第165話 取捨選択
それから程なくして、ペータを発見したとの報告が入ってきた。既に覇王城の治療室に運び込まれたらしく、僕はすぐさまその場に向かった。
「ペータ!」
そこにはペータの痛ましい姿があった。全身傷だらけで、ガブリにかなりやられたと見て間違いない。命に別状はないようだが、間もなく僕はあることに気付き、驚愕を余儀なくされた。
「どうした!? 何故回復呪文で回復してやらない!?」
その場にいた医療班の悪魔達に僕は怒鳴った。当然ながら覇王軍の医療班には回復呪文を使える者達を揃えてある。だがペータには応急処置こそされているものの、回復呪文を施された形跡がまったくなかったのである。
「も、申し訳ございませんユート様! ですが……!!」
「もういい、余がやる。呪文【生命の――」
ペータに対して【生命の光】を発動しようとするが、火花のような音と共に僕の右手が弾かれ、呪文の発動を遮られてしまった。なんだこれは……!?
「わ、我々もペータ様に回復呪文を施そうとしましたが、同じように呪文を拒絶されてしまい……!!」
僕は思索する。おそらく今のペータには〝あらゆる呪文を拒絶する呪文〟がかけられている。一応【解呪】で呪文の解除を試みたものの、案の定【解呪】自体も拒絶されてしまった。これも十中八九、ガブリの仕業だろう。つまり奴を葬らない限り、ペータに回復呪文を施すことはできない……!!
「うっ……」
意識が戻ったらしく、ペータの目がうっすらと開いた。僕の存在に気付いたのか、ペータの顔が僕の方に向けられる。
「ユート様……アンリが……ガブリに……」
「ああ。分かっている」
「ごめんっす……ウチを守ろうとしたせいで……アンリが……」
このような状態になっても、ペータはアンリの心配をしていた。
「お前が謝ることではない。それ以上は無理して喋るな」
「……っ」
ペータの目から涙がこぼれ落ちる。僕はその涙を、人差し指でそっと拭ってやった。
「……引き続きペータを頼む。回復呪文を使えずとも治療はできるはずだ」
そう言い残し、僕は治療室を後にした。口惜しいが回復呪文が効かない以上、医療知識のない僕にできることは何もない。後は医療班の悪魔達を信じて任せよう。
大広間に戻った僕は、玉座に腰を下ろし、大きく息をついた。
ガブリが複数の分身と共に野良悪魔を殺傷していた目的を、今になってようやく理解した。奴の狙いは僕達の戦力を分散させ、その隙に人質を確保することにあった。最初から僕の命が目的ではなかったわけだ。
アンリが今『天空の聖域』で囚われの身になっているのはほぼ確実だ。おそらくガブリは僕がアンリを救出すべく『天空の聖域』に向かうのも想定している。いや、むしろそうなることを望んでいるだろう。だからこそ奴はペータを呪文で回復できないようにして保険をかけたに違いない。そして奴は確実に〝罠〟を張って僕を待ち構えている。今度こそ僕を葬る為に。
もはやペータを戦線に出すことは叶わない。アンリを助けに行くとすれば、使える戦力はユナ、エリトラ、そして僕の三人だけだ。その上ガブリが一人で待ち構えているとは限らない。残りの七星天使はガブリ、キエル、ミカの三人。ガブリがキエルとミカの協力も得ていると仮定すれば、奇しくも戦力の数は同じになる。
だが、この構図さえもガブリの想定内だとしたら? 奴が悪魔の戦力を完全に無力化しようと画策しているのであれば、標的は僕だけではなくユナとエリトラにも及んでいるはず。
ならば僕が選択すべき、最善の行動は――
「ユナ、エリトラ。すまないが休息を中断し、大広間に来てほしい」
僕は一つの決断をした後、少し時間を置いて二人に念話でそう伝えた。
アンリを奪われ、ペータをあのような状態にされたことに憤慨と動揺はあったが、今の僕は比較的冷静だった。いや、こんな時だからこそ、僕は覇王として冷静でなければならない。
「お呼びでしょうか、ユート様」
三十秒もしない内に、ユナとエリトラは大広間に来てくれた。すぐに僕はアンリがガブリによって捕らえられたこと、そしてガブリを葬らない限りペータを回復呪文で治せないことを二人に説明した。二人は終始、驚愕した様子で僕の話を聞いていた。
「では、アンリは『天空の聖域』に……!?」
「だろうな」
「……了解しました。既に覚悟はできております。ユート様、今すぐにでも我々に出撃の命令を!」
「ん~~ジェネシス!!」
ユナもエリトラも、迷う様子など微塵もなかった。絶対にアンリを救い出すという確固たる意志が伝わってくる。だが僕はそれらを否定するように、かぶりを振った。
「お前達、何か勘違いしているようだな。余はアンリを助けに行くなどと言った覚えはないぞ」
「……え?」
「結論から言おう。アンリは見捨てることにした」
まったく予想外の発言だったのか、二人は絶句する。長い静寂の後、ユナが恐る恐る口を開いた。
「い、今、アンリを見捨てると……?」
「そうだ。ガブリはアンリを餌に罠を張って待ち構えているだろう。わざわざそこに飛び込むなど愚の骨頂。魚が自ら網に掛かりに行くようなものだ」
動揺を露わにしたユナの表情を見ながら、僕は先を続ける。
「これはアンリの失態が招いた結果だ。アンリも我々が助けに来ることなど望んではいないだろう。ならば見捨てるのが最善の選択だと余は考えた」
「……で、では、我々はどうすれば……?」
「そうだな。ガブリが再び動きを見せるまで、城で待機してもらおうか。待つのも戦略のうちだ」
ユナは唇を切り結び、沈黙する。その拳は確かに震えていた。
「話は以上。二人とも下がってよいぞ」
しかし僕がそう言っても、二人はこの場から離れようとしない。
「どうした? 何か不満でもあるのか?」
「……申し訳ございません、ユート様。私はアンリを見捨てることなどできません」
ユナは僕の方を真っ直ぐに見据え、そう言った。
「ほう。余の配下であるお前が、余の命令に逆らうというのか?」
「……そういうことに、なります」
声こそ僅かに震えていたが、その瞳からは揺るぎない意志が伝わってきた。
「こうしている間にも、きっとアンリは苦しんでいます。何もせずに待機するなど私にはできません。私一人だけでもアンリを助けに行きます」
「……そんなにもアンリのことが大事か?」
「アンリだけではありません。ペータも……」
短い沈黙を挟んだ後、ユナは言葉を続ける。
「私は以前、ペータの優しさに救われました。ならば今度は私の番です」
『ウチは全然気にならないっすけどね。悪魔だろうと天使だろうと、ユート様に忠誠を誓っているのなら何も問題ないと思うっすよ?』
ユナが悪魔と天使の間に生まれた子であることを知られた時、ペータがユナに言った言葉が僕の脳裏に過ぎった。
「……エリトラはどうだ?」
「我もユナと同じ想いです。奪われた仲間は必ず取り戻す。それがジェネシス!」
僕は深々と嘆息した。
「お前達、余の命令に逆らうことがどういうことか、分かっているのだろうな?」
「処罰はガブリを抹殺し、アンリを救出した後、如何様にもお受け致します。ですから今だけは、どうかお許しを」
ユナとエリトラは深く頭を垂れる。すると不意に笑いが込み上げてきてしまい、僕は額に手を当てた。
「まったく、余も困った配下を持ったものだ。ふふっ……」
「……ユート様?」
怪訝な表情で首を傾げるユナ。直後、大広間の扉が開いて一人の悪魔が入ってきた。
「ご報告申し上げます! 我々一同〝ゲート〟周辺を念入りに調べましたが、天使の気配やトラップ等は皆無であり、問題ないと思われます!」
「そうか。ご苦労であった」
報告を終えた悪魔が大広間から退室する。このやり取りを、ユナはポカンとした顔で聞いていた。
「ゆ、ユート様? これは一体……?」
「まあ、そういうことだ。騙すような真似をして悪かったな」
ユナとエリトラをここに呼ぶ前、僕は覇王軍の悪魔達にゲート周辺を調査せよと命令を出していた。ゲートは『天空の聖域』に行く為の唯一の手段。僕が本当にアンリを見捨てる決断をしていたのなら、そんな命令を出す必要はない。つまりそれが意味するところは――もはや言うまでもないだろう。
「も、もしや、我々の覚悟をお試しになられて……!?」
「別にそんなつもりはない。元より余は単身で『天空の聖域』へ乗り込むと決めていた。が、お前達に何の事情も伝えずに行くのは薄情だと思ってな。念の為、お前達の胸の内を聞いておこうと思ったまでだ」
そう言いながら、僕は玉座から静かに腰を上げる。
「だが、まさかお前達が余の命令に逆らうほど仲間のことを想っていたとはな。本音を言えばこれ以上大事な配下を危険に晒したくはないが、こうなってはお前達を連れて行かないわけにはいくまい。お前達のような配下を持ったことを余は誇りに思う」
「ユート様……!」
僕も身をもって体験したように、『天空の聖域』の空間は悪魔にとって猛毒にも等しい。今頃アンリはその猛毒に苦しめられているだろう。その上ガブリに何をされるか分からないとあっては、どうして呑気に待機などできようか。
「ガブリは卑劣な罠を張って我々を待ち構えていることだろう。ならばその罠ごと粉砕するまで。必ずやガブリを抹殺し、アンリを取り戻すのだ!!」
「「はっ!!」」
斯くして僕はユナ、エリトラと共にアンリを救出すべく『天空の聖域』に乗り込む覚悟を決めた。