りだ。残念ながらアンリちゃんは二度と目を覚ますことはない」
「……アンリを……殺したのか……!!」
「さっきも言っただろ、〝殺してない〟ってよ。アンリちゃんは俺と話してる途中で舌を噛んで自害しちまったんだ。だから俺を責めるのはお門違いってもんだぜ? 嘆かわしいが、アンリちゃんにとっては本望の最期だったと――」
そこでガブリの言葉が途切れる。気付けば僕は突っ走り、全力でガブリをぶん殴っていた。
「貴様ああああああああああーーーーーーーーーー!!」
僕は咆哮し、ひたすらにガブリを殴り続ける。拳から血が噴き出るが、そんなことは気にも留めない。もはや今の僕は目の前の敵を蹂躙するだけの獣と化していた。たとえ微々たるダメージだろうがどうでもいい。奴の憎たらしい表情を歪めることができればそれでよかった。
「ドハッ!! ブホッ!! ガフッ!!」
対するガブリは反撃どころか抵抗すら一切せず、ただ一方的に殴られ続ける。まるでそれを狙い澄ましていたかのように。
『ううっ……』
『やめてくれ……』
そしてガブリに叩き込んだ拳が20発を超えようとした時。またどこからか聞こえる謎の声に気付き、僕は拳を止めた。
間違いない。この声は明らかにガブリのダメージと連動している。だが何故こんな声が……!?
「ゲホッ……いっぱい殴ってくれたなぁ……期待以上のリアクションを返してくれて俺も嬉しいぜ……ンッフッフッフッフ……!!」
仰向けに横たわりながら、ガブリは不気味な笑い声を発する。
「けどなぁ……痛い思いをしてるのは俺だけじゃねーんだぜ……?」
「……どういう意味だ?」
ガブリはゆっくりと起き上がる。その表情は、まさしく事が思い通りに運んだ時に浮かべるようなものだった。
「実は【認識遮断】で見えなくしてたのはアンリちゃんの死体だけじゃねえ……あれを見なぁ!」
「……何!?」
ガブリが指差した先、その光景に僕は目を奪われた。