第155話 成分不足
「何……!?」
直接覇王城の大広間に帰還した僕は、いきなり目の前の光景に驚愕した。なんとアンリが玉座の傍でぐったりと横たわっていたのである。
「どうしたアンリ!? しっかりしろ!!」
覇王としての威厳も忘れ、僕は慌ててアンリのもとに駆け寄った。気を失ってはいるが呼吸音は聞こえる為、命に別状はないようだ。
まさか僕が不在の間に天使達の強襲が……!? でもそんなことがあったら念話で連絡してくるだろうし、それ以前に大広間はどこも荒れておらず、戦闘の形跡もない。アンリの身体にも外傷はどこにも見当たらなかった。
だとしたら何故、アンリはここに倒れている? 僕の脳内で様々な思考が交錯していると、大広間の扉が開く音がした。
「あっ、ユート様! 帰ってきてたんっすね! おかえりなさいっすー!」
入ってきたのはペータだった。相変わらず元気いっぱいの様子で、僕に向かってブンブン手を振っている。
「ペータ! アンリが……!!」
「あー、アンリっすね。まったく困ったもんっすよねー」
気絶しているアンリを目の当たりにしても、ペータは全く動じていなかった。この反応を見る限り、アンリが気絶していることは既に知っていたと思われる。
「アンリは一体どうしてしまったのだ……!?」
とりあえず天使の強襲を受けたわけではなさそうだけど……。まさかまた「ユート様が不在の時に私が食事をするのは失礼に当たる」とか言って断食してたんじゃないだろうな? それであまりの空腹に耐えきれず倒れてしまったと……。
でもちゃんとご飯は食べるように言ってあったし、アンリが僕の命令を無視するとは考えにくい。前に僕が城を空けていた時も食事は摂っていたとアンリは言っていた。なら原因は何だ……!?
「心配いらないっすよユート様。多分アンリが倒れたのは『ユート様成分不足病』によるものっすから」
何その病気!?
「ユート様はちょくちょく城を空けることが多いっすからね。それはアンリにとってかなりの精神的ショックっすから。それでとうとう今回の三日間の不在がトドメになっちゃったみたいっす」
「……なるほど」
いや全然なるほどじゃないけども。つまりアンリが気絶しているのは僕の不在が原因ってこと?
「だが、それならばこんな所に放置していないで、せめてアンリの寝室に運んでやるべきだろう」
「うーん、そうしたいのは山々なんすけど……」
ペータが床に横たわるアンリに手を伸ばす。すると気絶しているはずのアンリの手が動き、ペータの手を勢いよく打ち払った。
「とまあ、運ぼうとしてもこんな風に全力で拒絶されちゃうんす。きっと『ユート様の帰りをこの場所で待つ』という絶対的な意志がそうさせてるんすね」
どういう状態!? 気絶してるはずだよな!?
「でもユート様が帰ってきたのならもう安心っすね。ユート様が触れてあげれば起きると思うっすよ」
「……うむ」
そんな簡単にいくだろうかと思いつつ、僕はアンリをお姫様抱っこしてみる。すると電源のスイッチが入ったかのように、アンリの目がパッチリと開いた。ほんとに起きたよ。
「ゆ……ユート様……!?」
「ああ、余だ。寂しい思いをさせてすまなかったな」
アンリの目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「ううっ……ユート様……!! 寂しさのあまり自害するところでした……!!」
たった三日城を空けただけなのに、数年振りに再会を果たしたような感覚に襲われてしまう。
「いいないいなー! ウチもユート様にお姫様抱っこされたいっす!」
「何を言っているペータ! ユート様にそのようなことを要求するなど、おこがましいにも程が――はっ!?」
今まさに自分がお姫様抱っこをされていることに気付いたらしく、アンリの顔がみるみるうちに紅潮していく。
「ゆゆゆ、ユート様!? い、いけません、ユート様ともあろう御方が私にこのようなこと……!! あ、いえ、私は全然構わないのですが、これ以上ユート様のお手を煩わせるわけにもいきませんし、ですがもう少しこのままでも――」
「ふっ。すっかり元気になったようだな」
僕は静かにアンリを床に下ろした。とても名残惜しそうな表情を浮かべるアンリであった。
「……ところでユート様、この数日はどのようなご用件でお出かけになられていたのですか?」
「だから言ったじゃないっすか、ユート様は『憂さ晴らしに人間共とじゃれ合ってくる』とおっしゃってたって。そうっすよねユート様!」
「……まあ、そんなところだ。どうにも余は定期的に人間共の悲鳴を聞かないと落ち着かなくてな」
もはや恒例となってしまった空言である。本当はサーシャから『緊急事態が発生したから至急人間領に来てほしい』という手紙が送られてきたからだ。
まあ、実際には緊急事態でも何でもなく、ただの海水浴のお誘いだったわけだけど。そういう意味では『憂さ晴らしに人間共とじゃれ合ってくる』というのもあながち間違いではない。
「さて。三日振りに戻ってきたことだし、ユナとエリトラの顔も――」
すると言葉の途中で不意に意識がぼやけ、思わず膝がグラついた。
「ユート様!? いかがなさいました!?」
「……案ずるな。少し眠気が襲ってきただけだ。どうやら少々はしゃぎ過ぎたらしい」
血相を変えるアンリに、僕は優しい口調で答えた。これは空言ではなく本当だ。昨夜はラファエとの闘いで一睡もしてないし、眠くなるのも無理はない。
「で、でしたら部屋でお休みになられた方が……!!」
「……そうだな。では、そうさせてもらおう」
一刻も早くガブリを打ち倒す策を講じたいところだが、眠気のせいで思考が正常に働かなくなったら元も子もない。とにかく今は休眠が必要だ。
「よ、よろしければ、私がユート様のお側で安眠のお手伝いを……!!」
「気持ちは嬉しいが、遠慮しておこう。何かあったらすぐに起こしてくれ」
「……御意」
「あらら~。残念だったっすねアンリ」
「う、うるさい!!」
アンリとペータの会話を聞きながら、僕は大広間を出て寝室に向かったのであった。