第162話 怨念の剣
「どうだ? 自分の呪文をその身で味わった気分は」
「げほっ、ごほっ。何が起きた……!?」
致命傷と呼ぶほどではなかったが、そのダメージは確実にガブリのHPを削り取る。反射系の呪文でこちらの攻撃を跳ね返したのかとガブリは考えたが、【月光砲】を放ってからアンリが何か呪文を発動した様子はなかった。
「だったらこいつでどうだ! 呪文【火炎弾】!!」
ガブリはラファエから奪った能力である【火炎弾】を発動し、三十個近くの炎の弾を生成してアンリ目がけて放った。何をしたのか知らないが、これだけの数を一度に跳ね返すのは不可能だろうとガブリは推察する。だが――
「無駄だ」
全ての炎の弾が向きを反転させ、容赦なくガブリを襲う。多量の炎の弾を生成したことが逆に仇となり、全てを回避することは叶わず複数の炎の弾がガブリに直撃した。
「いってえ……一体どうなってやがる……!?」
やはりアンリが呪文を発動した様子はない。となると既に何らかの呪文が発動されており、それがこの現象を引き起こしていると見ていいだろう。そんなガブリの心中を見抜いたかのように、アンリが口を開いた。
「教えてやろう。私は先程【自害剣】に【自害点】を纏わせ、貴様を攻撃していた」
「【自害点】……?」
「この呪文を受けた者は一定時間、あらゆる呪文が自身へ跳ね返される。貴様が唱えた【月光砲】や【火炎弾】が貴様を襲ったのはそのためだ」
「ハッ、なるほど。アンリちゃんらしい呪文だなぁ……」
もはや攻撃系の呪文は封じられたも同然である。ガブリは肉弾戦の経験などほぼ皆無なので、呪文を用いない攻撃など最初から選択肢になかった。こういう時はキエルの無駄に高い戦闘力が羨ましい、などと益体のないのことをガブリは考える。
「でも一定時間ってことは、いずれ【自害点】の効力は切れるんだろ? だったらその時まで俺が何もしなければ済む話だな!」
アンリは自らの手で他者を下すことはしない〝自害戦法〟であるため、一見ガブリの考えは理に適っている。だが――
「そうか。ならばしばらくそこで呆然と突っ立っているがいい」
何を思ったのか、アンリは【自害剣】の剣先を自分の左腕に向けた。不可解な行動にガブリは眉をひそめる。
「呪文【自害共有】【事故回復】」
二つを呪文を連続して発動した後、なんとアンリはその剣を何の躊躇いもなく自分の左腕にブッ刺した。
「ぐあああああっ!?」
同時にガブリの絶叫が響く。アンリの行為に連動するかのように、ガブリの左腕から勢いよく血が噴き出たのである。それはアンリが自ら剣を刺した位置と全く同じだった。
「何だあ……こりゃ……!?」
「これが【自害共有】の効力だ。この呪文によって私が自ら肉体に与えたダメージは貴様も受けることになる」
「何だと……!?」
無論、アンリもダメージを受けたことに変わりはない。しかし直後にアンリの左腕の傷は瞬く間に癒え、HPも元通りまで回復した。一方ガブリは未だに左腕の苦痛に悶えており、HPも戻らないままである。
「【事故回復】は私が自ら肉体に与えたダメージを回復する呪文。言うまでもないだろうが、回復まで共有されることはない。つまり貴様だけが一方的にダメージを受け続けることになる」
「マジ……かよ……!?」
「これが【自害剣】【自害共有】【事故回復】の三つの呪文による自害コンボだ。存分に堪能するがいい」
アンリは右腕、左足、右足と、次々に剣を突き刺していく。その度にガブリの鮮血が飛散し、アンリの傷は快癒される。
「す……凄いっす……」
これには仲間のペータですら戦慄を覚えた。いくら回復すると分かっていても、自分の肉体に剣を突き刺すなど並大抵の覚悟がなければできないからだ。しかも突き刺した時の激痛は確実にアンリを襲っているはずなのに、その表情は少しも歪む気配がない。
呪文で攻撃すれば【自害点】で反射され、攻撃しなくとも自害コンボが肉体を襲う。ガブリにとってまさしく八方塞がりと言える状況だった。
「ンッ……フッフッフッフッフ……!!」
が、ダメージを受ければ受けるほど、ガブリの表情は狂笑に歪んでいく。むしろ身体が血に塗れていくのを喜んでいるようにすら見えた。
「……貴様、何故回復呪文を使わない?」
アンリは不審の念を抱かざるを得なかった。ガブリにはアンリとの戦闘開始前にも発動してみせた【月光の恩恵】という有用な回復呪文がある。それがある以上、ガブリは何度でもHPを回復することができる。
よってアンリの狙いは最初からガブリのHPを削ることではなく、MPが枯渇するまで回復呪文を使わせることにあった。三体もの分身の生成にMPを費やしたのなら、ガブリのMPが尽きるのはそう遠い話ではないとアンリは考えていたからだ。
だが戦闘が始まって以降、ガブリは一度として回復呪文を使っていない。単にMPを温存しているだけかもしれないが、このままではHPの方が先に尽きることになるだろう。もしや奴は何かを狙っているのではないか。様々な思考がアンリの脳内を錯綜するが、その理由は至極くだらないものだった。
「だってよぉ、可愛い女の子との闘いで受けたダメージなんてご褒美そのものだろ? 回復させたら勿体ないじゃねーか……!!」
「……気色悪い奴め」
アンリは嫌悪感のあまり思わず身震いをしそうになる。
「けど、このままじゃ死んじまうよなぁ俺。それも嫌だし、どうすっかなぁ……」
ガブリは腕から流れ出る血を舐めながら、不敵な笑みを浮かべる。
「本当は覇王と闘う時までとっておきたかったが……。しょうがねえ、この呪文を使うとするか」
何か仕掛けてくる――アンリは咄嗟に身構える。だがどんな呪文であろうと【自害点】が発動している限り、それは全てガブリ自身を襲うことになる。
「呪文【怨念剣】」
ガブリが発動した呪文によって、この場に一本の剣が出現する。それはまるで地獄の底から湧き出てきたかのような禍々しさを帯びており、見ただけで絶命しそうになるほどの威圧感を放っていた。普通の剣でないことは一目瞭然であり、アンリの頬にも焦燥の汗が伝う。
「なんだ、その剣は……!?」
「なぁに、アンリちゃんの【自害剣】と同系統の呪文だ。もっともその能力はまるで異なるがな……」
この【怨念剣】は元々ガブリのものでもラファエのものでもない。いわば両者の魂の化学反応によって生じた呪文である。
ガブリがその剣を右手に握る。その瞬間、ガブリが手にすることを待ちわびていたかのように、その剣から凄まじい闇の霊気が迸った。
『よくも殺してくれたな……!!』
『絶対に許さない……!!』
『永遠に呪ってやる……!!』
同時に複数の声が反響する。一瞬空耳かとアンリは自分の耳を疑ったが、その声は紛れもなく【怨念剣】を覆う闇の霊気から聞こえるものだった。
「こいつは憎しみ、悲しみ、怒りといった負の感情を吸い上げることで威力を増幅させる剣でなぁ」
「負の感情……!?」
「俺が何の意味もなく悪魔共を殺しまくってると思ったか? そいつらが俺にたっぷりと負の感情を向けてくれたおかげで、この剣は途轍もないパワーを得たってわけだ。感謝しねーとなぁ……!!」
アンリは理解した。先程聞こえた複数の声は、ガブリによって殺された悪魔達の恨みに満ちた声だったのだと。
「だがその剣が呪文によって生成されたものである以上、【自害点】の効力は例外なく発揮される! どんな剣だろうと無駄だ!」
「ンッフッフッフ。果たしてそんな理屈がこの剣に通じるか……試してみるか?」
ガブリが【怨念剣】を天に向けて掲げる。刹那、大気が震撼すると共に剣先から強烈な闇の光が放出され、やがてそれは空に浮かぶ雲をも突き破った。
「……!!」
回避しなければ死ぬ――アンリの本能が警鐘を鳴らす。だがそこでアンリは背後で横たわるペータの存在を思い出す。ここで自分が回避すれば、あの剣はペータを直撃することになる。
この一瞬の逡巡が、アンリにとって命取りであった。しかし気付いた時にはもう遅く、怨念を纏いし剣はアンリに向けて振り下ろされていた。




