第160話 サプライズ
「ここまで付き合ってくれた礼だ。最後にとっておきのサプライズをご覧あそばせ――呪文【火炎激流】!!」
「……何!?」
思わず右手の力が弱まる。ガブリの分身はその瞬間を狙っていたのか、素早く僕の右手から抜け出して炎の激流を僕の全身に浴びせた。
「くっ……!!」
僕は左腕を大きく振り、その風圧で炎を掻き消した。HPへのダメージは微々たるものだったが、それ以上の衝撃が僕の胸を締め上げていた。
「何故……貴様がその呪文を……!?」
【火炎激流】――間違いなくラファエが使っていた呪文だ。何故それをガブリが……!?
僕との闘いの後、ラファエが【能力付与】のような呪文でガブリに託したのか? 有り得ない話ではないが、果たしてラファエがガブリにそんなことをするだろうか? それとも他者の呪文をコピーする呪文でも使ったのか? いや、そんなチート呪文ならこの局面で明かしたりしないだろう。では何故……!?
様々な思考が僕の脳内で交錯する。だが一方で、僕の直感は一つの結論に辿り着いていた。いやそんなことはあってはならない。どうか違っていてほしい――
「ンッフッフッフ。何故かって……? それは俺がラファエの力を魂ごと奪い取ったからだよ!!」
残酷な真実を告げられ、僕の祈りは虚しく砕け散った。
「では……ラファエは……」
「んなもん死んだに決まってるだろ! 今頃あの世でセアルと感動の再会を果たしてるだろうなぁ!」
一瞬頭の中が真っ白になる。やがて僕の中から沸々と怒りが込み上げてきた。
「貴様……よくもラファエを……!!」
「おやおや、敵であるラファエのことを慮るのか? そいつは結構だが、俺に責任転嫁するのはやめてもらいたいねえ。ラファエを死の瀬戸際まで追い込んだのは紛れもなくテメーなんだからよぉ!!」
「……!!」
「俺はほんのちょっと後押ししただけだ。ラファエを殺したのは覇王、テメーだろ!!」
無意識に拳が震える。やはりサーシャが話していた通り、この男は僕とラファエの闘いの裏で糸を引いていた。その真意が今ようやく分かった。全てはラファエの力を吸収し、我がものとする為……!!
「あいつもテメーのことをさぞ恨みながら逝っただろうなぁ! テメーにも見せたかったぜ、あいつの最期の顔! ンッフッフッフッフッフ……ハッハッハッハッハ――」
不意に耳障りな笑い声が途絶える。気付けば僕は奴の頭蓋を粉々にしていた。呪文で攻撃したのか、手で直接破壊したのか、それは自分でも分からなかった。
それに伴ってガブリの分身が僕の視界から消滅する。だがそこには何の達成感もなく、後味の悪さしか残らなかった。
ラファエが、死んだ。その事実に僕はしばらく茫然となる。
『ラファエを死の瀬戸際まで追い込んだのは紛れもなくテメーなんだからよぉ!!』
『ラファエを殺したのは覇王、テメーだろ!!』
先程の奴の言葉が脳内で何度も反響する。僕はラファエの気持ちを正面から受け止める為、正々堂々あの闘いに臨んだ。しかし結果として、それは最悪の結末を招くことになってしまった。
「……すまない……」
いくら謝ろうとも、その声が本人のもとに届くことは永遠にない。僕はただ虚空を仰ぎ見ることしかできなかった。
☆
数刻前。悪魔領の東地区で闘いを繰り広げていたユナとガブリだったが、今し方その決着がついた。
「これで終わりよ」
ユナの剣がガブリの心臓部を貫く。ユナが剣を引き抜くと、血飛沫と共にガブリの身体は地面に倒れた。
「呪文を使わずにこの強さって……反則だろ……」
捨て台詞を残し、ガブリの身体はユナの前から消滅した。
「……ユート様がおっしゃっていた通り、分身だったようね」
蝋燭の炎のように消えたそれを見てユナは確信を得た。そもそも七星天使の一人がこの程度の実力しかないとは考えにくい。
「あとは覇王城に帰還して、ユート様に報告を――」
そこでユナはあることに気付き、硬直した。
覇王城からこの場所までは覇王の【瞬間移動】によって転移したユナであったが、ユナは【瞬間移動】はおろか呪文を一つも持っていないので、当然ながら自分の足で帰還しなければならない。
ユナにとってここから覇王城までの距離はどうということはないが、問題はユナが重度の方向音痴だということだ。覇王城の中ですら迷子になるユナがここから一人で帰投するとなれば、一体どれだけの時間を費やしてしまうか分からない。仲間の誰かに念話で呼びかけて迎えに来てもらうという手もあるにはあるが、四滅魔の一人としてそれはあまりにも情けない話だ。
「……どうしよう……」
顔面を蒼白させながら、ユナはポツリと呟いた。
一方、悪魔の南地区におけるアンリとガブリの闘いも決着を迎えたところであった。
「自害せよガブリ」
以前『七星の光城』でイエグと闘った際にも見せた【自害剣】と【階層低下】のコンボを決めたアンリは、今回も自らの手を汚すことなくガブリを【自害強要】によって自害させることに成功した。
「こ……こんなんアリかよ……酷いぜアンリちゃん……」
地面に横たわるガブリの身体が消え失せる。これを見てアンリも奴が分身だったのだと悟った。
「さて。ペータとユナの方はどうなっているか……」
すぐに気持ちを切り替えたアンリは二人の様子が気に掛かり、まずペータに念話を繋げることにした。二人の力量ならばそろそろ片付いている頃だとアンリは推測する。
「ペータ、そっちの状況は――」
『うっ……アン……リ……?』
「!? どうしたペータ、何があった!?」
ペータの声から明かな異変が伝わり、アンリは声を荒げる。
『ごめんっす……ガブリに……やられて……』
「何……!?」
そこでペータの声が途絶える。それからアンリが何度呼びかけても、ペータからの応答はなかった。
「ペータが……まさかそんな……」
ペータの実力はアンリもよく知っている。呪文で生成された分身ごときに敗れるペータではない。だが念話でペータは「ガブリにやられた」と確かに言っていた。
そこで一つの予感がアンリの脳裏に去来する。もしやペータが闘ったのは分身ではなく本物のガブリだったのではないか、と。奴は七星天使の一人、ペータが敗れることも考えられる。
「今すぐユート様にお伝えしなくては……!!」
アンリは覇王に念話を繋げようとした――が、すぐに思い留まった。
自分は何の為に存在している? ユート様を御守りする為ではないのか? そんな私がむざむざユート様を敵の前に晒すような真似をするなど言語道断だ。それにこの程度の事態でユート様のお力を頼っていては四滅魔の名が泣いてしまう。その思いがアンリに覇王への連絡を憚らせた。
「待っていろ、ペータ……!!」
アンリは単身でペータのいる悪魔領の西地区へと馳せていく。このアンリの判断が正か否か、それが分かるのはもう少し先のことであった。