第143話 弱者世界
「弱き者の為の世界……か。貴様らしい呪文だな、ラファエ」
僕は素直に感心した。少なくとも僕には他にこのような呪文を所持している者は心当たりがない。常に人間という弱き者のことを想い、悩み苦しむラファエだからこそ、この呪文が発現したのだろう。
「だが、このやり方は貴様らしいとは言えんな。尋常な決闘の前に小細工を弄するなど、卑怯と言われても否定できまい」
「確かに卑怯かもしれません。だけど僕は貴方を倒す為なら手段は選ばない……!!」
「……なるほど」
とは言えこの決闘にルールが存在するわけでもないし、見方を変えれば何の準備もせずに僕と挑む者の方が愚かとも言える。僕がラファエの立場だったらきっと同じようにしただろう。
「しかし呪文の影響を受けるのは貴様も例外ではないはず。互いのステータスが同一であるならば、この先は呪文の選択が勝敗を分かつことになるだろう」
そして呪文の所持数は間違いなく僕の方が上だ。よって呪文の選択肢が多い僕の方が有利――と言いたいところだが、先程ラファエは自分の勝利を宣言してみせた。おそらくラファエの策はこれだけではない。
そんな僕の予感に答えるかのように、ラファエは不敵に笑ってみせる。
「……ステータス開示」
そしてなんと、ラファエは自らのステータスを僕に向けて公開した。
当然ながら、わざわざ敵にステータスの情報を与える者などまずいない。仮にいるとしても、それはウリエルのように慢心してのことか、もしくは僕のように冥土の土産として教えてやるかのどちらかだろう。
だが、目の前のラファエはそのどちらでもない。まるで手品の種を明かすかのようにステータスを開示した。
ラファエ Lv200
HP878/10089
MP6834/11268
ATK245
DFE389
AGI224
HIT243
「なに……!?」
更なる衝撃が僕を襲った。第七席のウリエルでさえレベルは999だったというのに、第三席であるラファエがレベル200しかないだと……!?
「言いましたよね、僕の【弱者世界】によってレベル300以上の者は強制的にステータスの補正を受けると。よってレベル200の僕がこの呪文の影響を受けることはありません」
「……!!」
「普通に戦えば、僕のステータスで貴方に勝てる可能性は0と言っていいでしょう。だけど【弱者世界】が発動した今、貴方を倒すことなど造作もない」
確かに、現在の僕のステータスはどの数値もラファエを下回っている。この状態で戦ったらどうなるか、それは火を見るより明らかだ。
「覚悟しろ覇王……貴方はここで僕に敗れ去る!! 呪文【火炎弾】!!」
ラファエから五つの炎の弾が僕を目がけて放たれた。普段の僕であればこれが全部命中したとしてもHPが僅かに減るだけだが、DEFが100しかない今の僕にはこれが一発でも当たれば大ダメージになるだろう。
「呪文【混沌――」
僕は再び【混沌旋風】で炎の弾を掻き消そうとした――が、無意識に発動を中断させてしまった。
今の僕のMPは2000、ほぼ無尽蔵にあった時とは訳が違う。【混沌旋風】は発動にMPを500も消費するので、それだけで四分の一を持っていかれてしまう。そのような思考が不意に働いた。
「ぐおっ……!?」
それが行動判断の遅れに繋がり、炎の弾の一発が腹部に直撃し、僕は後方へ吹っ飛ばされてしまった。
「ハハハハハ!! どうだ覇王!!」
これまでの大人しいイメージをぶち壊すかのように、ラファエは派手に笑ってみせる。
「……まさか、余が背中に地をつける日が来ようとはな」
腹部の激痛を堪えながら、僕は身体を起こして立ち上がった。今の攻撃で僕のHPは200近くも削られてしまった。たった一発喰らっただけでこのザマだ。
「一つ良いことを教えてあげましょう。【弱者世界】によって補正されるのは、あくまでその者〝本来の〟ステータスのみ。呪文によるステータス強化については何の支障もありません」
余裕の笑みを浮かべながらラファエが言った。つまり呪文によってステータスを強化しても、その数値まで補正されることはない、ということか。
「しかし貴方はステータス強化系の呪文を一つも所持していない……違いますか?」
ラファエの読みは的中していた。数多の呪文を所持する僕だが、ステータスがどれもMAXの僕にはそもそもステータスを強化させる必要がなく、それ故かステータス強化系の呪文は一つも所持していない。それが僕の数少ない弱点とも言えるだろう。
「!」
その時僕は、昨日セレナと買い出しの途中に立ち寄った梅干し屋で、婆さんから貰った例の梅干しのことを思い出した。
あの梅干しには寿命十年と引き替えに、HPとMP以外のステータスを1000上昇させる効能があると婆さんは話していた。今のラファエの説明が本当なら、梅干しによるステータス強化も問題なく行えるはずだ。
いずれお前さんの役に立つ時が来る――そう婆さんは言っていた。明らかに胡散臭かったが妄言として聞き流すこともできず、僕は常時その梅干しを携帯することにした。もちろん今もその梅干しは僕の懐にある。きっと婆さんは今この時のことを言っていたのだろう。本当に何者だったんだ、あの婆さんは。
ともかくその梅干しを食べれば、元のステータスには遠く及ばないものの、この圧倒的に不利な状況を打破することができる。だが――
「……それでは駄目だ」
僕は小さく呟いた。寿命十年の代償が大きすぎるというのも理由の一つだが、あくまでこれはラファエを倒す為ではなく、救う為の戦いだ。
言葉でラファエの心を響かせることができたらそれが一番だが、生憎それほど僕は口上手じゃない。ならば覇王らしく〝力〟で響かせるしかない。
それには他の力に頼っては駄目だ。僕自身の力だけでラファエと向き合わなければ、本当の意味でラファエを救うことになりはしない。ただのエゴかもしれないが、それが覇王としての矜持でもある。
僕は梅干しに手を伸ばすことはせず、頭の中を切り替えた。
「それともう一つ。【弱者世界】の空間内では【瞬間移動】などの転移呪文は全て無効になります。転移呪文によって空間の外に出ることも、逆に空間の外の者が入ってくることもできません。つまり貴方は僕から逃げることも、誰かの助けを借りることもできないというわけです」
ラファエが説明を加える。ステータスの強制補正に、転移呪文の無力化か。なんとも贅沢な呪文だ。一見絶望的とも思える状況だが――
「安心しろ。仮に転移呪文が使えたとしても、余が貴様に背を向けることも、誰かに助けを乞うこともない」
僕は泰然と宣言した。何故なら僕にはある秘策がある。この状況を覆す秘策が――