第169話 ガブリワールド
僕は空間全体を見渡してみる。やはり目視でもユナとエリトラの姿は確認できない。念話で二人の安否を確かめることもできようが、既に交戦中だった場合、その妨害をしてしまいかねない。
おそらくエリトラとはキエルが、ユナとミカが闘っていることだろう。ユナの気持ちを考えると、できればミカとは闘わせたくなかったが……。
「おいおい余所見とは余裕だなぁ。今は自分の心配をした方がいいと思うぜ?」
「…………」
僕はすぐに頭の中を切り替えた。二人なら大丈夫だと信じよう。今は目の前の仇敵を葬ることだけに集中しなければ。
「えーっと? 一、二、三、四……。分身も含めるとテメーと相見えるのはこれで五度目か。そろそろテメーの顔も見飽きてきた頃だなぁ」
「同感だな。だが安心しろ、貴様が余の顔を見るのはこれが最後となる」
「ンッフッフッフ。いいねえそういう台詞。実に俺好みだ」
もはやこの男には救ってやる価値など微塵もありはしない。奴の死をもってしても分かり合うことは永遠にないだろう。
「……貴様のことだ。他にも数々の罠を用意しているのだろうな」
「そりゃあ、テメーとまともに闘って勝てるわけねーからな。それ相応の準備をさせてもらったぜ。しかしそこは〝罠〟じゃなく〝サプライズ〟と言ってほしいなぁ。どれも最っ高のサプライズだから期待しててくれよ!」
「笑止。言っておくが楽に殺しはしない。貴様には極上の屈辱を味わいながら逝ってもらう」
「ほう、そりゃ楽しみだ。だが果たしてその余裕がいつまで続くかな……?」
それ以上、僕は話を続けるつもりはなかった。先手を打つべく僕は呪文を唱える。
「呪文【大火葬】!!」
紅蓮の炎がガブリの総身を覆い尽くす。だが――
「ンッフッフッフ。その程度か?」
ガブリは薄気味悪い笑みを浮かべたまま平然としていた。無論これで倒せるとは思っていなかったが、まるで効いていないのは予想外だった。
「炎系呪文だったら俺がお手本を見せてやるよ。呪文【火炎弾】!」
ガブリの指先から炎の弾が一発だけ放たれる。こいつ、またしてもラファエの呪文を……!! だがこの程度なら避けるまでも――
「ぐっ!?」
右肩に炎の弾が直撃し、僕の身体が大きくよろめいた。普段の僕なら痛みすら感じないはずだが、確実にダメージを受けてしまった。これは既に何かしらの罠が発動していると見ていいだろう。
「どうした、【死の宣告】は使わねーのか? あの呪文ならサクッと俺を殺せるだろうになぁ」
「そんな挑発に乗ると思うか? それに貴様は楽に殺しはしないと言ったはずだ」
奴は以前僕の【死の宣告】によって分身を葬られているので、その脅威はよく理解しているはず。何の対策も講じずに姿を現したとは思えない。
「そうかい。なら遠慮なくいかせてもらうとするか。呪文【火炎激流】!」
炎が激流となって僕に押し寄せてくる。さっきの【火炎弾】一発ですらダメージを受けたということは、これをまともに喰らうのはマズい。そう判断した僕は瞬時に回避しようとするが――
「……!?」
身体が思ったように動かず、僕は炎の激流をその身に浴びてしまう。直撃は免れたものの、更なるダメージが僕を襲った。
「どうしましたユート様!? 大丈夫ですか!?」
「……貴様……!!」
再びガブリが【変身】でアンリの姿になる。立て続けにラファエの呪文で攻撃してくるのも、明らかに僕への精神攻撃が狙いだ。
だがそんなことで取り乱している場合ではない。今はこの状況を分析するのが先だ。しかしこの身体の感覚、どこかで……。
ハッと一つの予感に至った僕は、自らのステータスを確認してみる。その予感は図らずも的中していた。
覇王 Lv999
HP1687/2000
MP1800/2000
ATK100
DFE100
AGI100
HIT100
ステータスが明らかに減少している。しかもこの減り方にはハッキリと覚えがあった。まさか……!!
「どうやら察したみてーだな。知っての通り俺はラファエの能力を奪ったんだ。ってことは当然〝あの呪文〟も使えるってことだよなぁ!?」
「……【弱者世界】か」
「大・正・解~~! この『ガブリワールド』は【空間創世】と【弱者世界】のハイブリッドによって創り出された空間ってわけだ!」
ラファエとの闘いで僕を苦しめた【弱者世界】――これによりレベル300以上の者は強制的にステータスの補正を受ける。
またこの呪文の影響下で闘うことになろうとは。奴の軽微な呪文でダメージを受けたのも、身体が思うように動かなかったのもそういうことか。
「だが【弱者世界】の影響を受けるのは貴様も同様のはずだ」
「はぁ? おいおい、そりゃ俺を馬鹿にしすぎだろ。んなもん俺が甘んじて受け入れると思ってんのか?」
「……だろうな」
ガブリが【弱者世界】の影響を受けていないのは明白だ。予め何らかの対策を施しているのは間違いない。
「特別に種明かしだ。現在俺のレベルは【階層低下】っつー呪文で299まで下げてあるのさ。【弱者世界】の影響を受けるのはレベル300以上だからなぁ!」
「……なるほど」
残念ながら僕は自らのレベルを減少させる呪文は所持していない。そもそも所持していたら何故それをラファエとの闘いで使わなかったのかという話になる。
「そして【弱者世界】はこの空間全体に効果を及ぼしている。これがどういうことか分かるよなぁ?」
「……!」
つまりユナとエリトラも【弱者世界】の影響を受けていることに……!!
既にユナとミカの戦闘は始まっていた。だが戦局はユナの圧倒的不利であり、ミカの剣撃を受けきるので精一杯という状況だった。
「はあっ……はあっ……!」
頬から流れ出る血を拭うユナ。この空間に来てからというもの身体が明らかに重く、普段の力を発揮できない。その原因がこの空間そのものにあることはユナも勘付いていた。
そんな姉の苦しむ様子を、ミカはとても満足そうな表情で眺めていた。
「ごめんねお姉ちゃん。この空間ではレベル300以上の人はステータスが大きく下がっちゃうんだよ」
「……!?」
ユナは自分のステータスを確認し、目を見開いた。確かにミカの言う通りステータスが大幅に減少している。呪文を使えないユナにとってMPの減少は無関係だが、ミカを相手にATKやAGIなどの減少は致命的だった。
だがそれはミカも同じはずなのに、何故こんなにも戦局に差が出ているのか。そんなユナの疑問に答えるように、ミカは言葉を続ける。
「だけど私はガブリから借りた呪文のおかげでレベルが下がってるの。だからこの空間の影響を受けてないんだよ」
ミカもガブリ同様、予め対策を施した上でこの空間での闘いに臨んでいたのであった。
「卑怯だと思った? でもね、私はお姉ちゃんを殺すのに手段は選ばない……!!」
「ミカ……」
ミカの目に宿る殺意の色が更に濃くなり、ユナの剣を握る手が緊迫の軋みを上げた。