第163話 違和感
ガブリの分身を抹殺してから、どれくらいの時間が経過しただろうか。ふと我に返った僕は、今すべきことを再認識し、静かに顔を上げた。
ラファエがガブリの手で殺されたという事実は僕の心にとてつもない衝撃をもたらしたが、今は落ち込んでいる場合ではない。僕は覇王として常に毅然とした態度で事に臨まなければならない。ラファエのことを偲ぶのは、全てが終わった後でいい。
ひとまずアンリ達の状況を確認しよう。皆の実力なら既にガブリの分身を葬り、覇王城に帰還していてもおかしくはない。
「こちらユート。現在の状況を報告せよ」
僕はアンリ、ペータ、ユナの三人に同時に念話を繋いだ。
『こ、こちらユナ。任務を完了し、現在、覇王城へ、帰還している、途中です』
『…………』
『…………』
ユナの声からはやけに息切れしているのが伝わってくる。そういやユナは方向音痴だったから、原因は多分それだろう。あまりに帰りが遅いようなら探しに行くとしよう。
問題は、アンリとペータから何の反応も返ってこないということだ。まだガブリの分身と闘っている最中なのだろうか。かつて1000体もの下級天使をあっさりと葬ってみせた二人なら、ガブリの分身など造作もないと思っていたが……。もしや二人の身に何かあったのか?
一瞬【千里眼】を使って二人の様子を確認しようかとも思ったが、ここから西地区と南地区それぞれに視界を飛ばすとなると多少の時間を要してしまう。覇王城の様子も気になるし、ここは一度戻るとしよう。
僕は【瞬間移動】を発動し、悪魔領の北地区を後にした。
覇王城の大広間に帰還すると、僕を待ってくれていたのか、アンリとエリトラが玉座の前で膝をついていた。ひとまずアンリが無事だと分かり、僕は心の中で安堵した。
「お帰りなさいませ、ユート様」
「……うむ。ガブリの分身は葬ったのだろうな?」
「はい、滞りなく」
「よし。ご苦労であった」
アンリに労いの言葉をかけつつ、僕はゆっくりと玉座に腰を下ろした。ペータとユナの姿は見当たらない。近くに気配も感じないので城内にいないのは確かだ。
「エリトラ。余が不在の間、城に異常はなかったか?」
「ええ、特には。ん~~ジェネ――」
「そうか。エリトラもご苦労」
僕達がガブリの分身と闘っている隙に城を強襲してくる可能性を考慮してエリトラを残していたが、どうやらそちらは杞憂に終わったようだ。考えてみれば覇王城を攻撃したところでガブリにそれほどメリットがあるとは思えない……。
「ところでアンリよ。先程お前に念話を繋いだはずだが、何故返答しなかった?」
「えっ……そうだったのですか!? も、申し訳ございません、気付きませんでした」
「……気付かなかった?」
「は、はい。ユート様のお言葉を無視するなど、私はなんということを……」
一生の不覚といった表情でアンリは目を伏せる。アンリにしては珍しい失態だ。ガブリの分身との闘いを終えたばかりで疲れていたのだろうか。
よく見るとアンリは身体の至る所に傷を負っていた。僕は玉座から腰を上げてアンリの近くまで歩み寄り、右手をかざした。
「呪文【生命の光】」
僕が呪文を唱えると、アンリの身体を淡い光が包み込み、傷も徐々に癒えていく。回復呪文としては【超回復】よりも質は劣るが、それはリナに【能力付与】で貸し出し中だからな。
「あ、ありがとうございます。私の為にお手数をおかけして申し訳ございません」
「……だいぶやられたようだな。お前ならばガブリの分身ごときに手傷を負わされることはないと思っていたが、油断でもしたか?」
「…………」
唇を切り結んで沈黙するアンリを見て、僕は察した。
「やはり何かあったようだな。ペータにも念話を繋いだが、反応がなかった。それも関係しているのか?」
「……それは……」
アンリは当惑の表情で視線を彷徨わせた後、こう言った。
「悪魔領の西地区にて、本物のガブリが現れたのです」
「……何だと……!?」
それから僕は、ペータがガブリの前に敗れたこと、それを知った自分が救援に向かいガブリと闘ったことをアンリの口から告げられた。
確かに悪魔領に現れた四人のガブリの内の一人が本物であることはガブリの分身も言っていたが、僕はそれを虚言だと切り捨ててしまった。まさか本当だったとは……。臆病者のガブリが自ら戦線に立つことはないと踏んでいたが、まんまと裏をかかれたわけだ。
「何故余に報告しなかった?」
「ユート様の御身を危険に晒すわけにはいかないと思い……」
「……そうか。できれば報告してほしかったが」
そうすれば僕がすぐさま向かい、この手でガブリを葬っていたものを。アンリの心配性には困ったものだ。もっともガブリのことだから僕と直接対峙することになっていたとしても、何らの策を講じていた可能性は高いが……。
「申し訳ございません。ですがユート様に咎められることを覚悟の上での判断でした。どのような処罰もお受け致します」
「……まあよい。今回のことは余にも責任があるからな」
「そ、そんな! ユート様に責任など……!!」
分身の中に本物のガブリが混じっていることは可能性の一つとして考えてはいたが、僕はそれを〝ない〟と判断し、頭の中から排除していた。万全を期すならその可能性を皆に伝え、その際の対応策も用意しておくべきだった。
「その後、ガブリはどうなった? お前が無事に帰ってきたということは、奴を葬ったのか?」
僕の問いに、アンリは力無く首を振る。
「戦況が不利になると見るや、ガブリはどこかへ逃走してしまいました。すぐに追いましたが見つからず……。ご期待に応えられず申し訳ございません」
「……気にするな。お前の身に大事がなかったというだけで余は一安心だ」
「も、勿体なきお言葉!」
勿論アンリがガブリを葬っていればそれが一番ではあったが、ラファエの力を吸収したガブリを相手にその成果は僥倖と言えるだろう。むしろ今のガブリがその程度だったことに拍子抜けだ。分身を三体も生成したせいでMPが僅かしか残っていなかったのか? ならば何故むざむざ戦線に出てきたのかという話になるが……。
「それでペータはどうした? まだ城には戻ってきていないようだが」
「ペータは……」
言いにくそうに俯くアンリ。一応念話は繋がったので命に別状はないだろうが、それでもやはり心配だ。
僅かな沈黙の後、アンリは再び顔を上げた。
「ユート様に合わせる顔がないと言って、どこかへ行ってしまいました。ガブリに敗北したことを相当悔やんでいたようです。あの様子では当分戻らないかと……」
「……そうか。困った奴だな」
そういうことを気にするタイプではないと思っていたが、あんな卑劣な男に敗れたとあっては気持ちは分からなくもない。怪我もしてるだろうし、後で悪魔達に命じて捜しに行かせるとしよう。
そう言えばユナもまだ戻ってきてないな。ついでにユナも捜させようか――
「た、只今戻りました! 遅くなってしまい申し訳ございませんユート様!」
と思った矢先、大広間の扉が開いてユナが姿を現した。全身汗だくであり、相当走り回ったことが窺える。
「ホホホ。どうやらいつもの方向音痴が発揮されたようですね」
「ば、馬鹿を言わないでエリトラ!! ただちょっと外を散歩してただけよ!!」
もっとマシな言い訳もあるだろうに。
「ユート様。これから如何なさいますか?」
アンリに尋ねられ、僕は少しの間考える。一秒でも早くガブリを葬りたい気持ちはあるが、奴の居場所が分からない以上、焦りは禁物だ。今は野良悪魔の殺傷を食い止めたことに安堵するとしよう。
「……そうだな。ひとまず各自部屋に戻り、ゆっくり身体を休めてくれ。三人とも任務を終えたばかりで疲れているだろう。特にユナは」
「うっ……。お、お心遣い、痛み入ります」
顔を真っ赤にして俯くユナ。今のはちょっと意地悪だったかな。
「三時間後、またこの場に集合してほしい。では一旦解散とする」
「「「はっ!」」」
アンリ、エリトラ、ユナは立ち上がり、大広間の扉に向かって歩き出す。
「……アンリ」
ふと、その名が僕の口から出てきた。退室しようとしたアンリは足を止め、僕の方を振り返る。
「如何なさいました? ユート様」
「……いや、何でもない。呼び止めて悪かったな。行ってよいぞ」
「? はい……」
やや戸惑った表情を浮かべた後、アンリは再び歩き出す。扉の向こうに消えるまで、僕はその背中を静かに見つめていた。
何だろう。この違和感は……。