第164話 囚われの身
覇王軍の悪魔数十人にペータの捜索を命じた後、僕は大広間の玉座に腰を下ろし、大きく息をついた。本当は僕も自分の部屋でゆっくり休みたいところだが、ガブリがまたいつ動き出すか分からない以上、僕もいつでも動ける状態にしておく必要がある。それに先程の出撃前に睡眠は十分摂ったし、これ以上の休息は不要だ。
「…………」
目を閉じれば、ラファエの顔が浮かんでくる。ショックから完全に立ち直ったと言えば嘘になるが、いつまでも引きずるわけにはいかない。
あいつは僕のせいで殺されたも同然だ。ならばせめてガブリを葬ることが、ラファエへの罪滅ぼしになれば――
「……ふっ」
不意に吐息が漏れる。思えばラファエが僕に闘いを挑んできたのもセアルへの罪滅ぼしの為だった。そして今度は僕が、ラファエへの罪滅ぼしの為に闘おうとしている。なんとも皮肉な運命だ。
この僕をも追い詰めてみせたラファエの力。それをガブリが取り込んだのなら、奴の力は底が知れない。現在最も警戒しなければならない仇敵だ。しかし結局、奴が野良悪魔たちを殺傷していた目的は分からず終い。奴は今何を考えている……?
ガブリの思考を読み切れない自分がもどかしい。今の僕は完全に後手に回っていると認めざるを得ない。これまで圧倒的なステータスと呪文で様々な敵をねじ伏せてきた僕だが、ガブリ相手だとそうもいかない。そもそも奴には僕と正面から闘う気がないのだ。
ガブリはあらゆる手を尽くして僕を殺そうとしてくるだろう。この闘いは、最終的に相手を出し抜けた方が勝者となる……そう僕の直感も告げていた。だがいかに奴が策を弄しようとも、最後に勝つのはこの僕――覇王でなければならない。
「失礼します」
大広間の扉をノックする音の後、アンリが入室してきた。手にはカップの乗ったお盆を持っている。
「……アンリか。部屋でゆっくり休めと命じたはずだが?」
「も、申し訳ございません。今日のユート様はいつもより覇気が感じられなかったので、何かあったのではないかと心配になり……」
「……そうか」
「ご、御迷惑だったでしょうか?」
「そんなことはない。気を遣わせてしまってすまないな」
「いえ、滅相もございません」
平静を装っていたつもりだっだが、アンリには見抜かれていたか。思ったより僕はラファエの死にショックを受けているらしい……。
「よかったら、このお茶をどうぞ。お口に合うかどうかは分かりませんが……」
「うむ。アンリは気が利くな」
僕はアンリからカップを受け取った。一瞬いつも悪魔達が飲んでるような紫色のドロドロした液体を想像したが、見たところ人間でも飲めるような普通のお茶だった。
「失礼します!」
その時一人の悪魔が大広間に入室してきた。ペータの捜索を命じた悪魔達には逐一状況を報告するよう伝えていたので、きっとそれだろう。
「ご報告申し上げます! 現在悪魔領の西地区を中心にペータ様の捜索を続けておりますが、未だ発見には至って――」
「貴様、ユート様がご休息なされている最中に無礼であるぞ!! 殺されたいのか!!」
まるで親の仇にでも遭遇したかのように、アンリがその悪魔を鋭く睨みつける。
「――えっ!? あっ、も、申し訳ございませんでした!!」
その悪魔は途中で報告を切り上げ、大慌てで大広間から退室してしまった。それを見て僕は嘆息する。
「言い過ぎだアンリ。そもそもあの者に報告を命じたのは余なのだぞ」
「えっ、そうだったのですか!? ああっ、私はなんということを……!!」
「……まあよい」
それから僕は、アンリから受け取ったお茶を静かに見つめる。そんな僕を見てアンリは首を傾げた。
「ユート様、お飲みにならないのですか? もしお気に召さないようでしたら、お取り替えいたしますが……」
「いや、その必要はない。それよりアンリ、もっと余の近くに来てほしい」
「……え?」
「察しの通り、余は非常に疲れている。お前の顔を間近で見て癒されたいのだ」
「ユート様……!」
アンリは頬を赤く染め、僕のところまで歩み寄ってくる。そして僕は、左手の人差し指をゆっくりとアンリの方に向けた。
「――呪文【覇導弾】!!」
人差し指の先から一発の【覇導弾】が放たれる。至近距離で発動したためアンリはかわすことすらままならず、それはアンリの右腕に炸裂した。
「いやああああああああああ!!」
もはやほとんど原型を留めていない右腕を凝視しながら絶叫するアンリ。この光景を、僕は動揺もないまま眺めていた。
「ユート様!! 何故このようなご乱心を!? あああああっ!!」
「ご乱心だと? 茶番は大概にしろアンリ。いや――ガブリ!!」
次の瞬間、絶叫がピタリと止んだ。
「……ククッ。ンッフッフッフッフ……!! ハハハハハ!!」
やがて耳障りな哄笑が轟く。それだけで答えは明白だった。
「大当たり~! そう、俺ガブリ! なんとなんと呪文でアンリちゃんに化けていたのでした! 呪文【変身】を解除!」
呪文が解かれ、ガブリがその正体を現した。
「外見も気配も声も完璧に化けてたはずなんだがなぁ。何故分かった?」
「貴様が余の念話を『気付かなかった』と言った時点でおかしいとは思っていた。アンリに化けていた貴様がアンリ本人への念話に返答できるはずがないからな」
だがそれだけではアンリの偽物だと断定することはできない。本当に気付かなかった可能性もゼロではないからだ。
「確信が持てたのは、先程貴様が放った一言だ。アンリは相手が誰であろうと『殺されたいのか』などと言うことは絶対にない。アンリであれば『自害したいのか』と言っていたはずだ」
「……プッ。ハハハハハ! マジかよオイ! さすがに口癖はどうにもなんねーわ!」
「おおかた、この茶には毒でも仕込んでいたのだろう。姑息な真似を……」
僕はカップを投げ捨てる。それは壁にぶち当たり、粉々に砕け散った。
「でもよぉ、これに関しちゃテメーは俺のことを非難できないはずだぜ? なんせテメーも【変身】を使って散々人間共の目を欺いてきたんだからよ。なぁ、ユート君よぉ!!」
「……アンリをどこへやった?」
ガブリの煽りを無視し、僕は問いかける。
「んん~、残念なことにアンリちゃんは俺の闘いに敗れてなぁ。素直に俺とのデートの誘いを受けてくれたらこんなことにならずに済んだかもしれないってのに。いやぁ我ながら失恋の恨みって怖ろし――」
「黙れ!! アンリをどこにやったのかと聞いている!!」
僕は怒鳴り声を上げた。すぐにでもこいつを抹殺したいところだが、今こいつを殺せば肝心の情報が聞き出せなくなる。
「そうカリカリすんなって。今アンリちゃんは俺達の城に監禁してある。ちゃんと生きてるから安心しろよ」
こいつらの城……。つまりアンリは『天空の聖域』にいることになる。
「ではペータはどうした……!?」
「ペータぁ? ああ、あのガキのことか。人質はアンリちゃんだけで十分だから放置しちまった。俺は幼女には興味ねーからなぁ。その内見つかるんじゃねーか?」
「……そうか」
こいつの言ってることが全て真実だという保証はないが、聞きたいことは聞き出せた。もうこいつに用はない。
「あーそうそう、アンリちゃんから伝言を預かっててな。『絶対に助けに来ないでくださいユート様』だとよ。いやぁ大した忠誠心だよなぁ!」
「……!!」
「さて、これを聞いてユート様はどうなさるおつもりかな? どちらにせよ助けに行くなら早い方がいいぜ。愛しいアンリちゃんを傷物にされたくなけりゃなぁ。ハハハハハハハハハハハ――」
笑い声が止むのを待たず、僕は再び【覇導弾】を放つ。心臓部に直撃をお見舞いされたガブリの身体は、十秒もしないうちに跡形もなく消滅した。
あまりの手応えのなさに僕は舌打ちする。やはりこいつも分身……!!
「おのれぇ……!!」
より一層ガブリへの憎悪が滾り、僕は拳を震わせた。