第157話 悪夢の未来
「…………」
目が覚めた僕は、ゆっくりと上体を起こし、ベッドから下りた。覇王城の個室で睡眠をとったのは随分久し振りのような気がする。
一体どれくらい眠っていただろうか。感覚的には四、五時間といったところか。おかげで眠気はなくなったが、気分は最悪と言ってもいい。その原因は、眠っている間に僕が見た〝夢〟にあった。
いや――夢にしてはやけに鮮明で、真に迫った光景だった。あれは夢などではない。サーシャから貰ったばかりの【未来予知】が睡眠中に発動したのだと、僕は確信した。
おそらくそう遠くない未来。見たこともないような空間で対峙する僕とガブリ。そして気味の悪い笑みを浮かべるガブリの傍らには、僕がよく知っている者の〝遺体〟が無造作に転がっていた。それは――
「ユート様! ユート様!」
すると部屋のドアの向こうで慌ただしい足音が聞こえたかと思えば、僕の名を何度も呼ぶ声がした。僕が「どうした?」と返答すると、一人の悪魔がドアを開け、素早く膝をついた。
「お休みになられている最中に恐縮ですが、ご報告申し上げます! 悪魔領の東地区にて七星天使のガブリと思しき男が現れました! 野良悪魔を無差別に殺傷している模様です!」
「何……!?」
無意識に拳に力が入り、その拳圧でベッドの一部を破壊してしまう。あの男、人間の次は悪魔を手にかけるか……!!
だがこれほど早くガブリが動き出すのは予想外だった。もはや呑気に寝ている場合じゃない、迅速に対処しなければ。そう意を決した矢先、別の悪魔が部屋にやってきて膝をついた。
「ご報告申し上げます! 悪魔領の西地区にて七星天使ガブリと思われる男が野良悪魔を殺傷している模様です!」
「……なんだと?」
新たな報告に驚く中、矢継ぎ早に三人目、四人目の悪魔が部屋にやってくる。
「ご報告申し上げます! 悪魔領の北地区にて七星天使のガブリと――」
「ご報告申し上げます! 悪魔領の南地区にて――」
こうして計四つのガブリの目撃情報が僕のもとに集められた。東西南北それぞれの地区に一人ずつガブリが現れたことになる。
「何を言っているんだお前達! ガブリが現れたのは東地区だ!」
「お前こそ何を言っている! 私は確かに西地区でガブリを目撃した!」
「嘘をつくな! 私が北地区で見たのは間違いなく七星天使のガブリだった!」
「では私が南地区で見たガブリは何だったというのだ!」
悪魔達が言い争いを始める。おそらく誰も虚偽の報告はしていない。だからこそ皆、自分こそが正しいと躍起になっているのだろう。
「静まれ!!」
僕が大声で一喝すると、悪魔達は一瞬で沈黙した。
この現象には心当たりがある。これは十中八九、ガブリの【月影分身】によるものだ。奴はこの呪文で複数の分身を生成したに違いない。
「報告ご苦労。下がってよいぞ」
「「「「はっ!」」」」
僕は悪魔達を部屋から退室させた。
だがここで一つの疑問が生じる。サーシャの話によれば、ガブリはサーシャとの闘いでMPを大幅に消耗し、これ以上【月影分身】の発動に費やせるだけのMPは残っていないはずだ。だからこそ僕はガブリがすぐに動き出すことはないと踏んでいた。
しかし現にこうして複数のガブリの分身が出現している。それは多量のMPがなければできない芸当だ。この短期間で一体どうやってMPを回復させたのか。
そもそも野良悪魔を殺傷して一体何の意味がある? 単なる憂さ晴らしとは思えないが……。
まあいい、細かいことを考えるのは後た。これ以上犠牲者を出さない為にも早急にガブリの悪行を止める必要がある。
部屋を出て大広間に向かった僕は、念話でアンリ、エリトラ、ユナ、ペータの四人を呼び集め、現在の状況を伝えた。
「うひゃー。悪魔領にガブリが四人も現れたんすか?」
「ああ。だが、おそらくどれもガブリが生み出した分身だ。これよりお前達にはこいつらの始末に向かってもらいたい。異存のある者はいるか?」
「ユート様のご決定に、異存などあろうはずがございません」
アンリの言葉に、他の三人も強く頷いた。
ガブリの分身とはこれまで二度闘ったが、いずれも大したことはなかった。普通の悪魔なら手に余る相手だろうが、アンリたち四滅魔なら心配はいらないだろう。
問題は、この中に本物のガブリが混じっていた場合だ。僕はガブリの本体と闘うどころか一度も目にしたことすらないので、その実力は完全に未知数だ。この短期間でどうやってMPを回復させたのかという謎も残ったままだし、アンリ達の誰かがガブリの本体と交戦することになったらどうなるか分からない。
だが、その可能性は限りなく低いと言っていいだろう。これまでの傾向から見ても、ガブリが自ら戦線に出てくることはまずない。敵地である悪魔領ならば尚更だ。今のところはどれも分身と見て問題ないだろう。
「アンリは南地区、ユナは東地区、ペータは西地区に向かってもらう。ガブリを見つけ次第速やかに抹殺せよ」
「「「御意!」」」
「ん~~ジェネシス!! では我は北地区に向かえばよろしいのですね?」
その場でエリトラがくるくる回る。なんか久々に聞いたなジェネシス。
「いや、北地区には余が向かう。エリトラにはここで待機してもらいたい」
「……覇王城の警護、でございますか?」
「察しがいいな。我々を外へ誘き出し、その隙にこの城を強襲するという姑息な作戦かもしれないからな」
ガブリが生成した分身が四体だけとは限らない。あと一人や二人温存していることも考えられる。
「その理由から、お前達の内誰か一人は城に残しておきたい。よってその任はエリトラに負ってもらう」
「了解しました。ん~~ジェネシス!!」
「お、お言葉ですが、ユート様のご負担と御身の安全を考えるならば、ユート様が城にお残りになられた方がよろしいのでは……?」
いかにも不安そうにアンリが言った。確かに覇王城には覇王軍の悪魔が一万人以上いるし、ここに残った方が遙かに安全だ。
「ま、本来ならそうするのが普通だろう。だからこそ裏をかく。奴も余が直々に出向いてくるとは思っていまい」
「……なるほど、流石はユート様。そのような考えがお有りだったのですね」
アンリは納得した風に言ったが、それでも不安げな表情は消えなかった。心配性は相変わらずのようだ。
まずはガブリの目的を聞き出す。奴が何の意味もなく野良悪魔を殺傷しているとは思えない。それに奴にはサーシャを傷つけられ、人々の町を焼き払われたばかりだ。たとえ分身だろうと、この手で礼をしなければ気が済まない。
「では一旦解散とする。アンリ、ユナ、ペータは出撃の準備が整い次第、再びこの場に集合せよ。エリトラは念のため覇王軍の悪魔共にも注意を呼びかけておけ」
「「「「御意!」」」」
さて。まだ他にもやっておくべきことがある。
「待てアンリ」
僕は大広間から退出しようとしたアンリを呼び止めた。
「お前には少しばかり話がある。今から余の部屋に来てほしい」
「……ハッ!? も、もしやユート様、出撃前に英気を養うべく私の肉体を……!? か、かしこまりました、ですか少々お時間を頂けると幸いで――」
「話と言っただろう。いいからすぐに来い」
「……御意」
悲しみに暮れるアンリと共に、僕は自分の部屋に向かった。