第140話 星龍の嘆き
覇王の姿を晒した以上、もう後戻りは許されない。しかしたとえ姿が変わろうとも、この戦いに懸ける僕の意志は変わらない。そう――これはあくまでラファエを救う為の戦いだ。
「一つ宣言しておく。この戦い、余が貴様を殺すことはない」
「……は?」
ラファエの表情が唖然としたものに変わる。
「何故なら今の余には貴様を殺す〝理由〟がないからだ。ウリエルは余の配下を手にかけたから殺した。セアルは魂狩りの元凶であったがために殺した。が、貴様には殺すだけの理由がない」
押し黙るラファエを余所に、僕は言葉を続ける。
「理由なき殺戮は外道のやることだ。覇王とはいえ、そこまで落ちぶれるつもりはないのでな。貴様を殺して何か得られるものがあるなら話は別だが、それもない。よって余は決して貴様を殺さない」
ラファエの拳が震える。それは明らかに怒りの表れだった。
「僕には……殺す価値もないってことか……!?」
「それは曲解というものだ。どうしても余に〝殺される理由〟が欲しければ、人間の一人や二人でも殺めてみせることだな。もっとも貴様にそんな真似はできないだろう?」
これが挑発に聞こえたのか、ラファエは歯ぎしりと共に鋭い眼光で僕を睨みつける。
「馬鹿にするなあああああ!!」
ラファエは更に威力を増した【火炎激流】を、僕に向けて炸裂させた。
☆
「ンッフッフッフッフ。ついに始まったなあ……!」
一方その頃、ガブリは荒野で戦う覇王とラファエの様子を山の頂上から見物していた。ラファエを呼びつけた後もガブリはその場所に留まり、ラファエの動向を【超視力】の目で追っていた。
そして思惑通り両者の戦いが始まると、ガブリは近くの木に実っていたリンゴのような果実を適当にむしり取りながら、野球でも観戦するかのようにのんびりとその光景を眺めていた。
「一番つまんねー展開はラファエが覇王に勝っちまうことか。あいつは俺自身の手で葬らねーと気が収まらねえしなぁ……」
数々の言葉でラファエを焚きつけたガブリだったが、実際にはラファエが覇王を倒すことなど最初から期待していなかった。ガブリの真の目的はその〝先〟にある。
「ま、仮に覇王が負けたとしても、それはそれでいいか。ラファエに負けるようなら所詮それまでの男ってことだしなぁ」
ガブリはむしり取った果実を丸かじりする。ガブリはこのまま両者の戦いが終わるまで傍観を決め込むつもりでいた。
が、ここでガブリにとって想定外の事態が起こる。
「こんな所で高見の見物とは、良いご身分だな」
闇の中から響く一つの声。やがて一人の少女がその場に姿を現した。それはサーシャだった。
「……あぁ? なんだテメエ?」
ガブリは面倒臭そうにサーシャの方を振り返る。サーシャは【未来予知】によってガブリがこの山の頂上に現れることを予知していた。そして誰にも告げることなく、サーシャはこの場に赴いた。
「良い子はオネンネする時間だろ。大人しくママの所に帰りな」
ただの子供でないことはガブリもすぐに察知したが、それ以上の興味を抱くことはなく、あしらうようにガブリは言った。
「……あの戦いを仕組んだのは貴様だな?」
サーシャはガブリの言葉を無視し、荒野で戦う二人の方に目を向けて尋ねる。
「だったらなんだ? お子様には関係ねーだろ」
ガブリに苛立ちが募る。覇王とラファエの戦いを眺めていたいガブリにとって、この場のサーシャは邪魔者以外の何者でもなかった。
ガブリは一度別荘内のサーシャの姿を目にしていたが、その時のサーシャは【急成長】で大人の姿になっていたので、ガブリは目の前の少女が覇王の仲間であることに気付かなかった。
サーシャが【急成長】を使わずにガブリの前に現れたのは、今は少しでもMPを温存しておきたかったからだ。
「そう冷たくするな――七星天使の一人、ガブリよ」
サーシャがそう口にした瞬間、ガブリの意識は完全にサーシャの方に向けられた。自分が七星天使の一人だと知る者はそうそういるものではない。その上名前まで知っているとあっては、もはや看過することなどできなかった。
「テメエ、何者だ?」
「そういえば自己紹介がまだだったな。私の名はサーシャだ」
「……サーシャ? どっかで聞いた名だなぁ……」
ガブリは自分の記憶を辿ると、ポンと手を打った。
「あー、思い出した。セアルが魂を奪い損ねたとか言ってた女のことか。まさかこんなガキだったとは驚きだが……」
セアルと対峙した時のサーシャは大人の姿だったので、サーシャが本当は六歳であることなど伝えられているはずもなく、ガブリが驚くのは当然と言えた。
「そうそう、セアルにかすり傷一つ付けられず逃走したって聞いたぜ? セアルと戦った勇敢さは褒めてやるが、ガキはガキらしく身の程を弁えてオママゴトでもやってりゃよかったのによぉ」
「……確かに、私がセアルに敗北を喫したのは事実だ。だがあの時は町の中だったために本気で戦うことができなかった。私の呪文は強力すぎるあまり、町そのものを崩壊させかねないからな」
「ははっ、まさに子供みてーな言い訳だなぁ。そんな無理して虚勢を張らなくたっていいんだぜ?」
「……虚勢、か」
サーシャは不敵に微笑み、言葉を続ける。
「ただ二人の戦いを見物しているだけというのも退屈だろう。少しばかり私の相手をしてもらおうか」
「……はぁ?」
「ちょうどセアルに負わされた傷も治ったところだしな。ここなら誰かを巻き込む心配もない。先程の発言が虚勢でないことを証明してやろう」
「はっ、寝言は寝てから言ったらどうだ。ただのガキじゃねえことは確かみてーだが、七星天使である俺様に勝てると――」
次の瞬間、ガブリは目の前の光景に驚愕し、言葉を止めた。
サーシャの周囲の空間に陽炎のような歪みがいくつも生じ、その歪み一つ一つから虹色に彩られた〝羽根〟が出現していた。
色彩を除けば見た目は普通の羽根だが、それら全てがあらゆる物体を貫通する〝矛〟の威力を発揮する。その数は五十を軽く超えていた。
「呪文【星龍の嘆き】」
サーシャが指を鳴らすと同時に、全ての羽根がガブリに向けて一斉に射出された。
「……っ!!」
言葉を発する余裕もなく、ガブリは瞬時にその場から退避する。サーシャが放った羽根はガブリが座っていた岩を木っ端微塵に破壊し、この一帯を噴煙が覆い尽くした。