第141話 サーシャvsガブリ
その威力にガブリは思わず息を呑んだ。辛うじて直撃は避けられたものの、羽根の一つがガブリの頬を掠め、皮膚が切れて血が伝っていた。ほんの少しでも回避が遅れていたらガブリの命は危うかっただろう。
「おいおいおいおい、【星龍の嘆き】っつったら第五等星呪文じゃねーか。なんでこんなガキが……!?」
頬の血を右手で拭いつつ、ガブリは瞠目する。
以前ユートが心中で説明していた通り、全ての呪文は〝等星〟によって分類され、第一等星呪文から第六等星呪文まで存在する。だが普通の人間が使えるのはせいぜい第三等星呪文が限界であり、稀に第四等星呪文を使える者が出てくる程度。よって第五等星呪文を使う人間など存在するはずがなく、それが子供であれば尚更有り得ないことだ。
もっとも、それらは全てサーシャが普通の人間の子供だったらの話だが。
「もう一度聞こうか。テメエ、何者だ?」
もはやガブリにはサーシャが凡庸な子供に見えていなかった。その問いに対し、サーシャは小さく口角を上げる。
「貴様が七星天使であるなら、〝セラフィ〟という名には聞き覚えがあるはずだ」
「あぁん? そりゃあるさ、なんせセアルの前に七星天使の第一席だった女だからな。つっても人間の雄に発情したせいで地位を剥奪され、挙げ句『天空の聖域』からも追放されちまったがなぁ」
基本的に人間も悪魔も天使も他の種族と交わることはタブーとされているが、天使は三種族の中でもプライドが高く、他の種族との交配を最も忌み嫌っている。ましてや七星天使の第一席ともあろう者が人間と交わることなど許されるはずもなく、これらの処遇は当然とも言えた。
「天使における最上の地位に就いておきながら、まったく愚かな女だよなぁ。人間と交わったらどうなるか、そんな簡単なことすら理解できなかったのかねえ」
セラフィという女に対するガブリの雑言を、サーシャはただ黙って聞いている。
「で? その女がテメーの正体と何の関係がある?」
「……貴様が今し方語ってくれたセラフィと男の間に生まれた子供、それが私だ」
サーシャが告げた真実に、ガブリは最初こそ驚愕したものの、やがて納得した表情を浮かべた。
「ククッ、なるほどねえ。あのセラフィの子供ってんなら、第五等星呪文が使えるのも無理はねえ。それでセラフィは今どうしてる? 元気にやってるか?」
「……もうこの世にはいない。私を産んだ時に亡くなったそうだ」
「プッ、ハハハハハ! そりゃ傑作だ! かつて最高権威を手にした女がそんな悲劇的な末路を辿るとはなぁ! ハハハハハ!」
腹を抱えて笑うガブリだが、サーシャの表情は泰然としている。
「どうした? 自分のママが馬鹿にされてるんだ、何か言い返したらどうだ?」
「……生憎、私は母に会ったこともなければ顔すら知らないものでな。どれだけ馬鹿にされようが、私の心には大して響かないというのが正直な感想だ。ご期待に添えず申し訳ない」
「ちっ、そうかよ」
精神攻撃が効かないと見るや、ガブリは面白くなさそうに舌打ちをし、それ以上の挑発をやめた。
「つーか思ったんだけどよぉ、セラフィの子供ってことはテメーはどちらかと言うと七星天使側ってことになるじゃねーか」
「……そうかもな」
「だったら俺達が争う理由なんざ何もねえ。むしろオメーは俺達と協力し合う立場にあるはずだ。違うか?」
「…………」
「そうだ、いっそのこと俺達の仲間になりゃーいい。実力は申し分ねえみてーだし、お誂え向きに七星天使の空席が三つもある。そうすりゃ富も権利も思いのままだ。こんなに美味しい話は他にねーと思うぜ?」
「それはなんとも魅力的な話だ――とでも言うと思ったか?」
ガブリからの勧誘を、サーシャは一笑に付してみせた。
「悪いが私は、権力を振りかざして好き放題やっている連中とつるむ気はないものでな」
「ククッ、そりゃまた随分な言われようだなぁ。これでも俺達は正義の味方のつもりなんだぜ?」
「大勢の人間の魂を奪っておきながら正義の味方だと? 片腹痛い……」
再びサーシャが【星龍の嘆き】が発動し、その周囲を数多の羽根が覆い尽くす。
「これ以上貴様と話しても時間の無駄だ。貴様は私が手ずから葬ってやるから覚悟しておけ」
「……あーあ、交渉決裂かよ」
ボリボリと頭を掻くガブリに向けて、サーシャは容赦なく全ての羽根を射出した。
「呪文【月障壁】!」
ガブリの前に光で構成された障壁が出現する。本来ならあらゆる攻撃を吸収する防御系呪文だが、サーシャの放った羽根はその障壁をまるで豆腐のように貫通していく。
「ちいっ……!!」
やむを得ずガブリは横に跳んで回避する。代わりにガブリが立っていた場所に羽根が炸裂し、そこは一瞬にして蜂の巣と化した。
「残念だが【星龍の嘆き】に防御系呪文は通用しない。死にたくなければ頑張って避け続けることだ。もっとも羽根の数はまだまだ増やせる……いつまで避けられるか心配だがな」
「……はぁ」
ガブリは肩の力を抜いて一息つくと、何を思ったのかくるりと反転して背中に翼を生やした。これにはサーシャも動揺を禁じ得ない。
「貴様、何のつもりだ!?」
「あぁん? んなもん見りゃ分かるだろ、逃げるんだよ。オメーと戦ったところで俺には何の得もねーしなぁ」
ガブリは身の危険を冒すような真似は絶対にしない。実際他の仲間達が『七星の光城』で覇王や四滅魔と戦っていた時も、結局ガブリは最後まで参戦することはなかった。
ガブリには勝負に対するこだわりやプライドといったものが皆無なので、敵に背を向けることに何の躊躇いもなかった。セアルのように負けると分かっていながら敵に挑んで命を散らせるといった真似は、ガブリにとっては愚の骨頂でしかない。
「雑種のオメーは空なんて飛べねーだろ? あばよ!」
そう言い捨て、ガブリは夜空に向けて飛び立った。
確かに天使と人間の間に生まれたサーシャには片方しか天使の翼が生えておらず、これを使って空を飛ぶことはできない。しかしみすみす標的を逃すサーシャではない。
「空を飛ぶ手段は一つではない。呪文【飛翔】!」
サーシャは呪文によって身体を浮かせ、ガブリを追う形で飛び立った。
「はっ、呪文を使って天使の真似事とは哀れだな。だが果たして俺の速さに追いつけるかな?」
ガブリの飛行速度は七星天使の中でトップであり、最大で時速500kmものスピードが出る。しかし一方のサーシャもガブリとほとんど変わらないスピードを出しており、大きく離されることなくガブリを追走していた。
「まさかガキと空中鬼ごっこをすることになるとはな。まあこういう遊びは嫌いじゃねーけどよ」
次の瞬間、サーシャの傍らで空間が歪曲する。何か仕掛けてくると察したガブリは、飛行しつつも咄嗟に攻撃態勢に入った。
「呪文【星龍の叫び】!!」
「呪文【月光超砲】!!」
サーシャは歪ませた空間から虹色のレーザーを射出し、ガブリもほぼ同時に手の平から光のレーザーを放つ。奇しくも両者が発動したのは同系統の呪文であった。
二つのレーザーは空中でぶつかり合って巨大な爆発を引き起こし、花火のように夜の闇を明るく照らした。