第142話 罠に墜ちた覇王……?
ラファエとの戦闘開始から、およそ五分が経過した。
「呪文【火炎弾】!!」
ラファエは五つの炎の弾を生成し、僕に向けて放つ。覇王の姿で戦うと決めた以上、この程度の攻撃はいくらでも対処のしようがある。
「呪文【混沌旋風】!」
僕は巨大な竜巻を発生させ、その五つの火炎弾を掻き消すと同時に、その旋風によってラファエを吹き飛ばした。
「うわあっ!!」
ラファエは呆気なく宙へ投げ出された後、ゴロゴロと地面を転がった。そんなラファエの姿を、僕は訝しげな気持ちで見つめる。
僕が覇王の姿を晒してからというもの、ラファエはずっと単調な攻撃を繰り返すばかりで、僕のHPに傷一つ負わせることすら叶わない有り様だった。普通なら油断してもおかしくないが、僕はこの戦況がどうにも釈然としなかった。
――あいつが本気を出せばワシにも匹敵する強さじゃろうに……。
亡きセアルの言葉が脳裏を過ぎる。ラファエの本気とやらがこの程度であるなら、セアルがあのような評価を下すことはなかっただろう。しかし今のラファエが手を抜いているようには見えない。間違いなく本気で僕と戦っている。
「くっ……」
ラファエは立ち上がり、僕を睨み据える。攻撃が全く通用せず、常人ならそろそろ心が折れてもおかしくない頃だが、ラファエの目はまだ死んでいない。それどころかより一層闘志を燃え上がらせている。
それに先程からこの一帯を漂っている重々しい空気、おそらく気のせいではない。僕の勘が正しければ、ラファエは何かを狙っている。ならばここは念を入れて……。
「呪文【時間記録】!」
僕は呪文を唱える。しかしこの場には何の変化ももたらさなかった。
「発動失敗ですか? 覇王ともあろう者が、珍しいですね……」
冷笑するラファエだが、もちろん失敗などしていない。呪文の発動には成功した。幸か不幸かラファエは【時間記録】に関する知識を持ち合わせていないらしい。ただし、この呪文はあくまで保険だ。
「呪文【火炎拳】!!」
ラファエは右の拳に炎を宿し、僕に向けて駆け出した。またしても何の捻りもない攻撃である。
「呪文【断空衝撃波】!」
僕が唱えた呪文によって無数の風の刃が発生し、ラファエに襲いかかる。それらをまともに喰らったラファエは全身の皮膚が裂けて血が飛散し、僕に拳が届く前に地面に倒れてしまった。
「…………」
第三者がこの光景を見れば、もう勝負は決したと思うことだろう。しかしラファエを攻撃すればするほど、僕には不信感が募る一方だった。
セアルの発言がただの過大評価で、単に弱いだけという可能性も考えられる。だが、もしそうならラファエが七星天使の第三席というのは割りに合わない。やはり何かを狙って――
「フ……フフフ……」
すると突然、ラファエが地面に顔を伏せたまま、奇妙に笑い始めた。
「フフ……フフフフ……ハハハハハ……!」
「……何がそんなにおかしい?」
無意識に僕はそう尋ねていた。諦めを通り越した笑いでないことだけは分かる。やがてラファエはゆらりと起き上がり、一転して勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「僕の勝ちだ、覇王。僕はこの時をずっと待っていた……!」
「なんだと? 一体どういう――」
次の瞬間、僕は得も言われぬ脱力感に襲われ、思わず地面に膝をつきそうになった。攻撃を受けたわけでもないのに、僕の身に何が……!?
「その脱力感は急激なステータスの変動による副作用ですよ。貴方ほどの強大なステータスの持ち主ならば、その影響はより大きくなるでしょうね」
まるで僕の心を読んだかのようにラファエは言った。
「ステータスの変動……だと……?」
「説明するより、実際にステータスを確認した方が早いと思います」
促されるまま、自分のステータス画面に目を向ける。そして僕は驚愕に打ちのめされることになった。
覇王 Lv999
HP2000/2000
MP2000/2000
ATK100
DFE100
AGI100
HIT100
全てMAXに達していたはずのステータスが、HPとMPは2000、ATKその他は100まで減少しているではないか。これでは一般的な悪魔の平均ほどのステータスしかない。
「貴様、何をした!?」
「……上を見てください」
思わず声を荒げる僕に対し、ラファエは静かに夜空を指差した。
「これは……!?」
顔を上げてみると、いつの間にか空一面にオーロラのようなものが広がっており、夜の闇を幻想的に照らし出していた。僕のステータスの急激な減少はこのオーロラが原因に違いない。
「これが僕の呪文【弱者世界】の力です。このオーロラの光を浴びたレベル300以上の者は、強制的にステータスの〝補正〟を受けます。補正後の数値については、今のステータスを見れば分かるでしょう」
「補正、だと……?」
つまりどれだけステータスが高かろうが、この呪文の影響下では無力と化すというわけか。これほどの呪文、おそらく僕の【死の宣告】と並ぶ第六等星呪文と見て間違いないだろう。これだけ広範囲に発動しているとなると、呪文による解除はまず無理だ。
「ただし【弱者世界】には発動してから効果が表れるまでかなりの時間を要するという欠点がある。だから僕は貴方がここに来るずっと前にこの呪文を発動させていた。貴方がこの荒野に足を踏み入れた時点で、既に勝負は決していたんです」
先程から漂っていた重々しい空気の正体はそれか。一見無意味とも思える攻撃をラファエが繰り返していたのは、自分に意識を向けさせることで呪文の存在を勘付かれないようにする為だったのだろう。僕はまんまとラファエの罠に嵌ったというわけだ。
夜になって雨が止んだのも天気の神様のせいなどではなく、おそらくこのオーロラが周辺の天候に影響をもたらした結果だろう。思えば夕方まであれだけ降っていた雨が、夜になってピタリと止んだ時点で違和感に気付くべきだったか……。




