第146話 邪竜の洞窟、再び
人間領の上空では、依然サーシャとガブリの戦闘が繰り広げられていた。
とは言ったもののそれは〝戦闘〟と呼ぶには程遠く、相変わらずガブリはまともに闘おうともせず逃げの一手を続けていた。
「ったく、まだ諦めねーのかよ。今ほど【瞬間移動】が使えたらと思ったことはねーな……」
粘り強く追駆してくるサーシャを後目に、ガブリはそんな本音を口にする。両者の飛行速度はほぼ互角であり、距離は大きく広がることもなければ縮まることもない。ガブリにとってこれほど厄介な相手はいなかった。
「呪文【星龍の嘆き】!」
サーシャの周囲の空間に複数の歪みが生じ、虹色の羽根が一斉に放たれる。防御系呪文が通用しないことは学習済みなので、ガブリはそれを回避すべく一気に高度を上げた。
「ってえー!!」
しかし全ての羽根を避けることは叶わず、一本の羽根がガブリの左太股を貫通し、鮮血が空中に撒き散らされた。
「クソがっ……!! 呪文【月光の恩恵】!!」
すかさずガブリは回復呪文を発動し、左太股を治癒する。数秒後には貫通前の状態には戻ったものの、これで【月光の恩恵】の発動は三回目だった。
「つくづく便利な呪文だな。だがあと何回使えるだろうな」
「チッ。調子に乗りやがって……」
ガブリは考えた。あれほどの呪文、一回発動するだけでもかなりのMPを消費するに違いない。その上【飛翔】によって常時MPを消費している状態なので、すぐにMPは枯渇することだろう。
そこでガブリはサーシャのMP切れを狙う戦略をとることにした。MPがなくなれば【飛行】も発動できず、サーシャが追うことは不可能になるからだ。
が、いつまで経ってもサーシャが攻撃の手を緩めることはなかった。それどころかますます威力を増していく。MPの枯渇などまるで気にも留めていない様子だった。
【月光の恩恵】の回復スピードは回復呪文の中でもトップクラスだが、その分MPの消耗も大きい。このままでは先にガブリのMPが尽きることも考えられるだろう。たとえMPが残っていても、万一羽根が脳や心臓を貫けば、もはや回復どころの話ではなくなってしまう。
「どうやらセラフィの子供ってのは嘘じゃねえみてえだなぁ……」
ガブリの疑念が確信へと変わる。元七星天使の第一席の子供とあらば、MPの量が膨大でも何ら不思議ではない。もはや無尽蔵にあると考えた方がいいだろう。だがそれは同時に、ガブリのMP切れを狙う戦略が潰されたことを意味していた。
「こうなりゃ、本格的に相手してやるしかねえか……」
逃げれば逃げるほど自分が不利になっていく。そう悟ったガブリは、その目にようやく闘志を宿した。
直後、地上の〝ある洞窟〟にガブリの目が留まった。ガブリは何かを企んだように口角を歪めると、その洞窟に向かって急降下した。あの中で決着をつける腹のようだ。
「あれは……」
ガブリが洞窟に入っていくのを見て、サーシャは一旦空中で静止した。サーシャはその洞窟に見覚えがあった。それは先日ユート達が〝狂魔の手鏡〟を巡ってセアルやイエグと闘った『邪竜の洞窟』だった。
「……いいだろう」
これも何かの運命だろうと、サーシャは空疎な笑みを浮かべる。あの時サーシャは加勢もできずにセレナ達を傷つけられ、非常に悔しい思いをした。
あの時と同じ場所で七星天使の一人を葬れば、その悔しさも少しは晴らせるだろう。そんなことを考えながら、サーシャも『邪竜の洞窟』に向けて降下した。
「呪文【蛍光】!」
洞窟の中に入ったサーシャは小さな光を生成して目の前を照らし、【飛翔】を持続させたまま一直線に突き進んでいく。
やがて広い空洞に行き着いたサーシャは、【飛翔】を解除して地面に降り立った。その視線の先には、ガブリが薄ら笑いを浮かべて立っていた。
「今まで逃げてばかりだった奴が、一体どういう心境の変化だ?」
「なぁに、そろそろ鬼ごっこにも飽きてきたんでな。しょうがねーから相手してやることに決めたのさ」
「……やっとその気になったか。だがこんな暗闇の洞窟を戦い場に選ぶとは趣味が悪いな」
「ククッ。こう見えてシャイなもんでなぁ」
そう言いながら、ガブリは周囲をグルッと見回す。
「にしてもこの洞窟には三体の超つえー竜がいるって聞いてたんだが、全然気配を感じねーなぁ。一体どうなってるのやら」
少し前までこの『邪竜の洞窟』はディストレスドラゴン、ペインドラゴン、ヘイトレッドドラゴンという三体の強力な竜が支配していたが、ディストレスドラゴンはアスタ、スー、リナが協力して倒し、ペインドラゴンとヘイトレッドドラゴンはユートが単独で倒したので、今となってはこの洞窟には存在しない。だが三体の竜が消滅したことはガブリもとっくに把握していた。
「おやおやっ!? よく見たら至る所に血の跡があるじゃねーか! まさかここで竜どもがやられちまったのか!? マジかよ信じられねえ!」
いかにもわざとらしくガブリは驚いてみせる。ガブリとサーシャがいる空洞は、まさにユートが二体の竜と戦闘を繰り広げた場所であり、地面に散見される血の跡は二体の竜のものだった。
「……いつまでそんな益体のない話をしている?」
シビレを切らしたようにサーシャは言った。既に消滅した三体の竜のことなど、今この闘いには何の関係もないように思えたからだ。
「ククッ。そうでもねえさ……」
ガブリはその場でしゃがみ、血の跡に自分の右手を触れされた。
「呪文【死者乱舞】!!」
そしてガブリが呪文を詠唱した瞬間、血の跡から大量の赤い霧が噴出し、一瞬でこの空洞を覆い尽くした。
「何をする気だ……!?」
サーシャは警戒心を最大まで引き上げる。間もなく霧が晴れると、異様な光景がサーシャの目の前に広がっていた。
そこにいたのは、赤い竜と青い竜の二体。ユートによって倒されたはずのペインドラゴンとヘイトレッドドラゴンが、ガブリの両脇に召喚されていた。
「ハハハハハ!! どうだビックリしたかぁ!? これが俺の【死者乱舞】の力だ!!」
死者の血を媒体とすることで擬似的に死者を蘇らせる呪文、それが【死者乱舞】。このようにモンスターを蘇らせることも可能である。
ただし完全な状態で復活させると膨大なMPを消費してしまう為、ガブリはオリジナルの半分のサイズで二体を復活させているが、この狭い洞窟ではむしろ有利に働くだろう。
欠点は、現世に留まれる時間が十五分ほどであること、そして一度復活させた死者は二度と復活できなくなること、などが挙げられる。
「さぁ竜ども、食事の時間だ。あのガキを骨の一片まで喰らい尽くしてやりなぁ……!」