第166話 ガブリの暗躍
やや時は遡る。ガブリは人間領の〝ある洞穴〟の前まで来ていた。
以前にも出てきたが、ここはガブリは幻獣復活の為の生贄として人間を集めていた洞穴である。しかし気の遠くなるような作業に嫌気が差したガブリは、26人が集まったところで投げ出してしまった。
その26人は今も尚、この洞穴で囚われの身となっている。幻獣復活を断念したのでこの人間達は用済みとなったはずだが、ガブリは他にも利用価値があると考え、解放することはしなかった。
「よぉ、ご苦労さん。誰も逃がしたりしてねーだろうな?」
洞穴を見張らせていた三人の下級天使に、ガブリは気さくに声を掛ける。
「が、ガブリ様!」
「はい、一人たりとも!」
下級天使達はガブリが現れた途端、明らかに動揺を見せた。ガブリに内緒で何か後ろめたいことでもしていたかのように。
「……あぁん?」
ガブリは洞穴の中を覗き込み、人間達が野菜や果物を食していることに気付く。そして下級天使達の手にも、同じく野菜や果物。彼らが人間達に食糧を施していることは一目瞭然だった。
「おい。こいつは一体どういうことだ?」
「さ、さすがにずっと何も食べさせないのは酷だと思い――ウグッ!?」
ガブリはその下級天使の喉を掴み、そのまま岩の壁に押し付ける。口元こそ笑っていたが、その目には狂気が滲んでいた。
「誰がそんなことしろっつった? 人間なんざ砂でも食わせときゃいいんだよ。あまり俺を怒らせんなよ……?」
「も……申し訳ございません……!!」
「……まあいい。今日の俺は気分が良いからな。大目に見てやる」
ガブリは下級天使の喉から手を離すと、人間達のもとに近付いていく。人間達は恐怖に染まった表情でガブリを凝視する。
「そんな怖い顔すんなって。ちょっと良い夢見させてやろうってだけだ。呪文【睡魔の囁き】」
ラファエから奪った呪文の一つである【睡魔の囁き】を発動し、ガブリはその場にいた人間全員を眠りに落とした。
「ンッフッフッフ。やっぱラファエの呪文は便利だなぁ。人間共を確保しといて正解だったぜ」
満足そうに微笑みながら、ガブリは足元に転がってきた果物をグシャリと踏み潰す。
「ら、ラファエ様の呪文? それはどういう……?」
ガブリがラファエを殺し、その力を奪い取った事実など知るはずもなく、下級天使は当惑の表情で尋ねた。
「あぁ? 下級天使の分際で、七星天使である俺に問いを投げるってか?」
「い、いえ! 失礼致しました……」
「それよりテメーら、人間共をここから運び出せ。こいつらは間もなく始まるパーティの大切なお客様だからなぁ……!」
「…………」
七星天使の命令に逆らえるはずもなく、三人の下級天使は頷くしかなかった。
その後ガブリは『天空の聖域』に帰還して〝ある準備〟を完了させると、【瞬間移動】を使って現在七星天使が拠点としている城に戻ってきた。
元々ガブリは【瞬間移動】など使えなかったが、今のガブリはラファエが所持していた呪文だけではなく【怨念剣】【変身】などの様々な呪文を獲得していた。【瞬間移動】もその一つである。
ガブリが城の扉を開けると、そこにはキエルが険しい表情で待ち構えていた。
「いやぁ、計画は順調! むしろ順調すぎて怖いくらいだなぁ。ここまでくれば覇王は葬ったも同然だ」
キエルの様子など気にも留めず、ガブリは上機嫌で報告してみせる。
「……人質を捕り、覇王を誘き出す作戦か。姑息な真似を……」
相手が誰であろうと正々堂々闘うことを信条とするキエルにとって、ガブリのやり方はとても気分の良いものではなかった。
「姑息で結構。亡きセアルも『覇王を葬る為なら手段は選ばない』と散々言ってたからなぁ。俺はそれに倣ってるだけさ」
明かな詭弁だったが、ガブリがそういう男であることはキエルも理解していたので、もはや撤回させる気にもなれなかった。
「さぁて。下準備が整ったところで、ここから先はいよいよテメーとミカにも働いてもらうぜ。俺の予想が正しければ、覇王は残り二匹の四滅魔と共にアンリちゃんを奪還しようとするはずだ。さすがに俺一人じゃ手に余っちまうからなぁ」
「……覇王がたった一人の配下を救うために、そこまですると思っているのか?」
「当然だろ。あの男はそういう奴だ。それはテメーもよく分かってるはずだろ?」
「…………」
キエルは腕を組んで沈黙する。覇王が以前、セレナという人間の女を救うために人間の姿で『天空の聖域』に乗り込んできたことはキエルも聞き及んでいた。そんな男が配下を見捨てるなど、まず有り得ない。その点に関してはキエルも同意見だった。
「まさかとは思うが、ここにきて『やっぱ協力すんのやめた』とか言い出すんじゃねーだろうな?」
「……安心しろ、俺に二言はない。早くもお前の口車に乗ったことを後悔しているのは確かだが、今は七星天使としての本分を優先してやる」
「ンッフッフッフ。そうこなくっちゃなぁ」
ガブリは不敵な笑みを浮かべながら、キエルの横を通り過ぎていく。
「……どこへ行く?」
「アンリちゃんの所に決まってるだろ。覇王が来るまでただ待ってるのも退屈だしなぁ。あれだけの上玉だ、手を出さない方が失礼ってもんだろ?」
「待て」
キエルはガブリを呼び止め、鋭く睨みつける。
「おいおいどうした、そんなおっかねえ顔して」
「七星天使の矜持を傷つけるような真似はするな。相手が悪魔といえど俺が許さん」
「矜持ねえ。そういやセアルも似たようなこと言ってたっけな。この期に及んで矜持なんぞに拘っても――」
「そうか。ならば力ずくで止めることになるが、それでも構わないか?」
ガブリは煩わしげに舌打ちする。覇王との決戦を前にしてキエルと争うなど、ガブリにとっては何の益もない。
「あー、ジョークだよジョーク。ちょっと覇王のことでアンリちゃんに話を聞きに行くだけだ。ったく、ユーモアってやつが分からんのかねえ……」
ブツブツ文句を垂れながら、ガブリはキエルのもとを去っていった。